幕間1 喜久代 ⇨ ハナマル

 花丸喜久代はなまる きくよは、自分の『喜久代』という名前が嫌いだった。

 正確に言うならば、喜久代という名前の響きに嫌悪していた。

 なぜなら『喜久代』という言葉とセットで、必ず『痛み』があったからだ。

 喜久代の父は、気に入らないことがあると喜久代を殴る。母はそれを『見て』『聞いて』いたが、何もすることはなった。まるで、何も起こっていないかのように、ただ黙っていた。

 喜久代を庇えば、次は自分が『痛い目に遭う』のがわかっていたからだろう。

 喜久代は、そんな母を恨みはしなかったが、愛しもしなかった。

 唯一の救いは、テレビで見るアイドルだった。綺麗な服を着て、歌や踊りも出来て、みんなが愛してくれる。

 そう、愛してくれるのだ。

 自分とは真逆の存在に『憧れ』て、同時に現状を絶望していた。

 それが6才の頃。


 そんな生活に変化があったのは、喜久代が14才になったときだった。

 喜久代の誕生日に、父親が死んだのだ。

 神さまはいたと、喜久代は思った。

 父親は飲酒運転の車に、はねられたらしい。即死ではなく数時間してから死んだと聞いた。

 誰にも看取られることなく、長い時間を苦しんで死んだのだ。が、何も感じなかった。

 ただ、解放されたとだけ思った。


 喜久代は母子家庭で育ったが、お金がないこと以外、それ程不満を感じなかった。

 あこがれのアイドルになるために、父親の死後すぐに、様々なアイドルオーディションへ応募した。が、食事をろくに与えられていなかったせいか、身長が低く、痩せすぎていた為に、相手にされなかった。

 父親の暴力で出来た全身のアザも、まだ体中に残っていたので、どのみち無理だったろう。


 喜久代は、高校だけは出て欲しいという母親の望みを叶えてから、東京へと出ていった。

 本当は、栄養失調の体を、健康的なモノにする時間が必要なだけだった。結果として母親の望みを叶える形となったわけだ。


 東京に出た喜久代は、アイドルのオーディションを受けまくった。その結果、地下アイドルグループ『ハッピー・ラフレシア』に所属することとなる。

 喜久代は、作った明るいキャラクターと、天然な会話で人気が出て、グループでは一番人気となった。

 人気は年々増加してゆく。が、引退。

 喜久代は、アイドルの世界から去った。


 原因は名前だった。

 ファンは「喜久代」と呼ぶ。その度に、体に痛みを感じ、フラッシュバックがおこるのだ。

 名前を呼ばれたくない。

 もう、引退をするしかなかった。

 この日、花丸喜久代の中で『喜久代』は消えて『ハナマル』に変わった。


 目的を失うと、なにもしたくなくなる。

 アルバイトをしても、長続きはしなかった。

 働く気力さえ無くなっていき、生きる気力さえ消え失せようとしていた。そんな日に『あの事件』は起こった。

 幼稚園で火災が起こり、逃げ遅れた先生1名と生徒1名が、助け出されるという事件だ。

 助け出したのは『花丸喜久代』になっている。

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