花嫁の誓い Ⅱ
「セナ! 貴女が傍にいて、なぜカイン様の暴挙をお止めしないのです!」
「も、申し訳ございません!……事の成り行きに戸惑い、思わず魅入っておりました」
うなだれるセナと、説教をするナイル。
そうだった。ずっと、セナがいたのだ。
いまさらながら気づいたミレーユは、さきほどまでの一件を思い出し、いっきに頬を紅潮させた。あまりのいたたまれなさに、穴があったら入りたい。
なぜナイルがセナを叱責しているのか。その理由はよく分からなかったが、自分の責任のように感じ、すぐに取りなそうとした。
しかし、それよりも早くクラウスの苦々しげな声が飛ぶ。
「くそ、だから竜族は嫌いなんだ! 化け物どもめッ!」
突然の悪態だった。
三人の中でひときわ顔色の悪い彼は、カインを強く指さし吠えた。
「お前はもう二度と魔力を放つな!」
「ああ……。悪かった」
なんとも無理難題な非難に対し、カインはとくにすまなさそうにするわけでもなく、軽い謝罪を口にしている。
いったい何があったのか。事の顛末を知らぬミレーユは首を傾げ、そしてハッとした。
「あ、あの、エミリアは?」
重要で重大なことがすっかり抜け落ちていた。
カインと気持ちが通じ合ったからと、これで大団円ではない。
下位種族が浅知恵で竜族を謀ろうと画策した事実は変わらないのだ。
自分がもっとうまく立ち回れていたら。
せめてヴルムがカインだと初日で気づけていたら、ここまでの事態にはならなかったはず。
エミリアになんと説明するべきか。そして、父になんと報告すればいいのか。
考えるべきことはたくさんあったが、とにかく今は目の前の面々に謝罪することが先決だった。
「この度は皆さまに対し礼節を欠いた企てをしたこと、心から謝罪致します。十年前のお約束を果たしてくださったなど考えもせず、エミリアと私の名を間違えていらっしゃるのだとばかり思っておりました……」
深々と腰を折りながら謝意を伝える。
「私が至らぬばかりに。妹にも、きちんと説明いたしますので、どうか咎は私一人でお許しいただけないでしょうか?」
「ミレーユに咎などない。それに、君の妹なら国へ帰ったぞ」
「え?」
「経緯を説明したら、彼女は納得して帰国してくれた」
納得して帰った? 本当に?
カインの花嫁になるつもりで嫁ぎ先に黙って来訪したエミリアの態度を思い返せば、ミレーユに恨み言の一つでも伝えてきそうなもの。
(どことなく腑に落ちないけれど……)
しかしここで「本当ですか?」と問えば、カインを疑っていることになる。
元凶がこちらにあることを考えれば、そんな失礼な真似はできない。
ミレーユは言葉を選んだ。
「では、一度国に戻り、改めて謝罪に参ります」
謝罪の必要はないというが、それではあまりにも心苦しい。
仁義を通すためにも帰国を提案すれば、カインは身体を屈め、至近距離でミレーユの視線に合わせてくる。
(え? え? ち、ち、近いですっっ!)
こちらの動揺などお構いなしに、彼が言う。
「その必要はない。グリレス国には私が出向き説明しよう」
「カイン様が、ですか? いえっ、そのようなお手間をとらすわけには!」
慌てて両手を振るも、カインはニコリと笑った。
それは、さきほどの安堵の笑みとは性質の異なるものに見えた。
「言っただろう。すべて私の招いた不手際だ。責任は私にある、と」
唇を優雅に持ち上げ優しく首を傾ける仕草は、やけに男の色気が放出されていた。
(眩しい……ッ)
顔面の威力が強すぎて、それだけでミレーユの思考力が半減する。
視覚にすべてを持っていかれそうだ。
「で、ですが我が国と、こちらでは国体も異なりますし。上つ方でいらっしゃるカイン様がわざわざ出向かれるほどのことでは」
「今年の祈年祭には来訪しているのだから問題ないだろう」
「それは……」
(問題ない? いえ、大有りでは?)
あの父が、膨大な魔力を有するカインと難なく談議を交わせるとはどうしても思えなかった。
ましてや真実を口にし、謝罪を表明するなど想像すらできない。
(泡を吹いてお倒れになる姿しか思い浮かばないわ……)
どうにか考えを改めてくれる秘策はないだろうかと頭を悩ましていると、麗しい顔がよけいに近づく。思わず悲鳴をあげそうになるのを堪えるも、逃がさぬようにと視線をからめとられる。
「ミレーユが憂慮することは一つもない。だから、どうかこのままこの国にいてくれないか? もちろん一度は帰国したい気持ちは察するが、婚儀の日程はもうずらせないんだ」
竜族の婚儀はなにかと準備が多く、花嫁であるミレーユがいなければ滞ってしまう。
そう切実に諭されれば、ぎこちなくも頷くしかなかった。
なんとなく……、なんとなく端整な顔の圧で、こちらの判断能力を鈍らせているような気もするのだが……。
困惑を残しながらも「はい」とミレーユの了承を取り付ける竜王の手腕を、セナ以外の三人は呆れながら見ていた。
「アイツ、よくもあんなにぬけぬけと大ウソが吐けるな。この前まであんなにミレーユ嬢に対して狼狽えていたくせに」
「一度絶望に突き落とされていますからね。なりふり構っていられなくなったのでしょう」
ゼルギスがため息を吐きながら答える。
エミリアによって「ミレーユには結婚の意思がない」と伝えられたことがよほど堪えたのか、カインの突き抜け方は天元突破していた。
普段、自分の容姿に頓着しない男が、全身全霊で使えるものを行使している。
それだけではなく、微量な魔力の威圧操作も行っているようで、精神に働きかけるそれは、《服従》ではなく、《魅了》によって相手の思考を奪うものだった。
「なにが納得して帰った、だ。失神させてそのまま送り返しただけだろうが」
止まらぬクラウスの辛辣な物言いに、ゼルギスとナイルが押し黙る。
そう、カインはミレーユに対して真実を話していない。
エミリアは自分の意思で帰ったわけではなかった。
――――あの時。
彼女の暴言に一瞬我を忘れたカインは、抑制の衣すら上回る魔力を放出した。
上位種族すら立っていられないほどの魔力に、ひ弱な齧歯族が耐えられるわけもなく、瞬時に彼女は気絶した。
それはある種、幸運だったともいえる。
気絶している間は、あの気の狂いそうな濃霧の魔力にあてられずにすんだのだから。
カインは怒りの混じった表情でエミリアへの強制送還を下すと、一人ミレーユの元へと走った。
二人もすぐに後を追いたかったが、カインの放った力をそのままにはできない。
押しとどめる手を少しでも休めれば、激しい火炎が飛ぶことは必至。
これを害なく飛散させるには、己の魔力で地中分解させるしかない。しかし、それに要する魔力の消費は凄まじく。事を成した後も、二人はしばらく立ち上がることができなかった。
「竜王の放った力の制御は、代々側近に課せられた役目とはいえ、あれを何度も味わうのはさすがに……」
キツイ、とはっきり口にはせずとも、ゼルギスの顔にはありありと苦渋の色が浮かんでいた。
先竜王のときも同じ任についていた二人だったが、彼はサボるし逃げるし、そのさいうっかり周囲の建造物を破壊するが、感情の高ぶりによって起こされる魔力放出はなかった。
それは先竜王の精神がカインより成熟していたからではなく、ただ感情を動かすことすら面倒くさがっていただけだが……。
「まぁ、あの膨大な魔力を常に制御しなければならないカイン様の身を考えれば、文句も言えませんね。つくづく竜王の器に満たない、平凡な力に生まれてよかったと思いますよ」
早々に竜王継承を諦めた自分の判断に納得しているゼルギスに、クラウスは唇を引き攣らせた。
「平凡な力ぁ? それはオレに対する嫌味か?」
巻き込まれる形で余波を食らったクラウスは、ゼルギスとナイルよりも被害を受けていた。
そもそも持って生まれた資質が竜族のそれとは異なるため、咄嗟にカインが放った魔力を抑えることに力を注いだ二人に対し、クラウスは耐えるだけで精一杯だった。
その力量の差が、よけいに腹立たしい。
まさに化け物――――。
「あんな嫉妬深い狭量な男の花嫁になるとは……、ミレーユ嬢も難儀するな」
優しい圧力で花嫁を逃がすまいとするカインと、オロオロと困り顔のミレーユの姿を見つめ、クラウスは心の底から彼女に同情した。
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