第58話 運転手の思い

 ラナ子の悲惨な過去が語られた。彼女は淡々と語ったものの,内に秘めた強い思いを,この場にいた全員が感じた。それは,今後,彼女がしたいという,まだ明言していない思いに現れるのかもしれない。


 ラナ子の話を受けて,運転手が自分の過去を語った。


 運転手「わたしは,亡くなられた奥様とは,中学校で同級生でした。クラブ活動も共に卓球部でした。充実した時間でした。高校,大学は別々でしたが,大学卒業して,社会人になったとき,中学校の同窓会があり,そこで奥様と再会しました。奥様は,まだ結婚されておらず,総裁の系列の専門学校の事務の仕事をしていました。わたしは,中堅どころの証券会社に就職していて,前途溢れる社会人人生をスタートさせていました。中学の同級生からも,羨ましがられました。


 ところが,それから数年もたたずに,麦国のリーマンショックパート2の影響で,倒産の憂き目に遭うとは思ってもいませんでした。


 職探しをしている時,すでに総裁と結婚していた奥様から,一時的にでもいいので,新しく仕事が見つかるまで,奥様の屋敷で臨時運転手をしないかとの誘いがありました。わたしはその誘いに乗りました。


 それからのわたしは,職探しをしながら,臨時運転手としての生活をスタートさせました。その後,正規の運転手が自己都合で止めてしまうようなこともあり,わたしは,正規の運転手になりました。


 空き時間がかなりありましたので,証券時代の経験を生かして,暇を見つけては,携帯で株取引を頻繁にしていました。その甲斐があって,数年後には数千万ほどの利益を上げました。もう,運転手をする必要もなく,自宅に籠もって株取引を専門にしようとも思いました。


 一度,奥様には,運転手を止めたいと申し出したこともありました。でも,やはり,知っている人がそばにいると安心できるとかで慰留されました。運転手の仕事を続けても,株取引にさほど影響しないので,そのまま運転手を続けることにしました。

 

 それから,数年が過ぎました。たぶん,2年ほど前からだったでしょうか。総裁の仕事が,軌道に乗っていないように感じました。それは,総裁を毎日,車に乗せているわたしには,よく分かりました。


 守秘義務があるので,そんなことは,口外しませんでした。1年前になると,総裁の顔はかなりやつれた状況になっていました。数年前からの感染症の影響で,高校や専門学校など在宅での授業にシフトする必要に迫られ,大幅な設備投資が必要となったり,生徒が辞めていったりと,いつ倒産してもおかしくない状況だったと思います。


 ところがです。半年前,奥様が亡くなられてからです。総裁が,急に元気になりました。再び,事業の拡張路線に復帰したのです。


 わたしは,何かがおかしいと思いました。よく考えて見れば,奥様の病気もおかしいものでした。いくら大学病院で精密検査を受けても原因なのです。あたかも何らかの呪詛にあったような感じです」


 この運転手の言葉に,マキは,ちょっと存在感を弱くした。というのも,総裁の妻を呪い殺したのは,なんとマキだった。


 仲介者を通しての依頼であり,依頼主を特定しないという約束で,高額の報酬による仕事だった。運転手のこれまでの説明で,ほぼ間違いなく,総裁の妻の殺害を依頼したのは総裁だとわかった。


 守秘義務もあることだし,マキは,何も言わず運転手の独白を聞いた。


 運転手「わたしには,金銭的余裕がありました。そこで,私立探偵を数社雇って,華丸財閥の財務状況と奥様の死因原因を調べてもらいました。これが,その報告書です。すでに,南方様には,このコピーをお渡しているものです。


 この報告書によれば,華丸財閥の財務状況は,3年ほど前から赤字に転落し,年を追うほどに赤字幅が拡大していき,メインバンクも追加融資を断るなど,破産一歩手前まで行っている状況であることがわかりました。それが,奥様が亡くなられた後に,財務状況が好転したのです。


 奥様の死因原因の調査報告によれば,時価80億円相当の不動産を有していることがわかりました。また,生命保険が5億円ほど奥様に掛けられていることも判明しました。


 わたしは,この事実を知って愕然としました。奥様は,まず間違いなく総裁に殺されてしまったのです。


 このことを知って,わたしは,中学生の時の奥様の様子を,日に日に強く思い出すようになりました。そして,,,わたしの思考は,極端な結論に達しました。総裁がリムジンカーに乗っているとき,運転ミスをわざとして,崖の下に突っ込むということです。そして,わたしが解雇を言い渡された翌日に決行する予定でした,,,」


 この言葉に,スミ子が反応した。


 スミ子「そうだったのですね? でも,解雇されのが結果的によかったですね」


 スミ子は運転手にニコっと微笑んだ。娘のラナ子は,母が運転手に気があると思った。


 運転手「そうですね,,,結果的に,スミ子さんたちと腹を割った話ができましたし,亡くなった奥様の祖母である南方様にもお話ができたのですから」


 南方静香「橘さん,孫のために復讐してくれるのはほんとうに嬉しいのですが,でも,自分の命を犠牲にするのはいただけません。橘さんが総裁を道連れにして崖に飛び込まないでほんとうによかったです。その意味では,スミ子さんや橘さんを首にしなさいと勧めた人物に感謝しないといけませんね。その人物に心当たりはあるのですか?」

 運転手「わたしたちが首になった日に総裁邸に訪問したのは,夏江という華丸私立高校の先生です。あっ,そうそう,彼女から名刺をもらいました。確か,『爆乳除霊師・夏江』だったかと思います」


 この話を聞いて,ラナ子は慌てて両手で口を抑えたものの,クスクスと笑い声が漏れてしまった。


 南方静香「まあ,『爆乳除霊師・夏江』ですか? なんとも大胆なお名前ですね。もし機会があれば,その夏江さんにもお礼をしないといけませんね。

 それでは,マキさん,報告,よろしくお願いします」


 マキも声には出さなかったが,クスクスと笑っていたが,コホン,コホンと咳払いをしてから返事した。


 マキ「わかりました。では,報告させていただきます。今回は,依頼主からのたっての依頼で,速やかに呪い殺してほしいとの依頼でした。そこで,呪詛を掛けてからわずか1週間で確実に殺す呪詛を掛けました。今回,総裁に掛けた呪詛は,精力を徐々に奪っていくものです。


 今回の場合,総裁に直接呪いを仕掛けるのは困難だと思いましたので,誰かの手を借りて,間接的に総裁に呪いを掛ける方法をとりました。ちょうど,運転手,女中,料理人の新規の採用が行われている時期でしたので,その中から特に若い料理人に声をかけて,彼に呪詛を植え付けました。これでわたしの仕事は終わりだと思って安心していました。


 あとは,1週間後に総裁が死亡したという報道を待つだけでした。ところが,1周間経っても10日経っても,一向に,総裁の死亡報道がなされませんでした。


 そこで,わたしは,ある秘術を使って,若い青年に植え付けた呪詛がどうなったかを追跡調査することにしました。すると,呪詛の流れは確かに総裁邸の方向に行っていました。そうなると,ますます説明がつきません。青年にかけた呪詛が解除された形跡もありません。


 そこで,わたしは,思い切って,総裁邸に忍び込んで呪詛の追跡調査をすることにしました。タクシーを飛ばして,総裁邸の傍でタクシーから下りて,人目に使い場所を選んで塀をよじ登りました。その際に監視カメラの位置を確認しました。すると,都合のいいことに監視カメラが壊れているのがわかりました。


 そこで,屋敷の庭に飛び降りました」


 マキの話を聞く者は,なにかサスペンスドラマを聞いているようなスリリングな気持ちになって聞き入っていた。


 マキ「わたしは,そこで,再度,呪詛の流れを,秘術を使って調べました。すると,それは,屋敷の中にではなく,やや離れた場所にいる女性に流れていました。その女性は,巨大なおっぱいをしている女性でした。


 わたしは,この時,初めて自分が若者に掛けた呪詛が,その巨乳の女性に移行したとわかりました」


 南方静香「それって,さきほど橘さんが言っていた夏江さんのことですか?」

 マキ「はい,後で知ったのですが,橘さんの言っていた爆乳除霊師・夏江でした」

 南方静香「まあ,そうでしたの」


 祖母は驚嘆の声をあげた。マキは,まさか霊子によって強制転移させられたなどと言えるはずものなく,このようなウソを言った。


 マキ「わたしは,夏江のことは後回しにして,総裁がどのような状況になっているのかを確認することにしました。そこで,別の特殊な秘術を使って,総裁のいる位置を確認して,さらに,総裁に掛けられている呪詛レベルを詳細に調べました。調べるのに1時間もかかってしまいましたが,おおよそのことが判明しました。


 総裁は,確実に呪詛にかかっていました。ですが,途中で若い料理人から夏江に植え付けた呪詛が移ってしまったことから,総裁に掛けられた呪詛が中途半端な状況になってしまいました。その結果,本来,1週間で殺せるはずの呪詛が,2、3週間にまで伸びてしまったということがわかりました」

 

 南方静香「あららら,,,そうでしたの」

 マキ「はい。そうです。このまま放置しておけば,総裁はあと1週間程度で死亡するはずでした」

 

 今の話は,明らかにウソだ。当時,そんな時間的余裕はなかった。でも,ウソも方便。当たらずとも遠からずの内容だ。もし,そうしていたら,そのような結果になっていただろうという憶測での内容だ。


 マキは,コーヒーを一口飲んでから話を続けた。


 マキ「ところが,夏江はひとりではありませんでした。仲間が3人いました。そのうちの一人が,わたしの存在に気づきました。ここで,騒いではまずいと思ったので,わたしは,夏江たちと密かに交渉することにしました。


 お互いの自己紹介をした後,夏江は,わたしに,総裁の呪詛の解除方法を開示するように要求しました。それを受け入れないと,わたしを不法侵入で警察に訴えると脅迫してきました。


 わたしは,それを受けいれるしかありませんでした。でも,何もしないで解除方法を開示するのもしゃくにさわりました。そこで,夏江に何か総裁に不利益になる情報の提供を依頼してみました。すると,なんと,夏江は,総裁が妻への殺害を依頼した映像を持っているではありませんか。その映像をわたしは,その場で確認しました。


 いったい,どうやってそんな映像を入手できたのでしょう? たぶん,夏江の特殊な能力なのではないかと思いました。


 この映像があれば,呪詛で呪い殺さないまでも,今のこの国の法律に則って総裁を裁けると判断しました。


 本来なら,事前にわたしの依頼主である南方さんに了解を取るべきでしたが,その場では,そのようなことをする時間もありません。

 

 わたしは,夏江の提案にのりました。わたしは呪詛を解除する方法を夏江に教え,夏江は総裁が妻に殺人依頼している映像データをメール添付してもらって入手しました。


 その後,わたしは,すぐに警察に駆け込んで,総裁を逮捕してもらうように説得しました。幸い,警察は,ちょうど,総裁の敷地内に死体が遺棄されるという情報が入っていたようで,すぐに動いてくれました。

 それから間もなく,総裁は死体遺棄と妻への殺人教唆の疑いで逮捕されました。総裁の逮捕については,南方さんの事前の了解が取れず,誠に申し訳ありませんでした」


 マキは,多少,ウソはあるものの,体勢に影響のないウソなのでよしとした。

 

 南方静香「マキさんに落ち度はありません。わたしも,その後すぐにマキさんから送られた映像データを見させていただきましたし,すでに,その映像を警察に提出済みだということも連絡いただきました。

 これで,あの総裁を正々堂々と裁いてもらえると思うと,涙が出てきて止まりませんでした。マキさん,ほんとうにありがとうございました。夏江さんともし会うことがあれば,わたしが心から感謝していたとお伝えください」


 マキ「はい,間違いなく伝えておきます」


 各自の説明が終わったので,南方静香は,ソファから立って,自分の机に戻った。そして,小切手帳を取り出して,そこに金額を書いて,スミ子,ラナ子,運転手に渡した。そして,マキには,手渡さず,机の上に置いて金額が見えるようにした。


 その小切手には,成功報酬の満額2億円の金額が記載されていた。マキは,内心『ヤッター』と思った。これで,夏江から巻き上げた5000万円と合わせて2億5千万円ゲットしたことになる。まずまずの成果だ。


 マキ「南方さん,これ,満額ですよね。これでいいのですか?」


 マキは,一応,呪詛失敗したことによる自責の念を南方静香に伝えた。彼女は,ニコッと微笑んで答えた。

 

 南方静香「確かに,総裁への殺害が失敗した以上,成功報酬の満額が支給できません。ですが,あるお願いを引き受けてくれたら,この小切手を差し上げます」


 なんと,条件付きの満額の小切手だった。


 マキ「そのお願いとは?」

 南方静香「実は,ラナ子なのですが,マキさんのところで,修行をしていただけないでしょうか?折角,呪詛の修行を何年もしてきましたし,このまま中途半端にするのも,本人にとってもよくないと思います。彼女は総裁を呪い殺すために自分の人生棒に振ったのです。彼女に,本物の呪詛とはどのようなものか,教えていただけないでしょうか? それは,本人の希望でもあります」

 

 母親のスミ子からも依頼された。


 スミ子「マキさん,わたしからもお願いします。これ,少ないですが,マキさんへの謝礼としてお渡しします」


 スミ子がマキに渡したのは,さきほど南方静香から受けとった小切手だった。額面1千万円と記載されてあった。


 スミ子はマキに頭を下げた。ラナ子も同じくマキに頭を下げた。


 マキはラナ子に質問した。


 マキ「ラナ子さん,わたしの弟子になることは,大変つらい人生を歩むことになりますよ。それでもいいのですか?」

 ラナ子「はい,覚悟はできています。マキさんの言うことなら,なんでも聞きます。どんなことでもできます。せひ,マキさんの弟子にしてください」


 そこまで言われてはマキも断り切れなかった。それに,満額2億円もらえるのだ。それで十分だ。


 マキ「わかりました。ではラナ子を,今からわたしの弟子としましょう。ラナ子,では,あなたに命じます。あなたが,今,呪詛以外で,心残りのあることを,1日以内でしておきなさい。それが終われば,わたしの元にきなさい」

 ラナ子「そうですね,,,はい,それは,この場ですぐに出来ることです。今していいですね?」

 マキ「この場できることなら,さっさとしなさい」

 ラナ子「わかりました」


 ラナ子は,母親のスミ子に向かって言った。


 ラナ子「お母さん,ちょっとだけ目を閉じてください」


 スミ子はなんのことか分からず目を閉じた。ラナ子は,自分のしている指輪を見つめた。それは,亡くなった奥様が,最後の力を振り絞って,彼女が得たパワーを指輪に植え付けたものだ。


 そのパワーを,ラナ子は母親に対して使う。いくら,母親への憎しみを打ち消そうにも,やはり,どうしても,憎しみを完全に打ち消すことはできない。ならば,いっそ,この指輪に託されたパワーを使って,母親のスミ子を意識攪乱状態にさせることで,自分の気持ちの整理をしよう。


 ラナ子は,指輪をスミ子の眉間に当てた。


 パヒューーン(スミ子が頭の中で聞いた音)


 スミ子は意識を失ってその場に倒れた。


 それを見たマキは,スミ子の傍らに来て彼女の様子を診た。どうやら,少し,霊魂と肉体が乖離しているかしていないかのギリギリの状況だった。また,スミ子のオーラを診ると,何か,淫乱な夢の中にいるような感じだった。


 マキ「スミ子さんは命に別状はないわ。たぶん,2,3日もすれば元に戻ると思います。でも,,,ラナ子,その指輪にあるパワーはいったいどうしたのですか?」

 ラナ子「このパワーは,亡き奥様からいただいたものです。もともとは総裁を殺すために使う予定でした。でも,女中を解雇されてしまったので,使う機会を逸しました。母親にこのパワーを使ったのは,自分の母親への憎しみの気持ちを精算するためです。これで,ほんとうに精算できるのかわかりません。でも,少しは気持ち的に楽になると期待しています」

 マキ「なるほど,それもひとつの解決の方法かもしれません」


 その後,南方静香の提案もあって,奥の離れで母親が目覚めるまで居させてもらえることになった。しかも看護は運転手が率先して申し出た。このことは,ラナ子の予想の範囲だった。ある意味,母親と運転手をくっつけるいい機会だ。ラナ子にとっては,母親にちょっと意地悪をすることで鬱憤を晴すことができ,かつ母親に伴侶をあてがえるという一石二鳥の行為だ。


 マキはラナ子を引き取って南方静香の家から去った。スミ子は離れでベッドに寝かされて運転手の看護を受けている。


 ひとりになった南方静香は,今回の報告会の概要をメールで,亡くなった総裁の妻の母親,つまり海外で生活している実の娘に報告した。そして,孫の遺影に向かって,今回の成果報告会の概要を説明した。


 南方静香は,やっと肩の荷が下りたと感じて,自分もしばらくベッドで横になることにした。


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