幕間6 ナナシ
刑務所から出たナナシは、もう偽造の仕事はしないと決めていた。
あまりにも、割に合わないと思ったのだ。
偽造が悪いことだということは、もちろん認識していた。だが、それほど悪いことだとも、思ってはいなかった。
仮に、ナナシの偽造した書類を使って、犯罪者が逃げたとしよう。その先で犯罪者が、新たな犯罪を起こすことも、充分にあり得る。
少し考えれば、想像できない話ではない。けれど、ナナシは考えようとすら思わなかった。
少なくとも、刺されるまでは。
ナナシを刺した女は、両親を殺されていた。両親を殺した男は、ナナシが書類を偽造さえしなければ、死ぬことのなかった人だった。
ナナシが刑務所を出て、連絡を取ったのは1人だけ。後は誰とも連絡を取らなかった。
過去の自分を消したかったのだ。
連絡を取った1人は、どうしても最後に会って、話しておかなければならない人物。
金原幸平である。
ナナシが連絡を取ると、幸平はすぐにやって来た。
「ナナシ!」
会うなり幸平は抱きついてきた。
「何度か会いに行ったのに、面会を断られたから……もう、会えないのかと思っていた」
「そのつもりだったが、やはり筋を通そうと思ってな」
ナナシは深く頭を下げて言った。
「すまなかった。それと、誰かに命を狙われたり、危険な目には遭わなかったか?」
「なにも。それよりナナシは、これからどうするの。行くところがないなら、一緒に……」
ナナシは大きく頭を振って、話を遮る。そうしなければ、自分の意思が揺るぎそうだった。
「住むところは、出所の前に決めてあるんだ。それに、もう会わない方が良い。いま、お前の働いている会社にも、迷惑が掛かるかもしれない」
ナナシは、そう言って幸平と別れた。
ナナシは、清掃の仕事をする会社に、住み込みで働き始めた。
それは出所する前に、面談した業者だった。ナナシに犯罪歴があると知っていて、それでも雇ってくれたのだ。
1週間後、ナナシの住んでいる寮を、幸平が訪ねてきた。どこに住むかを、知らせていなかったにも関わらずだ。
嫌な感じがした。もしかしたら、昔の仕事のつながりが、まだ続いているのではないかと。その情報網で調べ上げたのではないかと。
だが、それは考えすぎだった。
「あの日、ナナシの後をつけたんだ。それより聞いてよ。働いていた仕事は辞めたんだ。だから、これで大丈夫だろ、ナナシ」
「そういう事じゃないだろ!」
幸平が、ナナシを父親のように思ってくれているのはわかっていた。だからこそ、離れなければならない。
それも、なるべく早く。
幸平は、たびたびナナシの元を訪れて、世話を焼いた。
「良い息子さんだね」
と、同僚には勘違いされる。それが嬉しい自分が、ナナシは許せなかった。
どうにかしなければと思いながらも、3カ月ほど過ぎたある日。
「ナナシさんに、仕事をお願いしたいのですが」
井出野輝喜がやってきた。
井出野輝喜は、幸平の元同僚で、家庭環境が似ていることを切っ掛けに、友人になったのだという。
ナナシの昔の仕事は、なんとなく聞いていて、居場所などは幸平の後をつけて見つけたらしい。
幸平からは、井出野輝喜のことを聞いてはいなかったが、おそらくウソは言っていないだろうと思った。
ナナシは、自分の人を見る目に、少なからず自信があったのだ。
「悪いが、仕事はもうやっていない」
「まあ、話を聞いてください。幸平にも、僕にも、ナナシさんにも悪くない話のはずです」
井出野輝喜の話は、だいたいこうだ。
幸平は、ナナシの仕事を協力していた関係上、いつ危害を加えられてもおかしくない。それは、ナナシも
それをどうにかするには、身分を変えるのが一番手っ取り早い。が、架空の人物を作ると、嘘だとバレる可能性も高くなる。
本来なら身分を買ったり(ホームレス等から)、死んだ人間(役所などに届けていない)のモノを利用するのだが、どちらも少なからずリスクがある。
そこで井出野輝喜が提案したのは『金原幸平』と『井出野輝喜』の入れ替わりだった。
2人とも、身内が名乗り出る可能性は皆無とのこと。あとは、本人同士が了承していれば、入れ替わりがバレる可能性は低い。
そのあとは大阪を離れ、過去出会った人物と会わなければ、問題はないだろう。
疑問なのは、なぜ『金原幸平と井出野輝喜の入れ替わり』という、井出野輝喜にとっては何のメリットもないことを、彼が言い出したかだ。
それを聞くと、井出野輝喜は「僕は金原幸平になりたいんです。同じような境遇なのに、幸平はボクとはまるで違う。憧れなんです!」
と、目を輝かるのだった。
ナナシは、金原幸平と井出野輝喜の身分証明書などの偽造をおこなった。だか、それを井出野輝喜へ渡した後のことは、何も知らない。
ナナシは考える。
少なからず、井出野輝喜がおかしい事はわかっていた。が、このあと何があって、彼が転落してしまい、幸平が変わってしまったのか、理由がわからない。
どこで間違ったのか。
実際に翌日起こったことは、井出野輝喜が建物から転落して、死んでしまったということ。
正確には、井出野輝喜が金原幸平と間違われたまま死んでしまった。
間違われた理由は、井出野輝喜が『金原幸平(偽造名義)』であるという身分証明書を持っていたからだ。それを警察は、偽造と見抜けなかった。
正しくは『偽造の書類を使って』役所から『正式に出してもらった』身分証明書なので、正式な物とも言えた。なので、見破るもなにも本物なのだった。
事件の翌日
金原幸平は、井出野輝喜名義の書類を持って、ナナシの元に現れるた。
「輝喜の親に会ってくる」
そう言ったきり、いまもナナシの前に姿を現してはいない。
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