竜王の困惑


「あの日はきちんと名をお伝えもせず、大変ご無礼をいたしました。わたくしは、エミリア・グリレス。癒しの力を得意としております」


 違和感のある口上に、カインは「おや?」と片眉をあげた。


 名なら初対面の日にきいている。癒しの力が得意だというセリフまで同じだ。


(たんにあいさつを交わしたことを、彼女が忘れているだけか)


 ミレーユの妹に恥をかかさぬためにもカインはあえて訂正せず、にこやかに笑う。


「遠方から来られてお疲れでしょう。こちらの都合で、ミレーユとの再会も手短になってしまったとか。すぐに済むとは思いますが、それまでは客間でくつろいで…」


 言葉は最後まで発せられなかった。

 その前に、なぜかエミリアが身体を押し付けてきたからだ。


 柔らかさよりも、肉の薄さが目立つ弾力が肌にあたる。


 訳がわからず目を見張れば、横にいたゼルギスに「え。どういうことですか? 貴方、花嫁の妹をいつのまに誑かしたのですか?」とばかりの批難に満ちた表情を向けられた。


 なわけないだろう! と、自分の右手に刻まれた竜印を見せつける。


 声なき会話を繰り広げている間にも、エミリアは、準備がどうたら、羽がどうたらと言いながら、カインの腕にしなだれかかった。


「こうやってまたお会いできて嬉しゅうございます。はじめてお会いした時から、この方こそわたくしの本当の運命のお方だと確信しておりましたもの」

「運命……?」


 彼女の運命どうたらについてはしらないが、自分の唯一の番ならもうすでにいる。


(その相手は、君の姉だが……)


 これはどういう類の冗談なのだろう。


 虎族あたりならこういった嫌がらせをしそうだが、なぜミレーユの妹が?


 それとも気づかぬうちにすでになにかやらかしており、父と同じく早々に姻族から嫌われたのか?


 様々な思考が頭を駆け巡る。わりと切実にパニックだった。


 熟考の着地点が定まらないところに、エミリアが一層強く身体を押し付けてきた。


「姉がご迷惑をおかけしたのではないですか? 父から聞きましたわ。カイン様とお会いしたこともないというのに、分不相応にも花嫁に選ばれたと勘違いし、こちらに無理やり押し掛けたとか」

「――――は?」


 エミリアの狂った距離感も気になるが、それ以上に気になる発言をされ、カインの頭上に疑問符が飛ぶ。


「本当にお恥ずかしいですわ。少し考えれば、名を勘違いなさっていることなど、すぐに気づくものでしょうに」

「いや……、なにも間違っていないだろう」


 彼女の言動も意図するところも不明だったが、なんとか言葉を吐き出す。


「私はミレーユに縁組みを求め、そちらも了承した。なにが間違っているというのだ?」

「わたくしの名はエミリアですわ。ミレーユは、姉の名です」

「??」


 その返答は、自分の問いに対して適切な回答として発したものなのだろうか。真意をはかりかねる。


(まったく話が噛み合っていないような……)


 ここまで意思疎通ができないと、一種の恐怖すら感じる。

 カインは身体をよじり、腕に絡みつくエミリアの腕を振り払った。


「ちょっと待ってくれ。意味が分からない……」


 額に手をやり、もう一度冷静に反芻するも、やはり理解不能。


 ミレーユが不相応にも花嫁に選ばれたと勘違いした?


 無理やり押し掛けた?


 使者を送り、迎えにいったのはこちらだ。


 万事滞りないよう、ナイルも同行させた。


 下した指示に、落ち度があったとも思えない。


「ああ、どうかお気を悪くなさらないでくださいませ。カイン様を責めているわけではございませんわ! もとはわたくしが名をきちんとお伝えしていなかったことにございますもの!」


 指を交差して組み、涙目で訴える姿は、見るものからすればいじらしい少女のそれに思えただろう。だが、カインにとっては彼女が発すれば発するだけ難解度が上がるだけだった。


(名を伝えてなかったとやけに強調するが、この意味不明さはそこに起因するのか?)


 しかしいくら考えたところで自分一人ではどうにもならず、カインは控えていたゼルギスとナイルに助力を求める視線を向けた。


 すると、ゼルギスは思い当たる節があるのか、口元に人差し指の背をあて考え込み。ナイルはすでになにかを悟った顔で、露骨にエミリアへの不快感をあらわしていた。


 二人の表情から察するに、確実に自分よりも事態を把握している。


 カインが問い質そうとしたとき、少々場違いな声が突如響いた。


「おい、オレを城内立入禁止にするとはどういう了見だ!」


 不機嫌な顔で現れたのはクラウスだった。


 いつも通り飄々とやってきたクラウスは、門番から足止めをくらったことにひどく立腹していた。


 城内立入禁止はカインが命令したものだったが、勝手に侵入してくるあたり、まったく意味を成していない。


 カインは頭を抱えた。


「クラウス、いまお前に構っている暇は……」

「なんだ、あんた本当に来たのか」


 クラウスはエミリアを見るなり、そっけなく言った。


 その言いざまは、呆れているようですらある。


「――……ひッ!」


 クラウスの整った容姿に目を奪われていたエミリアだったが、瞳を向けられた瞬間、本能的な畏怖が走る。


 元始、虎とネズミという明確な強弱関係を前にして、冷静を保てるほどエミリアの胆力は据わっていなかったのだ。


 全種族の中で、脅威という点において竜族に勝るものはない。


 しかし、カインたちは幼い時から力を制限することを覚えさせられ、初代竜王の時代から受け継がられる抑制の衣を日常的に羽織っている。エミリアにとっては、むき出しの魔力をもち、機嫌悪くやってきたクラウスの方が恐怖は強い。


 ガタガタと手足を震わせ顔色を青くするエミリアの様相に、カインはなにを脅えているのか理解できずにいた。


 確かにクラウスは祈年祭に同行する際、元始における力関係を配慮するためだと、認識阻害のマントを要求し、名も伏せていた。だが、


(ミレーユは、素のクラウスと普通に会話をしていたじゃないか)


 しかも傍からみても、自分よりもはるかに自然に……。


 それを考えれば、彼女の脅えは行き過ぎにしか感じなかった。


 よもやミレーユのそれが、幼い時から無遠慮に威圧を放つ隣国のせいで、無駄に培われてきた精神力によって保たれていたなどあずかり知らないカインは、エミリアを捨て置き、クラウスに問う。


「本当に来たのか、と言ったな。なぜ彼女が来訪することを知っていた」

「ミレーユ嬢から聞いただけだよ。――チッ、もうちょっとお前で遊べるかと思ったが、つまらん」


 カインを冷やかし、ミレーユにはその分フォローをするつもりでやってきたのだが、早々に種明かしが来訪したとあってはここまで。残念でならないとクラウスが口を曲げる。


「ミレーユが?」

「あ、姉が何を言ったかは存じませんが、そ、そのような威圧を放たれるいわれはございませんわ!」


 もともと気の強い性格なのだろう。己の恐怖を振り払うように、エミリアが叫ぶ。


 これにクラウスは一つため息を吐くと、淡々と反論した。


「威圧? 失敬な。そんなものを弱者に意味もなく放つほど、オレは狭量ではありませんよ。そっちが勝手に恐れを抱いているだけでしょう。……まったく、ミレーユ嬢の方はもっと毅然とされていましたけどね」

「わたくしが姉よりも劣っているとおっしゃりたいの!?」


 これみよがしの揶揄に声色がきつくなり、細い眉がつりあがる。


「そうは申しておりませんが、度量があるとは言い難い」

「わ、わたくしはっ、来るべくして来たカイン様の本当の花嫁でございますよ! 無礼ではありませんか!」


 言葉を交わすだけで、いままで味わったことのない過度な緊張を強いられることに耐えられなくなったのか、エミリアが不遜に言い放つ。そして、すぐさまカインの腕をとって懇願した。


「カイン様、こちらの方はいったいどなたですの? なぜわたくしがこのような――」

「私の本物の花嫁とは、どういう意味だ?」


 低く、硬い声が問う。今までのカインとは明らかに声色も言葉遣いも違っていた。


「……どうとは? そのままの意味ですわ。父に、わたくしとの婚姻をお求めになったではないですか。あれほどの婚資額を提示してまで」

「君は……、それを本気で言っているのか? 私が求めたのはミレーユだぞ」

「ですから、わたくしの名はエミリアですと」

「それは分かっている!」


 カインの一喝に、地面が揺れる。


 抑制の衣を羽織ってもなおこぼれる魔力の圧に、エミリアは震撼し大理石の床に崩れ落ちるが、カインの咆哮は止まらなかった。


「さっきから何なんだ! 君の名は初対面でも聞いた。アルビノの外見から、ミレーユの妹だと察して話しかけたんだ。そんなことより、なぜ私が君を求めたなどと虚偽の発言をする。ミレーユの妹とはいえ一線を越えているぞッ」

「……どういうことですの? だって、祈年祭の日に、わたくしを一目で気に入ってくださったと」

「それは君じゃない、ミレーユのことだ」

「姉は、今年の祈年祭には参加しておりませんわ!」

「今年? こちらの使者が〝今年〟の祈年祭と、そう伝えたのか?」

「え……」

「私がミレーユと出会ったのは、十年前の話だぞ」

「じゅ、十年前?」


 齧歯族の寿命で換算すればあまりに長い年月。


 エミリアはあっけにとられたような顔で、口をパクパクと動かした。


「そもそも、なぜそんな思い違いをしたんだ。説明などせずとも竜印を見れば分かることだろう」


 その疑問に答えたのは、つまらなさそうに事態を眺めていたクラウスだった。


「カイン。言う必要もないと思って伝えてなかったが、齧歯族に竜印は見えない」

「……なんだって?」

「だから、見る力がそもそもないんだよ。視認できねーの」

「視認できないって、……なぜ?」

「あのなぁ、お前たちは生まれた時から普通に古語や秘文を理解するからピンとこないんだろうが、竜約は古代魔術。竜印も古代図形だ。視認するだけでも、それ相応の魔力と知識が必要なんだよ」


 クラウスは床から立ち上がる気配もないエミリアをチラリと見た後、「あの一帯の種族程度じゃ、まず無理」と、嘲弄交じりに言い放った。


「では、ミレーユには?」

「そりゃあ見えてないだろう」


 間を置かず、さらりと放たれた断言に、カインは絶句した。


 以前、彼が言っていた言葉が脳裏をよぎる。


 〝竜族の常識、世界の非常識〟


(ちょっと待て。この言葉は、それほどに根深いのか……)


 動揺を隠せないでいると、地べたから刺々しい声が飛んだ。


「ご、ご冗談でしょう⁉ では、本当に姉に婚姻を申し込んだというのですか? あのヒトは、針を紡ぐしか能のない女ですよ。行き遅れの姉に、カイン様の花嫁が務まるはずがございません!」

「……なに?」

「そもそも、姉はわたくしの代わりにこちらに参っただけ。端からカイン様に嫁ぐ気など一切ございませんわ!」


 恐れのあまり床に伏してなお、語気を荒げるエミリアに、カインの灼熱の瞳が陰る。


 それはまるで、火山雷が落ちる前の、闇夜の静けさ。



 ――――マズイ‼



 動いたのは、竜王という生き物の本質を知るゼルギスとナイルだった。


 鳴動と共に噴き上げてくるであろう焔を瞬時に予期した二人は、ありったけの魔力を腕に込めると、叩きつけるように大地へと放った。

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