第1話 骨折からの物語

 8月30日。

 もう、夏が終わろうとしていた。


 世の中は平等ではない。そんなことくらいは知っている。

 でも、いくらなんでも、酷すぎると思う。

 私が仕事に復帰出来るのは、1ヶ月も後(既に約2カ月入院済)だというのだから。


 まず私に何が起こったのか、話すべきだろう。けど、それが正直よくわかってはいない。


 6月20日の出来事だった。

 仕事の帰りに意識が無くなり、気がついたら路上に倒れていた。

 以上。


 冗談ではなく、本当にそれしか説明のしようがないのだ。

 気がついたときには、右手首と左膝を骨折していた。その間の記憶は無い。

 最初、見た目は普通だったので、転んだだけだろうと思っていた。だが、立ち上がった途端、その憶測が違っていることがわかる。

 膝の痛みが、尋常ではなかったのだ。

 なんとか苦痛に耐えながら立ち上がり、やっとのことで1.2歩進む。が、そこで数分休憩しなければならないくらいに、酷い痛みだった。

 それでも救急車を呼ぶのは、恥ずかしいような申し訳ないような気がして、結局は歩いて1番近くの病院へ向かった。


 500メートルも無いような距離を、1時間ほどかけて汗だくで到着。

「これは綺麗に折れてますね」

 と言われて、緊急入院となった。


 退院できたのは、それから2カ月後。

 右手と左足というのが、入院を長引かせる要因となった。

 仮に手と足が両方とも右か、左だったら、もっと早く退院できていただろう。だが、私は手と足逆方向を折ってしまった。結果、松葉杖を使うことが出来なかったのだ。

(松葉杖を使う手は、折れた足と反対側の手になる)

 入院が長引いた、もう一つの理由は、意識不明になった原因がわからなかったこと。

 原因がわからなければ、またいつ倒れてしまうかわからない。だから、退院の許可が下りなかったのだ。

 車に跳ねられた(引っかけられた)可能性も否定は出来ないが、私の記憶が飛んでいるので、結局は謎のまま。

 倒れたときに出来たと思われる、傷だらけのメガネと、擦り剥いた唇。それ以外、私にはなんの痕跡もなかった。


 退院できた後も、傷が化膿しないように、汗をかくようなことは禁止とのこと。

 もうすぐ終わろうとしているとはいえ、まだ8月だ。

 さらに、骨折箇所はボルトやプレートを使っていても、完全にくっついているわけではない。当然、装具(補助具)も身につけている。

 となれば、動かなくても暑い。

 見た目は、服装さえ選ばなければ、目立たないようには出来た。とはいえ、残念ながらスーツなどは着られそうにない。

 会社からは「骨折しているのが、見てわかるのは良くないから」という理由で、強制的に1カ月の停職延長を言い渡されていた。


 そうは言われても、私は一人暮らしなので、家賃も食費もかかる。そのうえ、リハビリ代まで掛かるのだ。

 どうしたらいいのか、途方に暮れつつも、リハビリの為に病院へと通うしかなかった。

 お金と時間が掛かって、さらに苦痛だとしても、とにかく『普通』に動けるまで、リハビリを続けるしかない。


 診察室の外で、自分の順番を待つこと15分。

 私の名前が呼ばれる。

「……さん、診察室3にお入り下さい」

 私はスピーカーの声にしたがって、『診察室3』へ入った。

 幅奥行き共に4メートル程の部屋で、担当医の滝沢先生が、手足の可動領域や傷の完治度合いを確認する。

 いつもと、何も変わらない。痛みも完全には消えていないし、ケガの前と比べて、やはり曲がる角度は浅かった。

「先生、手と足は元に戻りますか?」

「切ったり貼ったりしてるからね。完全に戻るのは、難しいね」

 まるで私の体を玩具のように表現をする医師に、少し苛立ちながらも『確かに切ったり貼ったりした』と、妙に納得もしていた。

「じゃあ、来週の月曜日、同じ時間で」

「ありがとうございました」


 診察室の外に出ると、フードを目深に被った、グレーのパーカーを着た人物が、正面に立っていた。身長は160センチあるかどうか。私より身長は低く、シルエットも細い。

 サンスグラスとマスクまで付けていて、誰だかわからないが、とにかく『あやしい』人物にしか見えない。

 目の前までやってくると、その人物は私の名前を口にした。

 若い女性の声だ。20代といったところだろうか。

「私に何か用ですか?」

「話したいことがあるの。とりあえず、一緒に来てもらえる?」

『不審者』はそう言うと、私の右手に手を伸ばして、手首をつかもうとする。が、寸前でその手を止めて、あらためて左手首をつかみ、歩き出した。

 私の右手の装具に気がついたからか。

 だとしたら、酷いことをするつもりは、ないのかもしれない。

 私の手首をつかんだ彼女の手は、とても細く小さな手だった。

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