幕間3 ヒトミ

 ヒトミが輝喜と最初に出会ったのは、現在働いているコンビニでだった。

 輝喜は身長が2メートル近くもあり、体はガッシリとしたスポーツマンタイプで、見るからに真面目そうだった。ヒトミが、いままでつき合ってきた男達とは、真逆といっても良いタイプだ。

 ヒトミが客で、輝喜が店員。

 ヒトミは翌日、すぐにコンビニへ履歴書を持って行き、採用されて同僚となった。

 完全な一目惚れだった。


 輝喜が別の世界の人間ではないかと、ヒトミは真剣に考えていた。

 いままでにないほど、胸が苦しくなった。毎日、毎時間、輝喜のことを考えてしまう。

 ヒトミにとって、初恋だったのかもしれない。

「好きです」

 コンビニの帰り道で告白したヒトミに、輝喜は困惑した表情で、こう答えたのだった。

「嬉しいんだと思う。けど、よくわからないんだ」

 その言葉にウソやごまかしはなく、真実の言葉だった。


 輝喜は24才で、ヒトミは22才。

 大した年齢の差はなかい。それよりも育った環境の差が大きかった。

 輝喜は、家事を何でも一通りこなす。

 逆に、ヒトミは実家暮らしだったこともあり、家事の一切をしたことが無い。

 なので1度、輝喜にせがまれて弁当を作ったことがあったのだが、かなり悲惨な結果に終わってしまった。それでも、輝喜は大喜びで弁当を残さずに食べて「ありがとう、ありがとう」と、何度も泣きながら礼を言ったのだった。

 ヒトミはそんな輝喜が、ますます好きになっていった。


 輝喜は感情を表に出すタイプではなかったのだが、ヒトミとつき合うようになってから、変わっていった。人間らしくなったという方が、正しいのかもしれない。

 ヒトミが輝喜の家で、半同棲するようになったのも、自然な流れと言えるだろう。

 輝喜は、異常なくらいに荷物が少ないので、ヒトミは好き勝手に荷物を持ち込んだ。

 毎日が幸せで、毎日が記念日だった。


 そんなヒトミが、輝喜の異変に気づいたのは、同棲が半年ほど過ぎた頃のこと。

 ヒトミは、輝喜と休みを合わせることが多かった。もちろん、一緒にいたかったからだ。

 なのに輝喜は、せっかく休みを合わせても、一人で出かけるようになってしまう。

 行き先を聞いても、ごまかして教えてくれない。

 あるとき、思い切って「他に好きな人が出来たなら、そう言って」と言ったら、やっと輝喜は理由を教えてくれた。

 とてもためらった口調で「母親が、死にかけてるんだ」と。


 輝喜の母が入院している病院は、千葉県の南のほうにあった。

 輝喜のアパートからだと、片道2時間近く電車に乗り、更に15分ほど歩かなければならない。

 輝喜は最初、なにかと理由をつけて、ヒトミが一緒に行くことを拒んだ。が、それは全くもって無駄な抵抗だった。

 ヒトミの固い決意の前で、輝喜のごまかしなど、無いに等しい。


 輝喜の母は、少し大きめの病院に入院していた。3階にある、6人部屋の窓ぎわ。

 そこに輝喜の母はいた。

「輝喜だよ、母さん」

 ベッドへ横になった女性は、体中からチューブや配線のようなものが、たくさん出ている。生きていることが不思議なくらいに痩せて、触れるだけで崩れてしまいそうな肌。

「きてくれたんね、テルキ」

 その声は、かすれていた。

「今日は、彼女を連れてきたんだ」

 輝喜が一大決心して言ったであろうその言葉は、母親の耳に届いてはいなかった。

「ごめんなさい、テルキ。ホンシンじゃなかったんよ。しんじておくれ……」

 輝喜の母は泣いていた。が、涙もほとんど出ないほど、その体は弱りきっている。

「わかってる…わかってるから」

 急いでハンカチを出して、母親の涙をぬぐう輝喜。それを咎めるような口調で、入口から声がした。

「これは、これは、輝喜兄さんじゃないか! また来たのかい?」

 兄さんと言うからには、輝喜の弟だということはヒトミにもわかった。けれど、疑い深そうな眼差しや、まん丸に太った体、低い身長と、何から何まで輝喜とは違う。

「その女性は?」

「彼女は、関係ない」

 弟に聞かれて、輝喜は即座に言った。

『関係ない』と。

「忠告しておくよ。もう、ここへは来ない方が良い。それが、アナタの為だ」

 弟は輝喜にではなく、ヒトミに言っていた。

 意地悪とかではない。

 おそらく親切心から。

 それはヒトミへ向けられた、口調や態度からもわかった。優しさと、寂しさのようなものが混じったもの。

 外見は全く違うのに、どこか輝喜に似たものを感じていた。


 病院を出て、ヒトミと輝喜は言葉を交わさず、同棲しているアパートへ向かった。その間、互いに言葉を交わすことはない。

 お互い違うことに思いをはせていることが、ヒトミにはわかっていた。

 玄関の前で輝喜が「頭を冷やしてくる」と言い、どこかへと走り去ってしまった。が、その時のヒトミは、その状況に少しホッとしてもいた。


 翌日8月20日(日)

 輝喜は23:20に帰宅。

 輝喜は全身が薄黒く汚れており、焦げ臭い。

 ヒトミの目を見て、何かを言いかけるが、結局なにがあったかは語らず。そのままアパートを出ていく。


 8月21日(月)

 早朝に電話があり

「もう、終わりにしよう」とだけ言われて、電話を切られる。

 その日、輝喜はコンビニを退職していた。

 店長の話では、母親が亡くなったらしい。

 輝喜は家に戻らない。


 8月22日(火)

 ヒトミがコンビニのアルバイトを終えて、アパートへ戻ると、輝喜の荷物だけが無くなっていた。


 ヒトミはアパートのその部屋で、現在も暮らし、輝喜の帰りを待っている。

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