夜の女王 カサンドラ①


 酒場「アルヴァ」で、最近話題になっている「女王」がいる。その女王がいつ現れるのか、誰にも分からない。時間も不定期だが、一度現れるとその夜は多くの客でごった返す。多くの人がひしめき合っているのに、女王が踊りだすと皆一様に静まり返って、その舞いに魅了される。女王は目元だけを見せて、鼻から下は布で覆い隠されている。夜の闇のような黒髪に、印象的な紫の瞳。その瞳に見つめられて恋に落ちない者はいなかった。女王は踊りだけを披露する。チップも受け取らない。だから皆こぞって店の酒を買って売上に貢献した。


 男たちは集まって談義する。酒を煽った一人がドンとグラスを置いて喋りだした。

「女王は今日は来るのかなぁ。俺、まだ一回しか会ったことないんだよ」

「俺三回」

「俺五回」

「暇人かよ。働けよ」

「ちゃーんと働いてるからここに通えるんだぜ」

「そうそう。最近は季節外れの暑さで酒が美味いんだよ」

「今年はちゃんと刈り入れ出来て良かったな」

「去年は戦争が中々終わらないから収穫出来るか微妙だったもんな」

「まさか領主様が俺たち帰して、傭兵雇うとは思わなかったけどな」

「そりゃ刈り入れ出来ないと領主様は戦争どころじゃないからな」

「何とかなったから良かったよなぁ」

「おいそれより女王の話してくれよ。女王は来るのか?来ないのか?」

「誰にも分かりゃしねぇ。大人しく酒呑んで待ってな」

「俺はそんなに金ねぇんだよ」

「分かった分かった。奢ってやる」

「ありがてぇ。なぁ女王の素性は誰にもわからないのか?」

「あぁ、東の人ってのは分かるが、何せ踊りだけだからな」

「声も聞いたことない」

「東の人は年の割に若く見えるらしいから、年齢も分からない」

「おい、女王に絶対に声かけるなよ」

「なんで?」

「前、ショーの最中に酔っ払いが壇上に上がって来て絡んだ馬鹿野郎がいたんだよ。女王は踊るのを直ぐに止めて無言で袖に引き上げて、一週間は姿を見せなかった」

「そりゃ本当に馬鹿野郎だな」

「ソイツは出禁になった」

「女王の舞いをよく邪魔出来たな」

「あれ見たら誰も動けなくなるよな」

「ああ…溜まらないな」

「気持ち悪いぞお前」

「うっせ。…あー女王出ないかなー」

 すると遠くで悲鳴に近い歓声が上がった。男たちはガタと乗り出した。奥、ステージに、女王カサンドラがパッと躍り出た。



 袖に引き上げる。拍手を背に感じながら、ハンナの元へ。ハンナは汗を拭き手足の鈴を外した。

「今日も素晴らしかったです」

「ありがとう」

「お食事も用意してもらっています」

「お腹ペコペコ」

 奥の個室に入ると、ハンナは手慣れた様子でエリシアの衣装を脱がすのを手伝った。いつも着ているコットンのチュニックワンピースを頭から被ってウエストを太めの帯で締める。髪を深緑のスカーフで隠す。これでエリシアの着替えは終了。部屋を出て、厨房へ。料理人に礼を言って食事を受け取る。豆のスープ。エリシアの好物だ。部屋の隅のテーブルに向かい合って座って一緒に食べた。

「美味しい…」

「ここの料理は全部美味しいです。参考になります」

「あ、ニールさんのリュートが聴こえるわ」

「ニールさん、厨房でも働いてらして大変そうですね」

「働き者なのね」

「暇してるより働いてる方がお得だと言ってましたから、そうなのかもしれませんね。お嬢さまも、すっかり『夜の女王』が板について。ご立派です」

 エリシアは恥ずかしそうに俯いてスプーンを口に付けた。

「…なんだかね、自分じゃないみたい」

「分かります」

「本当?」

「本当に、カサンドラ様が乗り移ったかのような振る舞いです。この前の狼藉者の時なども」

「あれは私は何もしてないわ」

「取り乱しもせず、毅然としてらした」

「ニールさんのお陰。ニールさんが助けてくれたから」

 エリシアはまた俯いた。



 食事を終えて食器を洗っていると、隣から手が伸びた。

「後やっとくよ、カサンドラ」

「ニールさん」

 演奏を終えたニールは休むことなく厨房に来たらしい。二十代の精悍な青年はバンダナを頭に巻いて、エプロンを着ていた。エリシアから皿を取って洗い始めた。

「早く帰りな。治安が良いとはいえ、夜は危ない」

「お嬢さま、お言葉に甘えましょう」

「はい…ニールさん、さようなら」

「気をつけて」

 

 月明かりを頼りに歩く。夜目の効くハンナは手を引いて先導した。

「お嬢さま、もしかしてニールさんに好意持ってます?」

「まさか。何言ってるの。ニールさんは良い方だとは思ってるけれど、そんなことまでとても考えられないわ」

「お嬢さまはそうでも、ニールさんはお嬢さまに気があるようですよ」

「そんなわけないわ。こんな見た目だから、同情してくださってるのよ」

 ハンナは違うと思っていた。ニールの視線はいつもエリシアに向けられている。だがエリシア自身、そこまで考えられないのは仕方ないと思った。ハンナはそれ以上指摘するのをやめた。


 今夜も酒場「アルヴァ」へ。

 大きな拍手や歓声の中、ステージに上がり、客に視線を送る。その中に、エリシア信じられないものを見た。

 

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