2.山の中、横になる

 初夏の森は、生気に溢れている。待ち伏せるようなことをせずとも、そこかしこに生き物の気配がある。

 そんな中、草を踏み、枝を踏み、道なき斜面に足を進めていた。這って進む必要があるほど急ではないとはいえ、足場は多少不安定。だが、ここを通らなければ目的地までかなりの大回りになってしまう。

 今日は一人ではなく、少女もついてきているのだ。そこは懸念事項ではあったのだが、


「なあ、おやぶんはいつもこんな険しい道を通って見回ってるのか? 大変だろ? 疲れたりとか、しないのか?」


 彼女はといえば、心配なんて杞憂だったと思わせられるほどに疲れた様子を見せない。こうして会話を挟む余裕さえあるほどだ。少なくとも、体力はある方らしい。一ヶ月で随分回復したものだと、感心さえあった。

 彼女の中ではおやぶん呼びで既に固まっているのか。一々気にするのも否定するのも面倒だと、半ば放置してしまっていた。

 

「それにさ、そんなに面白いものでもないだろ。山を日がなぐるぐるぐるぐる回って、毎日毎日おなじことして、楽しいもんなのか?」


 楽しいか、と。

 ふと投げかけてきたものにしては、中々重い問いだった。

 手放しに肯定できればよかったのものの、改めて考えてみると、難しい。

 獲った山菜や獲物を分けたりして、感謝されれば嬉しい。

 移り変わる森の色に、目を奪われることもある。

 だが、自分がこの位置に納まっているのは、自分の役割だからだ。仕事だと思っているから続けることが出来ているのかもしれない。そうすることで共同体の一部になることができる。

 人は一人では生きていけない。当たり前のことだ。それが例え、一人で逃げた先でも変わらない。

 勿論、他にやることもできることもないから、というのはある。改めて取得するのも気力の面で難しいし、弟子入りさせてくれる場所もないだろう。


 結論、それが自分の仕事だから。

 問いに答えるために出した即席の結論だが、しっくりときた。


「……それが仕事だから、かぁ。あ、いや、別に悪いってわけじゃないんだ。ただ、気になっただけだよ。というか、アンタのおかげで助けてもらったんだから、悪いとか言えるはずないじゃん」


 そこで言葉は止まり、仕事についての問いは終わることになる。聞いて来た意図はなんだったのだろうか。意図を問う間もなく、目的地へと着いた。


「どうしたんだよ、急に足止めて……もしかして、ここがおれを見つけた場所?」


 少女が倒れていた場所は、一際大きな杉の木の根元だった。杉の木は多く生えているが、特に目を引く場所だから覚えていた。


「思ってたより、開けた場所だなー。それに、村から結構近いじゃん。アンタに見つけて貰えなくても、頑張れば自力で村までいけたかもな……いやでも場所わかんないし、おれ一人じゃやっぱ無理か」


 彼女は独り言のように話す。彼女の中で、折り合いをつける儀式のようなものだろうかと、そんな印象があった。


「うーん……ちょっと足下、失礼するぜ」


 様子を見ていれば、少女は一言断ってから、急に彼女は「よいしょっと」とその場で横たわる。

 いきなり何事かと問えば、彼女はさも当然のように返してくる。


「何してるのかって……見て分かるだろ。ただ横になっただけだよ。こんな風に倒れてたんだろ……あー、確かに、こんな景色だった気がする」


 空を見上げては一人納得し、次いでこちらにも目を向けてくる。


「なあ、アンタも見てないで、一緒にやんないか? ひんやりしててけっこう、気持ちいいぜ。それに、いつも足下ばっか見て歩いてるんだろ。たまには空を見上げるのも、悪くないと思うぜ」


 まるで悪童が、小さな悪事に誘うような文句だ。

 だが、確かに言われてみれば、自分の生活とは、いつしか自然とそういう形になっていたかもしれない。

 けれども服を土や泥でわざわざ汚すというのも、いささか気が引けるのだが、


「もしかして、汚れる心配でもしてるのか? そりゃ多少は汚いかもしれないけどさ、汚いのは、どこだって同じだろ」


 お見通しとばかりに投げられる言葉は至極最も。腰を休める木の根さえ、虫や獣の死骸の上にある。

 それもそうかと思ってからは、話は早い。倣って、少女から人ひとり分離れた右隣に横になる。


「……まさか本当にやるとは思ってなかったっつーか……いや、悪いとはいってねえって」


 驚かれてしまっていた。

 自分から誘っておいて梯子を外してくるのは、少しお行儀が良くないのではないだろうか。


 一度は横になったのだから、恥ずかしがって起き上がるのは、それこそ気にしているようでばつが悪い。

 大人しく横になっていると、隣の彼女も大人しい。急に静かになるものだから、不安になってちらりと横で確認するも、空を黙ってみているだけ。

 少女に倣って、自分も見上げる。

 見上げた風景を、そして光を音を風を、肌に感じる。

 なるほど、と。

 たしかにこれは、いいものだ。


「ほらな、いいだろ」


 声に、ちらりと横目を向ける。少女は顔だけこちらに向けて微笑んでいた。まるで大事なものを共有するような、そんな無邪気な笑顔。


「風で葉と葉が擦れる音。鳥の鳴き声。木が高く伸びて葉っぱが生い茂ってるから、なんにも見えない。でも、確かにその向こうには空もお日様もあって、緑の向こうからこっちをじっと見て、温かくしてくれる……なんだか、いいよなー」


 ごろりと再び宙を見上げ、流暢に、まるで歌うように少女は呟く。


「こうしてると、人間、なんていっても、ちっぽけな存在だって分かるよな。自分よりも遙かに大きなものがあって、なんでか生きながらえていて、それも篝火みたいに、いつか消えてしまうものなんだなって……そう思うんだよ。分かるか? いや、分からなくてもいいんだ。おれも、別にわかってるわけじゃないし。ただ思ったままに話してるだけだから。真に受けられても困るぜ?」


 悪戯っぽく語る少女。

 その彼女とは、つい先ほど話すようになっただけの、短い付き合いでしかない。

 でも、茶化して混ぜっ返した口ぶりのどこかに、彼女の本心が隠れているような気もした。

 それから少しだけその場で過ごしてから、隣で起き上がる音。


「うん、満足した。ありがとな」


 清々しい顔で感謝を述べてから、彼女は続ける。


「よし、じゃーあ、これからは子分としてやらせてもらうってことで、よろしくな、おやぶん」


 よろしくされても、困るのだけど。

 胸のつかえが吹っ切れていい雰囲気とばかりに押し切られそうになったものの、冷静に返すことができた。

 ここまで案内することは了承したけれど、それと親分子分の話は別なのである。


「……だめ? いまのはなし崩し的に、受け入れてくれるところじゃないのかよぉ。けちくさいこと言わなくても、いいじゃねえか」


 一度は落胆したように、肩を落として俯きがちに話す彼女。けれどもすぐに顔を上げて、めげずに言葉を続ける。


「絶対、アンタの役に立ってみせるから、だからさ、試してみてくれよ。おれ、アンタの言うことなら、なんだってしてやるからさ」


 そう迫ってくる彼女に対してすげなくできないくらいには、既に情と興味が傾いている自分に気づいていた。

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