応援コメント

第6話 利き手」への応援コメント


  • 編集済

    手話…私も実は大学時代、勉強を教えるボランティアで伺っていたフリースクールのとある子供に役立てれば…と手話を勉強したことがあるのですが、忙しさを言い訳に簡単な会話程度までしかものにならず…

    でも、最後の日その子や親御さんからは凄く感謝して頂き、却って申し訳無さと後ろめたさで落ち込みました…
    自分に酔ったエゴだったかな…と。
    この作品を拝読し、その頃の事を思い出してジワリと来てしまいました… 

    手話への深い愛が伝わってくる丁寧で綺麗な文章も拝読してて楽しいし、色々思い出します。
    本当に惹きつける展開や言葉選びがお上手ですね…

    作者からの返信

     私の拙い文章を読んでいただき、申し訳なく思いつつ、本当に嬉しいです。

     誰かに寄り添い、手話の勉強をなさったのですから、それは素晴らしいことだと思いました。本当に。
     何かしようと思う人は、わりと多くいます。ですが、そこから行動にうつすことの出来る人は、あまりいません。
     それをしなければ、自分に不利益があるのなら、たぶんやるでしょう。ですが、やっても自分の利益になるかわからない。ましてや、失敗してしまうと、お金や時間をムダにするだけ。そう考えると、考えるだけの人が多いのも、納得は出来ます。

     ですが、京野さんは勉強を教えるボランティアもされていて、手話も覚えた。簡単でもなんでも、コミュニケーションが出来るのは、その子にとって絶対に嬉しかったはずです。

     優しくされた人は、きっと別の人にも優しくしてあげます。笑顔は、きっと笑顔を増やすはず。
     きっかけは、エゴでもなんでも良いと思います。

     それに、まだ私たちは生きているのですから。
     後悔や失敗をしたら、次に生かしましょう。ムダにしなければ良いのです。
     そう、私は思ったりしています。

     なんだか、偉そうになってすいません。
     また、読んでいただければと思います。