花嫁の誓い Ⅰ
「ああ、ミレーユ様! お捜しいたしましたわ!」
「――!!」
室内に響くセナの声に、硬直していた思考が解かれる。
どうやら彼女は突然走り出したミレーユの後を追い、ここまで探しに来てくれたようだ。
「まさか《辿りの間》にいらっしゃるとは思わず、駆けつけるのが遅くなりました」
「辿りの間?」
「はい、わたくしもさきほど扉が開いて入室することができましたが、こちらのお部屋は入室する者を選びます。ミレーユ様は、初代竜王陛下の魔力に招かれたのでしょう」
セナは、招かれざる者はけっして入室できぬ部屋であることを、嬉々として説明してくれるが、ミレーユはうまく理解できなかった。
想い人の少年にあまりにも酷似した姿絵が、すべての機能をショートさせてしまう。
(もうなにがなんだか分からないわ。なぜ、ここにヴルムの絵があるの?)
これは、他人の空似なのだろうか。
「あの、この子は……」
動揺しながらも、それでも肖像画を指し示せば、セナはにこやかにほほ笑んだ。
「カイン竜王陛下の幼少時代の姿絵ですね。お懐かしゅうございます」
「幼少、時代?」
「ミレーユ様とのお約束を果たすべく、すぐに儀式に入られてしまいましたので、この絵は数少ない貴重な一枚となっております」
「私との……約束?」
流れるような情報に、頭がついていかない。
「ああ、ですがこの時の御名はカイン竜王陛下ではなく、幼名のヴルム様ですね」
「……ッ‼」
心の中で、何度も呼んだ名だった。
記憶の中にしか、存在していなかったはずの名だった。
(ウソ……そんなことが?)
雷に打たれたかのような衝撃と、考えもしなかった事実に視界がゆがむ。
「あ、――」
動揺のあまり力が抜け、体勢を崩した身体が後ろへとよろける。
そのまま大理石の床に崩れ落ちると思った瞬間、ふわりと何かがミレーユの身体を抱き留めた。
てっきりセナが助けてくれたのだと思い、礼を言おうと顔を上げて驚いた。
ミレーユの身体を支えてくれたのは、カインだったのだ。
「か、カイン様!」
会うにはまだ心の準備ができていなかった。
問いたいことはたくさんある。
でも、何より聞きたいのは――――
(貴方は、ずっと私を想っていてくれたのですか?)
エミリアではなくて、本当に〝ミレーユ・グリレス〟を指名してくれたのだろうか。
そうであって欲しい気持ちと、そうではないのかもしれないという不安が揺れ動く。
不安定な想いが瞳に滲み、それが雫となってこぼれる前に、ミレーユの傾いだ体を支えてくれたカインが口を開く。
「君の妹が、自分こそが私の求めた花嫁だと言っていた」
ヒュっと、喉がなった。
「正直、まだうまく理解できていないが……君は、私と結婚する意志でここへ来てくれたわけではないのか? 幼い時の約束を、待っていてくれたのだと……」
「――――ッ」
ああ、やはり彼はヴルムなのだ。
心臓を貫かれたような衝撃に、身が竦む。
謝罪しなければと、咄嗟に口を開くも。
(でも、何から?)
自分は、あまりにも多くのものを取りこぼしていた。
いままではずっと、カインたち竜族を欺いていたことに対してのみ良心の呵責を感じていればよかったが、事はそれだけではなかったのだ。
「わ、私は、……いま、ここであの肖像画を見るまで、貴方がヴルムだと気づきもしませんでした。それどころか皆さまを欺こうと」
どれだけの弁解を口にしたところで真実はひとつ。
覚悟を決め、ミレーユはすべてを話そうとした。
しかしこれにカインは首を振り、ミレーユの懺悔を阻むように遮った。
「此方から話すべきだった。話すべきことも話さず、勝手に得心して来てくれたのだと思い込んだのは私だ。すぐに迎えにいくと約束したのに、長らく待たせてしまったことも含めて、すべて私の招いた不手際だ」
「違います! カイン様のせいではなく……――⁈」
否定しようとした声が途中で切れる。
大いなる魔力に包まれ、竜王として生まれた特別な存在。
そんな彼が、自分の目の前でひざまずいたのだ。
驚愕のあまり、気道を塞がれたような錯覚さえ抱く。
「な、な、カイン様⁉」
おやめ下さいと叫ぶ前に、恭しく右手を取られた。
いつぞやクラウスがしたように、手の甲に唇を落とされることこそなかったものの。ミレーユの心拍数を一気に上昇させるには十分な威力をもつ光景だ。
「けれど信じてほしい。君を想う気持ちはあの日と一つも変わっていない。――――いや、それ以上に君を想っている」
強い眼差しをまっすぐに向けられ、真摯に紡がれる言葉。
「この結婚に君の意思がなかったとしても、私には到底あきらめることなどできない!」
生命の色ともいえる深紅の瞳は、燃えるように煌々と光を放っていた。
そんな瞳の強さとは裏腹に、彼の指はひんやりと冷たかった。ひどく緊張していることが、熱を通して伝わってくる。
ミレーユはぎゅっと唇を食むと、声を震わせながらも自分の本当の気持ちを吐露した。
「私は、ただ唯々諾々と王女として日々を過ごし、貫く信念も明確な志も持たずに生きてきました。何一つ成し遂げたことなどなく、己の無知を恥じることばかり。……誰の目から見ても、貴方の花嫁にはふさわしくありません」
「ミレーユ……」
重たげに名を呼ばれる。
耳に柔らかく響いたヴルムの声とは違い、重厚さを纏った大人の声だ。
記憶の中にあったそれとは、明らかに違う。
それでも称呼に込められた声音に慈しみを感じてしまうのは、自分の思い違いだけではないはず――――。
ミレーユはみっともなく声を喉に詰まらせながらも、一世一代の勇気を振り絞った。
「ですが……――カイン様が求めてくださるとおっしゃるなら、変わると誓いましょう」
「ミレーユ?」
いまの自分は空っぽのいれものだ。
中身のない筒を、どれだけ美しく飾り立てたところで、芯のない空洞は透けて見えるだろう。
それでも、あきらめたくなかった。
彼が自分をそう思ってくれるように、自分もあきらめたくなかった。
「怖気づく心を捨て、強くなると誓います。貴方の花嫁として横に立てるよう、己を磨きます!」
胸に手をあて宣言すると、カインは一瞬惚けた顔をして。
それからすぐに頬を綻ばせた。
長いまつげが縁取る端整な双眸が、ふわりと穏やかに細められる。
その安堵と歓喜が入り交じった笑みに、ミレーユは自分のくだした選択が、彼を傷つけることにならずにすんでよかったと、心の底から思う。
「ありがとう、ミレーユ」
「へ?」
ホッとしたのも束の間、カインは立ち上がると長い腕を伸ばし、ミレーユの身体を抱きしめようとした。
(えっ、ええっ? ち、ちょっと待ってくださいっ。これ以上触れられたら……!)
たぶん、卒倒する。
右手を取られただけで、心臓が大太鼓を打ち鳴らすように騒いだのだ。
これで抱きすくめられようものなら、確実に気を失う自信がある。
――――と。
「ミレーユ様!」
遠くから響くのは、ナイルの声。
振り返れば、ナイルとゼルギスの姿が目にはいる。なにやら強い既視感を覚える光景だ。
あの時とは多少異なるのは、こちらに向かってくる中にクラウスがいること。そして、彼を含めた三人がやたら疲労の色を滲ませていることだった。
疲れ切ったとばかりの彼らの顔色の悪さに気を取られているミレーユの横で、彼女を抱きしめそこなったカインが残念そうに「チッ」と舌を打つ。
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