第2話

 あっという間に豚丼をガツガツと平らげて家出少女は手を合わせた。

「ご馳走様」

「お粗末様でした…」

 人の金だからってトッピングをじゃんじゃんつけてついでに最大サイズの特盛で頼みやがった。別に構わないが。全くもって構わないが。

「お腹も膨れただろうし、もう帰って…」

「いや。考えてあげるとしか私は言ってないし」

 そう来たか。というか、九分九厘こうなると踏んでいた。だったら何故要求を飲んだのかと聞きたくなるかもしれないが、これは仕方のないことなのだ。こういう女性達とは本題に入るためにまず一つ言うことを聞いておかなければならない。そうしないと話すらしてくれないから。

 この少女もそういう…そういえば名前すら知らないことに今更気づいた。

「キミ、名前は?」

「ミドリ。身バレしたくないから名字は言わない」

「さいですか…」

 ため息を吐くのをなんとか堪える。別に仲良しこよしになりたいわけじゃないがここまで邪険に扱われると気が滅入る。

「お兄さんは?」

「翼。黒羽翼。生憎バレても困るような大した身の上じゃないから隠さないよ」

「ナニソレ嫌み?年長者の癖して器ちっさ。もっと大らかになりなよ」

 …………もう帰ってもいいんじゃないだろうか。こんなに図太い子ならきっと放っておいても…

 数日前に起こったあの、事件を思い出す。何人もの人間が首を切られ、あるものはもっと酷い死に方をして、最後は犯人自身も息絶えた残酷な出来事。

 あれほどの凶事が起こることはそうそうないだろうが、こんな華奢な女の子くらい飲み込んでしまうくらいの不幸や悪意なんてありふれている。

 乗り掛かった舟だ。行きつく先は分からないが最後まで付き合うとしよう。

「じゃあミドリ…さんでいいかな?」

「ん~何でもいいよ」

 彼女はスマホをいじりながら心底どうでもよさそうな声を出した。僅かに見えた画面上にはいくつもの音符が滑っていた。音楽関連の動画でも見ているのだろうか。

「こうしよう。キミの頼みを後一つ聞いてもいい。その後帰ることを約束してくれるならね」

「ふーん。でももし私が約束を破ったら」

「その時は警察に来てもらう。なにかの事件に巻き込まれるよりは補導の方がマシだろ」

 オレとてそんなことはしたくないが、やむをえない。家の場所さえ分かっているなら無理矢理でも連れて行くのだが生憎知らない。強引に聞き出すわけにもいかないし。

「………」

 ミドリはやや不満げに息を漏らし、黙り込んだ。一体どんな答えが返ってくるのやら。戦々恐々という心持ちだったが。

「……いいよ、それで」

 意外にも素直な返事だった。拍子抜けしてしまうほどに。

「じゃあ聞いてくれるんだよね、お願い」

「…まあ、公序良俗に反さず、金がなるべくかからないものなら」

「ケチだね?」

「こっちは貧乏学生だぞ。石油王じゃないんだ」

 金も切実な問題だが、時間の方も重要だ。もう予定より一時間以上遅れている。病気の上に怪我までしている唯をこれ以上放っておくことは出来ない。

「ま、いいや。じゃあさ…」

 豚丼か牛丼のおかわりだろうか。そういえば唯はお腹空いていないだろうか。最近食が太くなったから心配だ。帰りに何か買って帰

「私とデートしてよ」

「は!?」



「は!?」

 今何か猛烈に腹立たしい展開が起こっているような、そんな嫌な予感が走って目が醒めた。

 時刻は九時半、翼が出かけてから一時間以上経っている。電話をかけようと思ったが、手許にない。さっき投げてしまったことを今更思いだした。拾いに行こうにもそのエネルギーがない。

「はーやーくーかーえーってーきーてー!!」

 

「……はぁ…これいつになったら終わるんだ?」

「だってアナタが言ったんでしょ。一つ、お願いを聞くって」

 ゲームセンターに連れまわされ(当然オレの金)、コンビニスイーツの買い食いにも付き合わされ(もちろんオレの金)、街中をあちこち連れ回された(タクシーなど移動にかかる費用も…)。

「お兄さんゲーム強すぎ。チート使ってんの?」

「…筐体でそんなの出来るわけないだろ」

 シューティングゲームでスコアを競ったり、格闘ゲームで対戦したりしたが一度も負けることはなかった。体質のおかげでゲームの最小構成単位である一フレームから認識出来るのだ。『小足見てから昇竜余裕でした』というやつだ。

 もっともそんな結果の分かりきった勝負で勝ったところで楽しくないし、相手によるが、ムキになって更に時間を喰われることもあるからあまり好きではない。ミドリはどうにも勝ち負けを気にしている様子はなかったが。ただリズムゲームだけは本気で勝ちを取りに来ていたように思えた。思わずこちらも本気になってしまう程に。

「あーあ。リベンジしたいのにゲーセンしまっちゃった。次何処行こっかなー」

 このままじゃ日が昇るまで帰られそうにない。そろそろ多少強引にでもケリをつけなくては。

 意を決してミドリに声をかける。彼女は間延びした声で返事をして、振り向いた。

「はい?」

「ミドリさん。こんな風にふらついてたってなにも解決しないし、第一キミが楽しくないだろ」

 現実逃避したいのか、ただオレを困らせたいのかは分からないが、出会ったばかりの他人を連れまわしても楽しくなどないだろう。ましてやオレなんかが相手では。

「…ナニソレ?」

「もう帰ろう。待ってくれている人がいるんだ。キミだってそうだろ?」

 空気がひりつく。オレの問いには答えずミドリはそっぽを向いた。その反応を見て自分の失言に気づかされた。この少女は家出までしたのだ。少なくとも居心地のいい家ではないだろうし、最悪誰も待ってなどいないかもしれない。こんな知った風な口を利かせれば嫌気が差すに決まっている。

「…待たれたって、こっちは帰りたくないんだよ」

 泣きそうな声をして小さな背中を震わせる。それが収まったのと同時に彼女は逃げるように駆けだした。

「ちょ…」

 呼びかける間も、謝罪する間もなく後ろ姿は夜の中に消えていく。その気になればすぐに追いつけるだろうが…

 時刻は十時半。もう家を出てから二時間以上経っている。あれからまだ電話はかかっていないが、むしろそれが気がかりだった。ひょっとしたら病状が悪化して電話することも出来ないのかもしれない。

「…」

 もう潮時だろう。見ず知らずの他人よりも大事にしなきゃいけない相手が自分にはいる。それに他人の家の問題にまで首を突っ込む権利も義理もない。やれるだけはやった。それでダメなら仕方がないじゃないか。

 踵を返し、家に帰ろうとして、唯と顔を合わせた時の自分を想像した。

 この有様でちゃんと胸を張って会えるだろうか。やるだけやったが上手く行かなかったから見捨てました、とでも言うのか。

「…嫌だな、それは」

 ため息を気が済むまで吐いて、走り出した。

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