第8話 井出野家

 辺りは暗くなり始めていた。

 目の前には、年代物の大きな平屋の一軒家が建っている。輝喜の実家だ。


 私の手元にある情報は、決して多くない。

 現在の居場所を尋ねるのなら、実家に聞くぐらいしかないだろう。ただ、ヒトミの様子から、あまり歓迎されるような状況でないことはわかっていた。

 それでも、ここまできて諦めるという選択肢はない。


 輝喜の実家は、千葉県の南側。母親の入院していた場所よりは、いくらか北側に位置する。

 私は、前もって訪ねることを電話で伝えはしなかった。もし断られたら、無理に行くわけにはいかなくなるから。

 だから、あえて連絡を取ることをしなかった。

 自業自得ではあるのだけれど、歓迎されないとわかっている訪問ほど、気の滅入ることはない。


 玄関には、インターホンが付いていなかった。庭は木々が剪定されず、あちこちへ伸び放題で、雑草も生えている。

「どなたかいますか」

 建物の奥から、カタンと音がする。

 薄暗い廊下に、丸々と太った男が姿を現した。

「誰」

 その声には、明らかな苛立ちが混じっている。

 年は、まだ10代後半か、20代の前半くらいだろうか。身長は150センチ無いかもしれないが、体重は100キロを超えていそうだ。

 写真の輝喜とは、何もかも逆に見える。

 とても兄弟とは思えなかった。

 ひょっとしたら、家を間違えたのだろうか?

「ここは、井出野さんの家で、間違いないでしょうか」

「そうだけど、なに」

 口調は、更に苛立っていく。

「井出野輝喜さんが、ここにいるかと思いまして」

 私が言った途端、男の表情が苛立ちから笑みに変わった。

 ただし、人の神経を逆なでするような笑い方だ。

 なるほど、ヒトミが会いたくなかったのは、この男か。

「輝喜兄さんならいないよ。母さんの葬儀が終わって、すぐに出ていったからね。もう、1年にはなるかな」

「行き先はご存じですか?」

「知らないけど、もう『ここへは来ない』よ」

 違和感が一気に広がる。

 何かがおかしい。

「申し遅れましたが、輝喜の弟の真太郎です。立ち話もなんだから、中へどうぞ」

 男が歓迎しているとは思わないが、ここまで来て帰るわけにはいかなかった。


 案内されたのは、50畳ほどの大きな部屋だった。床は全て畳だが、どれもが古く、ササクレているものも幾つかある。

 10人くらいが1度に食事ができるくらい、大きな座卓があるくらいで、その部屋は物がなかった。生活感も感じられない。

「殺風景でしょ」

「この広い家に、何人でお住まいなんですか?」

 真太郎は、引きつったような、耳障りな笑い方をした。

「母が入院してから、誰も住んじゃいませんよ。その母も1年ほど前に亡くなり、やっと売り手が決まったんで、今日は最終確認に来ただけだから」

「家を売るということは、お金の分配で輝喜さんと連絡はとるんですよね。その連絡先を……」

 真太郎は、ゆっくりと首を左右に振った。それが、やけに芝居がかっていて、苛立たせる。

「兄さんは、財産の全てを放棄したから、もう戻る気は無いと思うよ。それより、どうして輝喜兄さんを探しているのか、教えてもらえますか?」

「あなたのお兄さんは、1年ほど前に人助けをしていまして。助けられた方から、ぜひお礼を言いたいと。それで、私が代わって探しているわけです」

「……1年前か」

 真太郎の表情が、怒りに歪む。が、次の瞬間には、全ての力が抜けたように、無表情へと変わった。

「輝喜兄さんの人生は、なんだったんだろうな」

「え?」

「輝喜兄さんは、2年くらい前に戻ってきた。けど、その前は大阪で働いていたらしいよ。もしかしたら、そこの人なら知っているかもしれないね」

 と、意味ありげに笑みを浮かべた。

「大阪のどこで働いていたんですか?」

「知らない。兄弟と言っても、し。兄さんは学校を卒業して、すぐに家を出てしまったからね。連絡をとっていたのは、死んだ母くらいじゃないかな」

 どこか他人事のように言う、目の前の男の感情が良くわからなかった。

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