第5話 隠す人
「ちちち、ちが……」
右の人差し指と親指だけ立てると、激しく手首を左右にゆすった。
わたしの記憶の中で、その動きと重なるものがある。
手話?
手話で『~ではない』という否定に使う表現に似ていた。けれど、偶然似た形になっただけかもしれない。
手話で試してみた。
『本当は、男、悪くないこと知ってる?』
芽奈ちゃんの目が、みるみる生気に満ちたものへと変わる。
『しゅわで、はなせるの?』
と、芽奈ちゃんは少しぎこちない手話で答える。
やはり、間違いはなかった。
「立ち話も何ですから、中へどうぞ」
園長の声で我に返る。
そして自分の立っている場所が、幼稚園の前だということに、初めて気がついた。
真新しい建物だ。
そんな私の視線に気がついたのか、園長が続けて言う。
「ほとんど全焼でしたが、みなさんの協力もあって、どうにか建て直したんですよ。クラウドなんたらって……なんか、そんなのでね」
私は歩調を遅くして、園長の後ろに回ると、ハナマルに合図を送った。
園長を指差して、次にハナマルを指さして、お願いするように平手を縦にする。
ハナマルはうなづいた。
どうやら、伝わったらしい。
「ところで園長さん。こんど番組で、幼稚園を取材させてもらうかも、なんだけど……」
「あらぁ! 大歓迎よ」
園長はハナマルの話しに食いつき、ハナマルは私に向かってウインクをした。
園長は、ハナマルと話ながら、どんどん先に進んでゆく。とりあえず、私の存在は忘れてくれたようだ。
さて、問題は山積みだった。
しかし、わかったこともある。
いままでの様子を見るかぎり、ハナマルも園長も手話を知らない。となれば、手話で芽奈ちゃんと話しても、読みとられることはなさそうだ。
ただ、芽奈ちゃんは、あまり他の人の前で、手話を使うところを見られたくないのだろう。そうでなければ、いくらなんでも園長が気付くはずだ。
園長の話が事実なら、芽奈ちゃんの母親も、手話を知らないということになるが。まあ、それは今どうでもいい。
それよりも、ハナマルが何を隠しているのか、知る必要があった。
私が間接的に、悪事を手伝わされているとは思わないが、隠すからには何か後ろめたい事に違いない。
そもそもハナマルが、いま頃になってその男を捜すのも謎だ。
とにかく、少しでも私が有利になる情報を、知りたかった。
『教えてほしい。男の人の居場所』
『ヒミツ』
芽奈ちゃんの顔がこわばる。
『あなたの知っている男の人が、悪い人でないことを、私が証明する。私は、秘密を守る。絶対!』
『ホント?』
芽奈ちゃんの顔が、こころもち和らぐ。
『約束』
芽奈ちゃんは約束の手話から、右手小指を外すと、私の前に出す。
私も同じように、右手の小指を立てると、芽奈ちゃんの小指に掛けて、指切りゲンマンをした。
芽奈ちゃんは納得したのか、神妙な顔でうなづく。
『テルちゃんは、えきまえコンビニいた』
『いた?』
過去形?
『あのひから、いない』
『あの日? 火事のあった日?』
『そう』
と芽奈ちゃんは、今にも泣きそうな顔になる。
男のいなくなった日を、思い出したのか。
この様子だと、嘘ではないだろう。
『テルちゃん。イデノ テルキ』
『わかった。ありがとう』
お礼を言って、私は幼稚園に顔を向けた。一応は、取材のまねごとをしなければ、不審に思われるだろう。
男の名前と働き先がわかった。芽奈ちゃんには、もう少し聞いてみよう。1年以上も前の話だから、あまり期待のし過ぎは良くないけれど。
そう思った私の袖を、芽奈ちゃんが引いて、視線を向けさせてから、
『あのオンナ、あのひ、なにかワルイことしていた。たぶん』
『あの女って、ハナマル?』
芽奈ちゃんはうなずくと、幼稚園から駆け出していく。
「ちょっと、芽奈ちゃん!」
芽奈ちゃんは振り返り、手話で『またね』と。
これ以上、聞き出すのは無理か。
私も手話で『またね』をやった。
芽奈ちゃんは嬉しそう手を振って、走って行ってしまう。
「記者さん、こっちですよ!」
園長が幼稚園の1階から、窓を開けて手を上げていた。
「あの、芽奈ちゃんが帰ってしまって」
「まぁ、仕方ないわね。メーちやんは、気分屋なところがあるから」
私はこれから、幼稚園でニセの取材をしなければならないのだった。
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