夜の女王 カサンドラ③


 浮かない顔のエリシアを気遣って、ハンナは肩掛けを掛けた。

「今日はもう休みましょうか。二日連続でお疲れのようですし」

「…ううん。ハンナ、これからは出来るだけお店に行こうかと思ってるの」

「お身体、悪くしてしまいます」

「今まで通り、チップも贈り物も受け取るつもりは無いけど、お金を貯めてここから逃げようかと思ってるの」

「でしたら、私も働きます」

「ううん。ハンナは昼間から夜までずっと私の世話をしてくれてる。これ以上はハンナが大変になってしまうわ」

 ハンナは首を横に振って否定した。エリシアも引かなかった。

「だから私がちゃんと踊れるように、助けてほしいの」

「勿論です。今まで以上に仕えます」

 エリシアは頷いた。

「あの指輪も、返さないとね」


 夜のアルヴァ。この日のカサンドラは指に赤い指輪を嵌めていた。チラリと観客を伺う。この日もレオンことマティアス領主は同じ席に座っていた。毎日この人も暇なのか、他に理由があるのか。カサンドラはわざと赤い指輪を煌めかせてみせた。

 それからクルリと回った回転を利用して、指輪を外して観客へと投げた。客席にどよめきが上がる。その指輪はマティアスの元へ。彼は見事指輪をキャッチした。手のひらに収まった指輪を凝視していた。贈り物を突き返されたのだと知った周りから冷やかされる。マティアスはいつもの無表情こそ崩さなかったが、居心地悪そうに周りを無視していた。

 その様子を視界の隅で捉えながら、カサンドラは初めて胸のすく思いがした。ハンナも同じだったらしい。袖からガッツポーズをしているのが見えた。カサンドラも布の下で微笑んだ。


「やりましたね!お嬢さま」

 支度部屋で二人きりになるなりハンナは興奮してそう言った。すっかりカサンドラが抜けてしまったエリシアは逆に不安になっていた。

「大丈夫かしらあんなことしてしまって」

「何言ってるんですか。いい気味じゃないですか」

「まさかあんなに笑われるなんて思わなかったの。マティアス様、お怒りなんじゃ」

「向こうはお忍びなんですよ。さすがに何か仕掛けては来ないでしょう。これでお店に来なくなってくれたら万々歳ですし」

 戸を叩く音。エリシアは着替え中だったから、ハンナが出るとオリビアが小さな包みを持って立っていた。

「やっほー。今日は物凄く面白かったよ。あの毛皮商人さん、めげずにこんなの寄越してきたよ」

「レオンさんが?」

 エリシアは思わず振り返る。オリビアは続けて言った。

「ブレスレットだって。赤珊瑚だって言ってた」

「こんな高価なもの…私が踊る前に持ってこられたんですか?」

「ううん。ついさっき。マスターはまた断ってたんだけどね。カウンターに勝手に置いてかれてたってさ」

 ハンナが受け取る。あんなに恥をかかせたのにどうして、という思いと、本当にあの人はマティアスなのか、また疑問がむくむくと沸き上がった。

 しかしハンナは前向きに思ったらしい。

「また仕返しが出来ますね!」

「また?私もうあれで精一杯よ」

「これでよく分かりました。あれだけの事があったのにまた贈り物を持ってくるなんて、それだけお嬢さまにぞっこんなんですよ」

「ぞっこん?」

「メロメロって意味です。あのお方、むっつりって奴ですよ絶対」

「むっつり?」

 もうハンナは贈り物に夢中らしい。包みを開ける。オリビアの言った通り、赤珊瑚のブレスレット。遠くの海でしか採れないという貴重な宝石。エリシアも聞いたことがあるだけで実物を見るのは初めてだった。腕にはめて見る。ルビーとはまた違った落ち着いた色。だから余計、血を連想させて、エリシアは直ぐに外した。


「レオン」からの贈り物は続いた。その度にカサンドラとして贈り物を突き返した。いつもステージから投げ返されるので、周りも一つの余興と捉えて、二人のやり取りを見守った。贈り物と称して他の者たちも次々とカウンターに置いていくようになって、受け取らないつもりだったが、そうもいかず、全て店に寄付した。その中でもレオンからの贈り物だけは、毎回律儀に返した。

 レオンからの贈り物と分かるのは、それが全て高価なものだったからだ。絹の生地、ダイヤモンド、真珠。惜しげもなくポンポンと与えて、国の財政は大丈夫なのだろうかと心配になる。

 エリシアは今日の贈り物の金の首飾りを見てため息をついた。


「おいまた始まったぜ」

「今日も立派な贈り物したんだなぁ」

「毛皮職人って儲かるのか?」

「商人な。余程商売が上手いらしい」

「なぁ兄ちゃん俺にも教えてくれよ」

 バンッ、と肩を叩かれた青年、「レオン」は無愛想な面を隠そうともせず、静かに酒を飲んだ。常連はこの男が大層な無口でいつも同じ席に座っている事を知っている。宝石を投げつけられても全く動じない。鋭い目つきが通常らしい。レオンはいつもカサンドラの踊りをジッと見ている。見逃すまいと石のように固まって見ている。余程ご執心らしい。

 肩を叩いて無視された男は、全く気にする風でも無くまた話しかけていた。

「兄ちゃんそんだけ送って返されるってことはよぉ、その贈り物は合ってないってことだぜ」

 他の常連が口を挟む。

「いや、女王は誰からの物も受け取っていないらしい」

「え?マジか」

「そうらしい。全部店に渡してんだと」

「なんだよぉー俺が送ったハンカチもかよぉ」

 思いっきりガッカリする男は酒を一気に煽った。それからまだレオンに話しかけた。

「女王の踊りを見たら誰もが惚れちまう。アンタもそうだろ。つまりライバルってことだ。皆ライバルだ」

 レオンはチラリと男を見て、また視線を女王へ戻した。

「その中でもアンタのだけは女王自ら返しちまう。無視されてないっことだ。羨ましいなぁ」

「うるさい黙って見てろ」

 レオンは低い声で言った。男は両手を挙げて、おおこわ、と言った。


 ある日、エリシアはたくさんの贈り物の中から小さな花束を見つけた。ヒマワリの花束。思わず手に取った。通常の半分ほどの小さなヒマワリだった。

「かわいい…夏といえばっていう花ね」

「お嬢さま、生花ですし、このくらいなら受け取ってもよろしいのでは?」

「そうね…そうするわ」

 小屋に持ち帰って飾った。庭に出れば花などいくらでも見られるが、こうして飾って眺めるのもいいものだ。机の上に置いてエリシアは頬杖をついて眺めた。

 暑さ厳しい夏。昼間の庭の散策も控えていたが、日傘を支給してもらったので歩いてみた。しばらく見ていなかった庭は、すっかり夏の景色に様変わりしていた。ガザニア、ペチュニア、ブーゲンビリアまで。庭師の手入れの賜物だ。エリシアはもう少し遠くへ足を伸ばした。

 料理人が育てている畑。雑草もなく綺麗な畝に野菜が生えていた。エリシアが目にしたのは初めてだった。中には入らず遠巻きに眺める。一つ、野菜に紛れて黄色い花が咲いていた。エリシアはその花に見覚えがあった。

 あの小さなヒマワリだった。


 エリシアはハンナに相談しなかった。確かに同じヒマワリが咲いていた。いくら小さいとはいえそんなに珍しい品種ではない。マティアスが持ってきた物なのかは誰にも分からない。それにマティアスは高価な贈り物しかしない。自分が気にしすぎなのだ。エリシアはそう言い聞かせた。



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