おしかけ子分と、山暮らし

大宮コウ

1.おしかけ子分と山の小屋

 かたかたと、木の板が震える音がする。

 鳴っているのは、家そのもの。古い平屋だ。自分が譲り受けたときよりも、随分前に作られたらしいご年配。多少木の板を上から張ったとして、すぐまた別の箇所が綻びがでて隙間風を吹かせていく。

 いかにも古く、一人で住むにはいささか広い。だが居を移そうにも、他に行く当てもない。外から流れてきた身としては、村の人に使わせて貰っている立場でしかないのだ。仮に壊れる日が来ても、そのときはそのときと腹をくくるほかない。


 怪しい風が吹いているけれど、空は荒れる様子を微塵も見せることのない晴天だ。雨が降るとすれば、明後日あたりか。経験則でそう判断する。

 昼食をとり、一休み。午後は朝に続けて、再び山を見回る予定だった。

 とりたてて特別なことのない日常。何事も変わることなく、いつも通りの日だ。

 そのはずだったのだが、今日はいつもと違う音がした。

 

 こん、こん、と扉を二度叩かれる。

 来客、だろうか。だが風で飛んできた小枝が当たった音と聞き間違えたかもしれない。疑問が頭に浮かぶような、控えめな音だった。

 再度、二度叩かれる。先程と同じような、軽い音。

 勘違いなどではなく、扉の向こうに何者かがいるらしい。


「お、おぅい。いるかぁー?」


 扉の向こうからはどこか変に力の入った……入りすぎて少しよれたようで、舌っ足らずな高い声が聞こえる。

 子供、だろうか。少なくとも、一度聞けばわかるような、声だった。

 しかし、覚えがない。

 果たしてこのような声の人物は村にいただろうか。そもそも、こんな山の中に誰かがわざわざ来るだなんて、滅多にあることではない。幻聴か、はたまた妖怪の類いか。そうでなくとも、一体、何事であろうか。

 時間は待ってはくれない。悠長に考えていれば、向こうは待っていられないとばかりに扉に手をかけた模様。施錠もしてない扉ががらがらがらと音を立てて開かれていく。


「お、お邪魔しまーす……」


 現れたのは、少女だった。

 成長半ばの背丈。そしてここらでは見ない鳶色の髪は年頃の若い娘のように長くはせず、編み込みもせず、飾り気なくこざっぱりと短く切っている。

 彼女が身につけている、よもぎ色に染色された麻の着物は、村の子供の普段着だ。そうなると、村の子供なのだろう。

 しかしやはり、見覚えはない。


「……念のため確認するけど、アンタが山で一人で暮らしてる、余所者の猟師……で合ってる、よな?」


 黙りこくっていれば、彼女は話を切り出してくる。どこか不安げな声色での問いに、肯定の意味で頷きを返した。

 少女は「だ、だよな……」とひとり納得したように呟き、


「その、久しぶり」


 と蓮っ葉な口調で、しかし顔色を伺うようにおずおずと、なのに幾日ぶりに顔を合わせた隣人であるかのような言葉をかけられた。

 猟師であるか、という問いには、大まかには彼女の言う通り一致している。他に山仕事を主な生業としている人物も、この辺りでは聞いた覚えないから、彼女が自分を目的としているのは間違いないのだろう。

 肝心なのは二言目。こちらについて彼女は知っているらしい。何か要件があるのだろう。彼女の確認が終わったので次なる言葉を待っていたのだが、


「……あのー、もしかしてだけど、おれのこと、覚えてない?」


 覚えていないか、と向こうが聞いてくるのであれば、一度以上は会ったことがあるのだろう。

 それでもやはり、覚えがないのだ。

 再度頷きを返せば、「……はぁ」と大きく溜め息をつかれてしまった。


「おれだよおれ。ほら、アンタにひと月くらい前、山の中でぶっ倒れているところを拾って貰った」


 言われて、ようやく思い出すことができた。いや、思い出すというのもまた違うだろう。なぜなら数ある選択肢の中から、それはないだろうと勝手に真っ先に排除されていたものだからだ。

 なにせ、拾ったときの少女は何もかも違う。確かに、改めて目を向ければ面影は感じる。しかし、面影でしかない。

 体は肉がなく骨張っていた。ずっと同じ服を着ていたのか、襤褸の服は土まみれ。髪は長く、何日も手入れがされておらずささくれ立っている。

 目の前にいるようなような、こざっぱりした雰囲気とは真逆といってもいい。それこそ、別人やら縁者やらと言われた方がまだ信じられる。まあ、自分なんぞを騙しても意味なぞないから、事実なのだろう。


「よし、やっと思い出してくれたみたいだな。いやー、人違いなんじゃないかって、ちょっと焦ったぜ」


 こちらが驚き、次いで納得する反応を横目に、なにも言わずとも思い出したことが読み取ったのだろう。少女はあどけなく笑って、それからぐい、と身を乗り出して話してくる。


「拾われてから……ここしばらくはアンタの口利きのおかげで、村長さんに面倒見て貰ってたからな。それも、ずいぶん経っちまったけど……あ、もちろんただ飯喰らいじゃないぜ? 最近は仕事とか色々手伝ってるからな。そこは誤解しないように」


 聞く限り、随分と安定しているらしい近況を述べてから、「でだ」と彼女は続ける。


「村長さんの手伝いも落ち着いたし、今日はな……アンタに恩返しに来てやったんだ。いや、今日から、って言ったほうがいいのか」


 どこか覚悟を決めるように一呼吸挟み、


「おれをアンタの子分にしてくれ」


 と、少女は言った。


 さて。

 子分、とはなんだろうか。

 突然の申し出に固まっていれば、補足するように少女は付け足す。


「……ああ、アンタのことは、村長さんからちゃんと聞いてるぜ。村の外、余所から来た人間ってことで、気ぃつかってここで暮らしてるんだろ? そんでもって、日がな森を見回っては、獲物が捕れたら村の人に分けに行くし、森で人が迷ったのを聞けば探しに行く善人野郎。でもって、行き倒れていたおれを助けてくれた命の恩人」


 どこか過剰な口ぶりに、肯定するのはいささか躊躇われる。

 確かに、彼女の言葉の中で、自分が行ってきたというのは事実だ。でも、それは自身から湧き出る善性なのではなく、打算あってのことでしかない。

 余所から来た人間には、どこだって厳しいものだ。とりわけ余裕がない人間達にとっては、特に。

 故に、少しでも自分が相手にとって価値ある人間であるかを示すため、わかりやすい利益を提示しているだけとも言える。要するに、円滑に生きるための処方箋であり、自分は根っからの善人というわけでは決してない。


「ま、アンタが本当に善人かどうかはどうでもいいんだ。おれはただ、アンタに恩返しがしたいだけだし」


 彼女もそうと理解しているのであろう。額面通りに受け取られていないのはいいけれど、続く言葉がよろしくない。


「森の見回りの手伝いとか、薪割りとか、炊事洗濯……なんだってするぜ。この家も……山小屋って聞いてたけど結構広いしさ、おれが寝る場所くらいはあるだろ? 今日からよろしく頼むぜ、おやぶん」


 まるで確定事項のように、将来の展望を語ってくるものだから、こちらといえば突然のことに混乱しきりだ。

 とりあえず、話していたことの中で一番気になったことを確認しておく。

 つまりは――何故に、親分?


「……え、なんでおやぶんかって? こういうときって、おやぶんって呼ぶんだろ? ししょー? とか呼ぶのも、なんかしっくりこないし」


 確かに、彼女は何を師事されに来たわけでもない。彼女の方からこちらを特別敬ってきているわけでも、逆に下に見ている雰囲気もいまのところはない。ならいっそのこと、親分として扱われた方が年長者としての面目も立つのだろうか。

 少なくとも、学のない自分にはそれ以上に適した言葉を思いつくことはできなかった。


「とりあえず、今日からアンタは、おれのおやぶんってことでいいよな」


 よくはまあ、ないだろう。

 拒否一択だった。


「……だめ? なんで?」


 駄目、というよりはそもそもの話、どうして自分の所に来たのかという疑問がある。

 少女を拾ってから応急処置を終えたあと、すぐに山を降りて村長に彼女を預けた。対応できることの範囲はこんな山中に一人でいる男より、村の人々のほうがよっぽど手慣れているだろう。


 村長とは、いま住んでいる山小屋を使わせて貰う時にも頼らせてもらっている。余所者に対して比較的寛容な人だ。彼女の事も無下にすることはないはずという算段だった。

 勿論、いざという時にはこちらで面倒を見ることも視野に入れていた。だが手伝いを任されるようになっているというなら、村人達の輪の中に徐々に溶け込んでいる。聞く限りでは、順調そのもの。

 こんな場所に住んでいる、年の離れた……自分のことではあるのだが、何をしているのかわからない、素性の知れない人間の下に来る必要はない。そのまま村で暮らしていればいい。そのはずだ。

 それが、まるでこちらの懐に潜り込み、定住しようだなんて話には心底理解しがたいものがあった。


 また、彼女がどこから来たのか、という話もある。

 もしどこからか迷い込んでしまったというのなら、帰る手伝いなどしても構わないと申し出ようとしたのだが、


「あー、一応言っておくけどさ、盗賊や山賊に誘拐されたとか、うっかりここまで迷い込んできた、とかじゃないよ。おれ、元いた家から逃げてきただけだし」


 なんでもないことのように、彼女は笑って語った。後腐れなど、全く以てなさそうな雰囲気。言い切られてしまえばこちらからできることもない。

 それに、だ。逃げてここまで来たと言えば、自分も似たようなものだ。訳ありの者同士、腹の探り合いをするつもりも、いまのところはなかった。


「まー、おやぶんも急に押しかけられても困っちまうよな。なら、一旦その話は置いておいてさ、それとは別にもう一つ、頼み事があるんだよ。おやぶんがさ、おれを拾ってくれた場所に行きたいんだ。もしどこか覚えてたら、案内してくれないか?」


 彼女から持ち込まれた話は、なんとも奇妙なものだった。

 彼女を見た時、それは倒れていたというよりかは、死にかけていたと言うのが正しい。あと一刻でも見つけたのが遅れていたら、こうしていま、会話できていたかさえ怪しいものだ。

 わざわざ好き好んで自分から戻りたくなるような場所であるはずがない。何か、大事なものでも落としていたのだろうか。もしそうであれば、こちらが一人で向かって探すのが早い。そう思ったのだが、


「ああ、落とし物? してないしてない。ここに来るときには、なんにも持ってなかったから……そうじゃなくて、ちょっと確認しておきたいことがあるんだ」


 とのこと。


「無理だったら、いいんだけどさ」


 と、諦め半分とばかりに零す少女。無理でもないし、覚えている。ここからしばらく歩くことになるが、日が落ちるよりも早くに行って変えることが可能な程度の場所にある、山の外れの小高い所だ。

 伝えていいものか、と思う気持ちもある。あるが、求めているのならばあえて隠す必要がないのもまた事実。

 把握していることを伝えれば、少女は切り出してくる。


「そっか、知ってるなら……案内してもらってもいいか? 見たところ、おやぶんも、今から出るところ、だよな? なら今から行こうぜ。それとも、今日は他に用事とかあったりするのか?」


 用事という用事はない。しかしこのままだと彼女の言う通りに、すぐにでも向かうことになりそうだ。

 会ってからほんの僅かな時間しかたっていない。だが、分かったことが一つ。

 この少女、押しが存外に強いところがある。


「もちろん、荷物くらい持つぞ。おれはアンタの子分だからな……まあ、よろしく頼むぜ」


 そして一転、彼女はどこかしおらしく頼んでくる。

 強引なようでいて、時折見せる弱気な態度にどうにも調子を狂わされていた。

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