妹の来訪 Ⅱ


「……確かにカイン様の温情で、貴女の到着までここに滞在させていただいたわ。すぐに花嫁の手違いに気づいたでしょうに。指摘されることも、糾弾されることもなく。きっと貴女がくるまで大ごとにしたくなかったのだと思うけれど、とても敬意を払ってくださったわ」


 そういうと、一度言葉を切り、より声を落とす。


「でも、スネーク国のことは……王子はお許しくださったの?」


 今度は明確に問う。すると、エミリアは涼しげな顔でいった。


「王子には詳しく伝えてないわ。国で問題が起こったので、しばらく戻ると言って出てきましたから」

「――――え? そ、それは……」


 思っていた以上に早い来訪の理由は、問題先送りの結果だったのだと知ったミレーユは絶句した。


 王子は幼い時からエミリアを好いていた。

 そのあからさまな態度は、蛇の末裔らしい執拗ささえ感じるほどに。

 一連のことを知れば、癇癪持ちの隣国がどういう報復に出るか。


 青ざめるミレーユに、エミリアはたいしたことではないとばかりに髪をかきあげた。


「致し方ありませんわ。だって、本当のことを話したら、王子がわたくしを放してくれるはずがありませんもの。ならば、わたくしが説得するよりも、ドレイク国の威光で蹴散らしていただいた方が早いでしょう。そんなことより、早くカイン様にお会いしたいわ」


 そんなこと?

 下手をすれば民にまで被害が及ぶ事態。


 いくらドレイク国の威光が強くとも、それが末端まで行き届くかは分からぬ上に、そもそも花嫁の名を勘違いしていることを逆手に取り、謀ったのはこちら側だ。


 それなのに、彼らにその尻拭いまでさせるというのか。


(ドレイク国、スネーク国。どちらに対しても義理を欠いているのは、私たちなのに……)


「……お父様もそのようなお考えなの?」


「カイン様には、わたくしからお願いします。それですべて丸く収まるのですから、姉様はあまり出しゃばらないでください。――――そこの貴女、早くわたくしをカイン様のもとへ案内してちょうだい」


 エミリアはミレーユの肩を押しのけるようにして、ナイルに命令した。


「エミリア!」


 これには思わず叱責の声を上げた。


 相手は女官とはいえ竜族の民。ここは田舎の小国ではない。


 弱肉強食の頂点、ドレイク国なのだ。


 竜族の貴族はおろか、平民とて敵意を向けられれば、齧歯族などひとたまりもなく滅ぶ。


 身分を笠に着られるのは、力がそれ相応の場合のみだ。


「魔力総量の高い方への敬意は最大限にと、幼い時に教わったでしょう⁉」

「あら。わたくしよりも魔力が高い者など、自国にはおりませんでしたもの」


 そう言って、エミリアは白い髪をなびかせ部屋を出ていってしまった。


 エミリアのあまりの言い様に一瞬呆然としてしまったミレーユだが、すぐに我に返り、後を追おうとした。しかし、踏み出した足を、やんわりとナイルによって制されてしまう。


「妹君のことは、わたくしが」

「で、ですが……」

「どうか、ミレーユ様はローラのもとへお戻りください」


 いつもと変わらぬ凛とした声で促されれば、それ以上我を通すことも難しかった。


 それに、いま自分と話をしたところで、エミリアが素直に聞いてくれるとは思えない。


(昔からあまり交流がなかったとはいえ、あれほどケンカ腰に話すような子だったかしら)


 威圧を日常的に放つ王子に感化されたのか。


 それとも自分が知らぬだけで、元来の性質なのか。


(いえ、そんなことないわ。だって、祈年祭の時はとても気遣ってくれたもの……)


 その時の記憶に縋るように、ミレーユはギュッと手を握り締めた。






 ミレーユが静寂の間に戻ると、こちらの都合で待たせてしまったというのに、ローラは整った美貌をふわりと和ませると、「あらあら、おかえりなさいませ」と笑顔で出迎えてくれた。


 ローラの穏やかでいて、万物を見定めてきたかのような深い瞳に見つめられれば、なんだかこちらの心まで落ち着いてしまう。エミリアとの会話で少し波立ってしまった気持ちも潮が引くようだ。


「ささ、お座りになって。拝診をはじめますわ」

「よろしくお願いいたします」


 まだ心ここにあらずな状態ではあったが、ローラの言葉にソファに腰掛け、姿勢を正す。


 竜族の医師に診てもらえる機会など、きっと一生に一度だ。


 さっそくドレスに手をかけようとしたが、ローラは穏やかに首を振る。


「どうぞ、着衣のままで。わたくしは魔力を通してお体を拝見しますので」

「魔力で、ですか?」


 魔力を通して体を診るなど初めて聞く。


 いったいどうやって? と、想像を巡らせていると、ローラは指を虚空にあげた。

 細く長い指がゆっくりと、何かを探るように動く。


 そのさい、ローラの瑠璃色の虹彩に浮かぶ瞳孔が、細く収縮した。さきほどまでのおっとりとしたあどけなさは消え、神の末裔にふさわしい冷厳な空気が辺りを包み込む。


(指一本触れられていないというのに、体の奥が優しい明かりに照らされたようにあたたかく感じる。これがローラ様のお力なのかしら?)


 不思議な心地よさに、体の力が抜ける。


 時間にして数秒。ローラは、小さく「まぁ」と呟いた。


「あの、なにか?」


 ローラの声にかすかな困惑がにじみ出ていたことが気にかかり、恐る恐る問いかける。


 そんなミレーユの不安を払拭させるかのように、ローラはニコリとほほ笑んだ。


「ご安心くださいな。ご健勝そのものでございますわ」


 その言葉の違和感に気づくことなく、ミレーユはホッと胸をなでおろす。


「ありがとうございます。安心いたしました」

「ですが、少し前に体調を崩していらっしゃる」

「……え」


 ローラの断言に、ミレーユは押し黙る。


 彼女の指摘で思い当たるのは、祈年祭の日のみだ。


「その日はいつもとは違うものを口にされましたね」

「……!」


(そんなことまで分かってしまうのね。なんてすごいお力なの)


 できればその質問には公言を避けたかったが、ローラの瞳はすべてを見透かしているように見え、ミレーユは誤魔化すことを諦めた。


「実は、私が体調を崩した日は、式典の日でした。本来、その式典は絶食がしきたりなのですが、あの日は妹からお菓子をプレゼントされて……」


 祈年祭が始まる前、ミレーユは帰省していたエミリアからマドレーヌを渡された。


『姉様の分しかないから、ここで食べてしまって。マドレーヌ一個だもの、大丈夫よ!』


 式典の前だからと断ったが、有鱗族のシェフに作らせた特別なものだと強くすすめられ、普段あまり交流のないエミリアからの贈り物がうれしかったこともあり、ミレーユはむげに断ることができなかった。


「しきたりを破ってしまったことで、罰があたったのかもしれません」


 苦笑しながら答えると、ローラの顔がひそかに歪む。


「ローラ様?」

「――――若き花嫁。貴女の住む大陸には、ドクウツギという植物があることをご存じですか?」

「? は、はい。子供のころに母から教わりました。古来より自生する毒性の強い植物だと聞いております」


 突然の話題転換に戸惑いつつ、答える。


 ドクウツギは、寒帯地方の自国ではその気候ゆえに一度は絶滅したが、ほかの大陸で分布した種が新たな形で芽生え、また舞い戻って根を下ろした植物だった。とても厄介なことに、毒性だけは強化されて。


「赤い実の房がどれだけ甘美に見えても、けっして口にしてはならない猛毒だと、幼い時に再三教えられました」


 数少ない母との思い出。

 しかし、妹はそんなわずかな思い出すら得られなかった。


 せめてもと思い、母から教わったことはエミリアにも折を見て伝えたが、母よりうまく説明できたかはあまり自信がない。


「ですが、なぜドクウツギのことを?」

「先だって新種の薬草を求めて酷寒の大地に参りましたの。若き花嫁のお国のお近くでしょう?」

「酷寒の大地⁉ ……そ、そうですね。こちらよりは」


 酷寒の大地は、草木も生えぬ永久凍土の地。


 確かにドレイク王国よりは近いが、それでも距離にして馬で数週間はかかる。


 もっとも、それは机上の空論での数値であり、実際は到着する前に馬と共に凍死するだろう。


「残念ながら、あの地には薬草どころか草一本生えていなかったので、代わりに近場でいろいろと採取しましたの」


 つまり、ドクウツギもその一つだったと。


「新種との出会いはいつだって胸が躍るものですが、在来種へのさらなる探求もまた素晴らしいものです。――――そうだわ、今度はぜひご一緒しましょう!」


 ローラはキラキラとした瞳で、いいことを思いついたとばかりにポンっと手を叩く。


 ドリスといい、ローラといい、情熱を傾けるものへの誘引が強い。


「えっと、ぜひご一緒したいところではありますが、私は……」


 もうすぐこの国から去ることになる。安易な口約束はできない。


 ミレーユのはぐらかすような笑みを酌んでくれたのか、はたまたただの雑談の一種だったのか。

 どちらともつかぬ笑みで、ローラはニコニコと笑むと、


「それでは、わたくしはこれで失礼いたしますが、なにかお体に不調を感じられたらいつでもお呼びくださいね」


 そういって最後にあたたかな言葉を残し、優雅に部屋を出て行った。




 閉じられた扉を背に、ローラは小さく息を吐く。


「――――さてさて。どうしたものですかねぇ……」

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