酒場にて


 案内され裏手へ回る。オットーは先程の踊り子の一人を呼んだ。

「さてカサンドラさん、この娘はオリビア。君の指導係だ。何でも聞いてくれ」

「エ…カ、カサンドラです」 

 カサンドラと名乗ったエリシアは頭を下げた。指導係の女性は人懐っこい笑みを見せた。

 名前、まさか伯爵夫人と同じ名を名乗るわけにはいかない。エリシアは咄嗟に母の名を答えた。ちなみにハンナはハンナのまま。この国ではありふれた名前だった。

 指導係、オリビアに案内され稽古場へ。踊るには狭いが鏡が取り付けられていた。

「じゃ早速練習しよっか。さっき踊ってたのは簡単な部類のだから、それから教えるね」

「先程の、ですか?」

「うん。じゃあやってみせるから」

「先程のでしたら、私…踊れます」

「…へ?」


 カウンターに戻っていたオットーは、バックヤードからドタドタと駆け込んできたオリビアに目を丸くした。

「なんでぇ何かあったのか」

「マ、マスター来て!早く!」

 言われるがまま稽古場へ。そこには不安そうに立ち尽くしているカサンドラがいた。

「カサンドラ!さっきの、マスターの前でもう一回やって頂戴!」

「は、はい」

 カサンドラは両手を上げる。一呼吸置いて、踊りだした。ショーで見せたものと全く同じ振り付けだった。

「なんだ彼女この踊り知ってたのか」

「違うよ!あの、一回見ただけで覚えちゃったんだって!」

「まさか」

「それだけじゃない。すっごい上手い。私が教えるの気が引けちゃうわ」

 オリビアは悔しそうに言った。確かに、ただ踊るだけでなく指先、爪先まで意識した鮮麗された踊り方だった。あの祭りで見た通り。何よりも人を引き付けるミステリアスな東方の顔立ち。人を魅了するエキゾチックな瞳。視線を向けられたら者は虜になるかもしれない。オットーは既に5マルクを決心した。


 早速踊ることに。夜も更けて客もまばらになったから、お試しという形でステージに上がることになった。音楽隊は既に引き上げていたから、リュート弾きが呼ばれた。エリシアはトントンと話が進んで、まさか初日に舞台に上がるとは思っていなかったから物凄く緊張していた。ぎゅっとハンナの腕を掴んでいた。

「取り敢えず衣装を着て行って良かったですね」

「ええ…」

「お嬢さま、楽しんでらしてください」

「ええ。不思議なの。緊張してるんだけど、早く踊りたいとも思ってるの」

「そういうものですよ」

 リュートがかき鳴らされる。その合図で、エリシアは手を離してステージへ向かった。母親そっくりの後ろ姿をハンナは見送った。


 その時間まで居合わせた客は、幸運だった。突然始まったショーに現れたのは一人の少女。細い体つきを白い衣装が余計際立たせていた。手首と足首に巻かれた鈴がシャン、と鳴る。両手を上げたまま、片足でグルリと回って見せて、ピタリと立ち止まる。腕を下げると同時に顔が上がる。吸い込まれそうな紫の瞳。観客はその瞳に見事射抜かれた。

 

 エリシアは踊りながら内心ドキドキしていた。さっきから客の視線は嫌というほど感じているのに、前の五人組のような盛り上がりは無いように見えた。静まり返って、ただ見られている。

(私、あんまり上手じゃないんだわ…)

 これが終わったら辞退しよう。そんな事を思いながら精一杯踊り続けた。


 リュートのかき鳴らす音でクライマックスを迎えた。エリシアは頭を下げた。場内は音楽が無くなり更に静まり返っていた。エリシアはすっかり失敗したのだと思っていた。

 次の瞬間、大きな歓声が。余りにも突然でエリシアはそれが自分に送られているものだとは思わなかった。そろそろお顔をあげると、客は皆エリシアに賛辞を送っていた。

「ブラーヴァ!」

「ブラーヴァ!」

 聞き慣れない言葉だった。エリシアはもう一度頭を下げて袖へ下がった。


 袖で待っていたハンナに抱きつく。ハンナはあやすように背中をぽんぽん叩いた。

「お嬢さま、拍手が止みません。アンコールですよ」

「アンコール?」

「もう一度、壇上に上がって踊るんです」

「他に踊れないわ」

「同じでいいんです。一番盛り上がる所だけ踊ればいいんです。さ、行ってらして」


 背中を押され壇上へ。姿を見せると拍手は一層大きくなった。エリシアは胸が高鳴った。



「いやぁ大成功だったぜ。これ、今日の分」

 受け取る。額を見てエリシアは仰天した。

「こんなにいただけません」

「それ客のチップも入ってるんだ。俺が貰うわけにないかない」

「チップ?」

「心づけって奴だ。あんまりにも良い踊りだったから、客が君に感謝して金を出したんだよ」

「それは…ワイロですか?」

「正当な報酬だよ。客の気持ちも組んでやれ」

 エリシアはまじまじと貰ったお金を見た。それからオットーに向き直った。

「オットーさん…」

「マスターって呼んでくれ」

「マスター…私何も知りません。世間知らずでご迷惑お掛けするかと思いますが…これからもよろしくお願いします」

「…ああ!こちらからもどうか頼むぜ」



 深夜、朝方に帰宅。そのまま泥のように眠った。夢の中で、リュートの音楽が流れ、私はいつまでも踊り続けていた。



 起きたのはまた昼頃。眠気眼で外に出ると、先に起きていたハンナが洗濯物を干していた。ハンナが気づいて作業を止めて近づいてきた。

「おはようございます。お加減は?」

「平気よ。これくらい。ハンナこそ寝れた?」

「私は寝付きがいいんです。にしても昨日は凄く盛況でしたね」 

「…お母さまのお陰ね」

 ハンナは困ったように笑った。ハンナは母がエリシアに踊りを教えるのを良しと思っていなかった一人だった。

「昨日、お客さんからブラーヴァと言われたわ。あれって何だったのかしら」

「あぁ、あれは、お嬢さまを称賛する言葉です」

「そ、そうだったの…」

「お嬢さま、お嬢さま、昨日のショーはとても素晴らしいものでしたよ。本来なら…お立場としてはお止めすべきなのでしょう…酒場は、あまり治安の良い所ではありませんから。でも、昨日のお嬢さまはとても輝いていて…とても美しかった」

「ありがとう。ハンナに言ってもらえると心強いわ」

 手を取り合う。どこからか鳥の鳴き声が聞こえた。



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