幕間5 とある夫婦2

 男Cと、女Dは愛し合っていた。

 互いに一生涯相手を愛するであろうと思い、事実その通りになった。

 CとDは、互いをこんなに好きなのだから、2人の間に子供が出来れば、その子供はもっと好きになるのではないかと思った。

 やがてDは妊娠し、子供が産まれた。

 好きな人との間の子供。互いの遺伝子を受け継いだ我が子なのだから、好きにならない要素はない……はずだった


 Dが我が子を見て、一番最初に放った言葉は「気持ち悪い」だった。

 なぜだかD自身にもわからない。ただ、嫌悪感がわいてくるのを、止めることが出来なかったのだ。


 Cは我が子の誕生に、出産の場で立ち会っていた。

 我が子の姿を見た瞬間、認めたくない感情が広がる。

「気持ち悪い」

 Dが吐き捨てるように言った言葉を聞いて、Cは理解した。

 そうか、自分の子供を愛していないのだと。

 恐らく、妻は理解してくれるだろうが、他の誰にも理解してもらえないだろうと感じていた。

 だが、この世に産まれた命。育てる『義務』があるとも感じていた。

 それが、自分達にとっての『責任』なのだと。

 その『義務』や『責任』の中には、残念ながら『愛情』は含まれていない。


 幸平という名前は、産まれる前に決まっていた。Cが有名な占い師にお金を払って、決めてもらったのだ。

 どういう気持ちが込められていたのかは、占い師しか知らない。


 幸平は、両親に愛されてはいなかったが、両親を愛していた。

 精神的な虐待は受けていたが、それはあまりにも日常的すぎて、虐待とは思わなかった。

 暴力を振るわれるわけでも、食事を与えられないわけでもない。

 目を見てもらえなかったり、触ると怒られたり、話を聞いてもらえないくらいのものだ。

「きっとお父さんとお母さんには、ぼくが見えないんだ」と幸平は思った。いや、思うことにした。


 幸平は高校2年の時に、ある男と出会った。

 男は自分の事を『ナナシ』と名乗った。

 街でナナシに声を掛けられて、仕事を手伝ったのだ。仕事は簡単で、バッグや封筒を相手に渡し、代わりの物を受け取る。ただそれだけで、1回1万円もらえた。

 まともな仕事だとは思わなかったが、それで上手くいっているので、疑問には思わない。


 ある日ナナシが言った。

「お前に声を掛けたのは、おれに似てたからなんだよ」

 そう言って笑った前歯の無いナナシ。その笑顔を見た時から、幸平にとって彼は特別な存在になっていた。


 あるときナナシとの待ち合わせ場所へ行くと、パトカーが3台止まっていて、辺り一帯を警察が立ち入り禁止にしていた。

「誰かが刺されたらしいぞ」

 人だかりの中で、誰かが言った。

 警察は、いつまで経っても立ち去らなかった。

 ナナシは来るだろうかと、2時間ほど待ってみたが、やはり来ない。

 そもそも、こんなに警察の多くいる場所に、ナナシが来るわけがないのだ。

 幸平は諦めて、家に帰った。


 その夜、待ち合わせの場所で男が、刺されたというニュースをやっていた。

 書類やパスポートの偽造を仕事にしていた男が、怨まれて刺されたのだという。

 刺された男は、公文書偽造等の罪で捕まった。


 夫婦は、幸平の変化に気がついていたが、全く興味が無かった。

 高校を卒業して、働き始めると言った時も、何の感情もわかない。家を出て一人で生活すると言われたときも、同様だった。

 いや、それどころかホッとしていた。


 時は流れる。


 Cは同僚が我が子の話をするのを聞いて、自分が普通では無いのだろうと思ってはいた。

「そういえば、先輩のお子さんは何才なんですか?」

 そう聞かれて、Cは即座に答えられなかった。

 息子の幸平が家を出ていってから、どれくらいが経ったのか。それすらわからないのだ。

 CはDを変わらずに愛していた。なのに、Dの生んだ我が子を、Cはどうしても愛せなかった。


 Dは近所のママ友が苦手だった。

 どうしても、話が合わないのだ。

「体ばっかり大きくなって。そのくせ家事は何にも出来やしない。まったく、夫が1人増えたようなものよ」

 ママ友はそう言いながらも、子供に愛情があることが伝わってくる。

 その度にDは、自分が『欠陥のある親』だと思い知らされ、いたたまれない気持ちになる。

 だから、幸平がいなくなることは、Dにとっての救いでもあった。

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