第一章 恐怖の始まり
2019年十二月、このころはひたすらお祝いムードだった。私は映画の「ルパン三世 THE FIRST」や「スターウォーズ エピソード9 スカイウォーカーの夜明け」を楽しみ、世界全体が来るべき、2020年に向けて進んでいた。
東京オリンピックも迫っており、当時はナチスドイツ以来続いていたスポーツの国家利用など、ほとんどの日本人が知らず、オリンピックの夢に魅せられていた。
当時の私はグループホームに在籍しており、ほとんどわがままでルパンの映画を見に行ってしまった。映画の内容は凡庸であったが、劇場で見るのはやはり迫力が違う。
グループホームでも、ケーキを食べ、チキンを味わい、ジュースを飲むクリスマスパーティーが行われた。この後、三年にわたり、そんな楽しみも味わえなくなるとは、この時、世界中の誰もが思わなかっただろう。
恐怖は突然発生した。
中国の武漢の生鮮食品市場で起きた新型の肺炎の報告が始まりだった。国際ニュースで聞いた時には、へー。そんなことがあったんだ、としか思わなかった。正直、舐めていたのだ。SARSと同じように中国で終わるものだと思っていた。
だが現実は違った。
2020年に入り、このウイルスは世界中に拡散していった。当時流行りのグローバリゼ―ションによって、あらゆるモノと人を国境を越えて動かすという経済体質も災いしていた。初期に一番の被害を受けたのはイタリアだろう。
どうしてか、この国では病院がパンクするほどの重体者が続出し、死者が次々に発生した。特にこのウイルスは高齢者がかかると、ほとんどの場合、助からなかった。現在では、イタリアの老年者層の人々の中でまともに生き延びた人は運がいいとしか言いようがない。
ヨーロッパ、ラテンアメリカ、ロシア、アジア、アフリカ、アメリカと広がっていき、ついに日本も直接的被害を受けることになってしまった。
きっかけは豪華客船ダイヤモンド・プリンセス号のエピデミックだった。船内で発生した感染者の対応を、パンデミックの知識がほとんどない人間たちがしてしまい、ウイルスがついに国内に侵入してしまった。三年にも及ぶウイルスとの闘いの始まりだった。
ウイルスは世界規模の広がりを見せ、多くの人が苦しみ、死んでいった。日本では志村けんさんの死去によって、多くの人がガツンと思い知らされた。何もしなければ、自分たちも死ぬと。
そこから先は多くの人が知っているかと思う。連日のようにマスコミが騒ぎ出し、何の根拠もない推測を喋り散らし、みんながそれを信じてしまった。
マスクを買い求める人たちで街中のスーパーやドラッグストアは行列になり、乱闘が起きるほどになった。
電車の中で咳をしただけの人を悪だと決めつけ、ひどい暴言をぶつける人も多くいた。中には電車の非常ボタンを押す人もいたほどだ。
政府の対応もずさんだった。マスクが手に入らない人のためにと、有名なアベノマスクと呼ばれる使い勝手の悪い布製のマスクを配り、欧米の国々はロックダウンを繰り返した。何の根拠もない、あてずっぽうの方策ばかりが行われた。
私は、大学生の頃、ダニエル・デフォーやアルベール・カミュのペストを扱った作品を読んでいたため、早い段階で自宅待機、つまり籠りきりの生活をしていた。それしかパンデミックの時に自分を守る方法がなかったからだ。
無論、楽ではなかった。買い物は週に一回、それ以外はずっと部屋にこもりきり。朝起きて、朝食を食べ、ラジオのニュースを聞く。家の中で運動をしたら、小説か漫画を読む。夕方、風呂に入り、寝るだけという生活が2020年の全てだった。
つらかったのはラジオから入ってくる情報だった。全てが死に埋め尽くされていた。人の死を聞くのが当たり前になり、いわゆるインフォデミックというものが私の精神状態を悪化させていった。
何度も孤独に耐えられず、グループホームのスタッフさんを怒らせるほど連絡もしてしまったし、外へ出る勇気もなかった。
春が過ぎ、夏の暑さも陽の光も浴びず、秋の食欲も湧かず、冬になっていった。ひたすらラジオの音楽番組を聴き、何とか買い物で手に入れた角川つばさ文庫版の『十五少年漂流記』や『ONE PIECE』のアラバスタ編までを繰り返し読む日々。もう嫌だった。
政府から一人十万円の給付金が支払われたのもこの時期だ。耐えきれなくなった私はそのお金でニンテンドースイッチを買った。
やったゲームは「ポケットモンスター ソード」。もしもこの時、「あつまれ どうぶつの森」をしていたら、世界観が大きく変わったかもしれない。
ちょくちょく、とは言っても、ほんのわずかだが、作業所にも行った。だが、みんなギスギスしていて、とてもじゃないが話してストレス発散とはいかなかった。
私の酒量は増えていった。一日に十本もの缶ビールを飲むことも珍しくなかった。交流室にも行かず、外へ出るのが怖くて仕方なかった。
2021年になると明るい話題が入ってきた。ファイザー社とモデルナ社がワクチンの開発に成功したのだ。その年の夏には、日本でも接種が始まり、何とかそれにより、死者の数は減っていった。
だが、ついに私の我慢も限界を超えてしまった。グループホームにも「自由にさせろ!」という怒りがこもったメールを送ってしまい、急遽、私と両親とスタッフさんを交えた面談が行われた。
そこで何を話したのか、私は覚えていない。ただ、自由に外出したいし、ポケモンセンタ―にショッピングにも行きたい。旅行もしたいとわめき散らしたということだった。
私の血気迫る態度を受けて、両親も好きにしていいと言ってくれた。ようやく私は自由になれたわけだった。
なぜポケモンセンターに行きたかったかというと、その頃、巣篭もり消費でポケモンカードが大人気になっており、私も集めていたのがきっかけである。
YOU TUBEでも有名人のポケモンセンターでの買い物動画が出回っており、楽しそうだった。特に私はぬいぐるみが欲しかった。
長い孤独のために、友となるものが欲しかったのだ。私は買い物に出る決心を固めた。
やっと私の中で時間が動き出した。ついに動く時が来たのだ。
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