夜の女王 カサンドラ②


 演目が終わり袖に引き上げるなり、エリシアはハンナに抱きついた。ハンナは突然のことに目を丸くした。

「お、お嬢さま…?」

 ぼそりとエリシアが耳元でささやく。ハンナは最初、聞き間違いだと思った。

「え?」

「…マティアス様が、いらっしゃったの…」

 エリシアは絞り出すような苦しい声で囁いた。体が震えていた。ハンナは落ち着かせようと背中を擦る。まさか、と思った。

「よく似た方では…?」

「そうならいいんだけど…分からない」

「どこ…?どこにいますか?確かめてきます」

「駄目よ!ハンナは顔が知られているわ」

「顔を隠しますから。お嬢さま、落ち着いて」

 エリシアをなだめ、顔を隠して酒場へ。女王の演目が終わった為か、帰宅する客がチラホラいた。ハンナは失礼の無い程度にさり気なく店内を周り、客の

顔を一人一人、確かめた。

 エリシアの話では、ステージに近い席に座っていたらしい。果たして、目的の人物を見つけた。身なりこそ質素な服に変えているが、間違いない、マティアスだった。

 

 控え室で待っていたエリシアは、ハンナが入ってくると不安そうに詰め寄った。ハンナはマティアスだったと告げると、力無く座り込んでしまった。ハンナは慰めようと肩を叩いた。

「お嬢さま、マスターに話を聞いてきました」

「マスターに?」

「マスターならお客さんの事、よく知ってらっしゃるでしょう?それで、マティアス様の事を聞いてみたいんです。月に二、三回程飲みに来ているらしく、あまり自分のことは話さないそうですが、毛皮を扱う行商だと言っていたそうです。供回りも連れてないようですし、恐らくお忍びでしょうね」

「…そう、そんなことをなさってたのね」

「お嬢さまの正体に気づかれた様子は無さそうですが、今日はもう帰りましょうか」

「私のこと、調べられたりしないかしら?」

「それは…まだ何とも。その気になったら向こうはどうとでも出られますからね。向こう次第としか」

 ハンナが言うことは最もだった。取り乱してしまったと自覚して、エリシアは落ち着こうと息を大きく吐いた。

「ごめんなさい。驚いてしまって」

 ハンナは首を横に振った。

「領主が自ら治める街を視察するのは、よくあります。酒場となれば数も限られてくるでしょう。今日は偶々、運が悪かったんですよ」

「…そうね。そう思うことにします」


 と思っていたら翌日もマティアスは来ていた。昨日と同じ席。エリシアは生きた心地がしなかった。

 ハンナも気づいたらしい。袖から心配そうに見ている。でも疎かには出来ない。エリシアはカサンドラとしてステージに立った。


 何とか終えて早々に引き上げようと帰り支度をしていたら、コンコンと戸を叩く音が。戸を開けるとオリビアが立っていた。

「今日もいいステージだったよ」

「ありがとうございます」

「マスターがね、着替えてからでいいから話があるってさ。呼んでいい?」

「私から行きます」

「なんか秘密の話らしいよ」

 エリシアとハンナは嫌な予感がした。


 マスターは断ったんだが、と前置きして、小さな箱を渡してきた。エリシアが蓋を開けると中には真っ赤な宝石が。それはルビーの指環だった。

「受け取れません」

「俺もそう言ったんだがな。無理矢理押し付けられた。返そうと思った時には姿が無くって、すばしっこい奴だ」

「どのような方でした?」

「それがな、ハンナが前聞いてきただろ?毛皮の商人。そいつからだったんだよ」

 エリシアの手が震える。するりと箱が落ちていった。床に転がっていくのを、マスターが拾った。

「おっと、そんな驚くことないだろ。もしかして知り合いかい?」

「まさか」

「ソイツの名前、レオンだってよ。俺が持っててもしゃあないし、煮るなり焼くなり好きにしな」

 エリシアの手のひらに箱を乗せてマスターは出ていった。扉が閉まってから、直ぐにハンナに箱の宝石を見せた。

「どうしましょう…こんなもの」

「そのレオンという人…マティアス様…ですよね?本当に」

「私もハンナもそう思ったじゃない。顔もそっくりだったし」

「何だか別人のように思えてしまって。だってマティアス様、全然女っ気ないじゃないですか」

「それは三年後に別の婚約者と結婚するからでしょう?」

「いやいや、結婚しなくても愛妾は作れますよ。出入りしている女もいないみたいですし、だから何だか、急にこんな宝石を寄越してくるお方とは思えないんですよ」

「他人の空似ってこと?それこそまさかよ」

 あ、でも、とハンナは人差し指を顎に当てた。

「だからお忍びで発散してるのかもしれませんよ。屋敷の者たちには隠しておきたいのかも」

「ハンナ…貴女そういえばゴシップ好きだったわね」

「違いますよ!全然違います!だって、不思議じゃないですか。こんな偶然、有り得ないですよ。もっと事態を重く見ています」

「マティアス様が私たちの事を知っててわざとそう振る舞ってるってこと?」

「そうやって罠に嵌めたいのかもしれませんよ」

 エリシアは懐疑的だった。そんな遠回りな事、わざわざするだろうか。箱を閉じる。掘っ立て小屋に持ち帰る訳にはいかない。棚の済に置いておいた。


翌日、エリシアは思い切って屋敷を訪れてみた。取り次ぎを頼んだが、待てど暮らせどお呼びがかからない。仕方なくそのまま帰った。

 庭を散策していると、マティアスが供回りと馬に乗って駆けていた。遠乗りにでも行くのだろうか。エリシアに気づいたのか、マティアスが近づいて来て馬上から話しかけた。

「屋敷に来ていたな。何か用か」

 いつもの冷たい瞳。腰の剣が光に反射した。エリシアは体がすくんで喉が締め付けられる思いがしたが、何とか絞り出した。

「この間の…王都では、どうだったのか気になりまして…」

「生きてるだろ」

「どういう…」

「それが答えだ」

 マティアスは待たなかった。そのまま手綱を引いて走り去っていった。エリシアの心臓は早鐘を打っていた。胸を押さえる。

 ハンナの考えすぎだと思った。わざと罠にはめるなんて。そんなことしなくても、アンナを殺すのに躊躇わなかったように、きっと自分を殺すときも一瞬だ。今はまだ死なれたら困るから生かしているだけ。三年後はどうなるか分からない。体が震える。ハンナに抱きしめてほしいと思った。



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