最終話 前人未踏の地の木
幸平の話は理解出来た。ただ、わからないことが一つ。
「ここで何をしていたんですか?」
「あぁ」
と幸平は小首をかしげ、何かを思い出すように、中空を見ていたが、やがて諦めるように首を振った。そして手にしていた懐中電灯を見せながら、何をしていたのかを語る。
「これで、屋上に何か特別な物が無いか、調べていた。命日を前にして、急に思い出したんだ。オレの勘違いかもしれないけど。輝喜は屋上で何かに目がいって、それでバランスを崩したように思えたんだ。でも、ご覧の通り」
そう言って幸平は、懐中電灯で屋上をグルリと照らす。が、そこには驚くほど何も無かった。
有る物はといえば、長いあいだ放置されていたであろう植木鉢が3つばかり。その植木鉢すら、まともな状態ではなく、強風によってなのか、3つともバラバラな方向に倒れていた。
2つは植木鉢が割れ、中の土が散乱しており、植物は無い。
残り1つの植木鉢も、似たような状態だった。もとは80センチほどの木が生えていたようだが、いまでは植木鉢ごと横倒しになり、中程で折れている。
ただその鉢は、先の2つの鉢と違って、幾らか水分を残していた。近くにある建物の陰でも影響しているのだろう。
「せっかくの植物も、誰にも見られずに枯れていくなんて、もったいないですね」
「前人未踏の地……」
と、幸平がつぶやく。
あまりにも大げさなその表現に、私は少し笑ってしまった。
「それは、大げさ過ぎじゃないですか?」
「そうじゃなくて、輝喜が前に言ってたんだ。『ボクらは、前人未踏の地に生えた、一本の木みたいだ』って」
「どういう意味です?」
「前人未踏の地に生えた大木があったと仮定して。それが倒れて朽ちた場合『大木があったことを証明できるか』という質問らしい」
「生えていたのなら、有ったことになりますよね」
「その説明は『前人未到』という前提を忘れている」
「あっ。それは、難しい」
「オレは、新しい自分(輝喜)の身分を与えられて、本当の意味で『生きる』事が出来ると思っていた。けど、この2年間を通して感じたのは、自分は『何も無い人間だ』ということぐらいだったよ」
「そんなことはないです」
「社会的に影響があったり、有名な人だったり、多くの人の上に立つ人がいる。それと逆の立場の人は、生きていたと言えるのか?」
輝喜は質問をしていたが、答えは求めていなかった。
放浪している間に『絶望』という回答を得てしまっていたに違いない。
しかし、私は気付いてしまった。
『前人未踏の地の木』に関する質問は、私たちの人生には、当てはまらないということを。
大前提として
そもそも、大木があったことを証明する必要があるのだろうか?
大木は存在していた。
それを周りの植物は知っていたわけだし、なにより大木は自分の存在を知っている。それは誰かに認められたから、存在しているわけではない。
ふと、先ほど見た3つの植木鉢が目に入った。ある意味、これが『前人未踏の地の木』かもしれない。
私は意識せず、自然と3つの植木鉢へと歩み寄っていた。
2つの植木鉢は乾燥した土があるだけで、他には何もない。私の目をひいたのは、木の植えられていた、残りの植木鉢だ。
いまでは割れた植木鉢と一緒に、木も横たわり朽ちている。その朽ちた木には、苔のようなものが生えていた。さらに、その木の下には……。
私は顔を上げ、視線を幸平へと向けて言った。
「あなたは、そんなくだらないことのために、1年も姿をくらませていたんですか」
「くだらないだと!」
幸平は激しい足取りで、近づいてきた。それから私の胸ぐらをつむ。が、その手からは、言葉ほどの力を感じられない。
長い放浪生活のせいで、弱っているのだろう。それだけ自分を責めて、追い詰めたということだ。
悔やんで悔やんで、私の想像なんて出来ないくらい、後悔してきたに違いない。
でも、それは間違っている!
そのことをハッキリと、目の前の幸平に伝えなければならなかった。
「あなたは千葉県で、輝喜の母親を看病しましたよね。弟さんに自分の正体が知られて、警察に通報されるリスクもあったのに」
恐らく輝喜の母親には、輝喜が死んでしまったことを報告に行ったのだろう。だが、輝喜の母親は認知症のせいで、幸平を輝喜だと思い込んでしまった。
そして幸平は、輝喜の母親が治らない病だと知り、亡くなるまで見舞いを続けたのだ。
「東京では芽奈ちゃんに手話を教えたんですよね。芽奈ちゃんから聞きました」
ネグレクトで
ネグレクトだということも理解した上で。
「幼稚園の火災で、死傷者が出なかったのは、誰のお陰ですか? あなたが助けたからですよね」
なのに、自分が助けたことは秘密にした。
「ヒトミさんと一緒に暮らした日々は、ムダだったんですか? 少なくともヒトミさんにとっては、ムダではありませんでした。今でも同じ場所で待ってます」
答えはとっくに出ていた。
なのに幸平は過去に捕らわれ、見ようとしなかっただけだ。
「これでも『何も無い人間』だと言うんですか? 生きているとは言えませんか?」
私は幸平の手を振り払うと、懐中電灯を奪い取った。そして、倒れた植木鉢の元へ、幸平の手を引いていく。
その場に座らせると、懐中電灯を下に置いた状態で、朽ちた倒木を照らした。
「大木が朽ちたことを、証明するのは難しいでしょう。ですが、朽ちた木は栄養となって、周りの植物に栄養を与えます。実がつけば動物の栄養になり、その種は遠くへと運ばれてゆくでしょう」
倒れた朽ち木の周りには、小さな芽が生えていた。虫の姿も見える。
「『輝喜』さん、東京へ戻って下さい。みんなが待っています」
幸平だった『輝喜』は、声を押し殺して笑った。笑い声は、嗚咽へと変わっていく。
私は『輝喜』に背を向けると、大きく深呼吸をした。
それは、とても澄んだ空気だった。
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