妹の来訪 Ⅰ
「では姫さま、ルル行ってきますね!」
姿勢正しく敬礼するルルを、ミレーユは笑顔で送り出した。
今日は、ルルが世話になった三人に、ミレーユが縫った品を贈る日だった。
できれば自分も直接感謝を伝えるため同行したかったのだが、それはカインから許可が下りなかったそうだ。
(いくら自由に過ごしていいといっても、さすがに偽りの花嫁を城外には出したくないわよね)
仮式では顔を晒しはしたが、ほとんどベールを被っていたため、ミレーユの顔を認識できた者は少ない。本来の花嫁が到着したさいの混乱を避けるためにも、民にまで偽の花嫁の存在を知られては困るのは道理だろう。
「それでは、こちらも準備が整いましたので、静寂の間にご案内いたします」
「はい。……あの、本当に私が診てもらってもよろしいのでしょうか?」
ミレーユがいまいちど確認するように問う。
医竜官の到着を知らされたのは昨夜のこと。
数日前のやり取りでてっきり断念してくれたのだと思っていたが、どうやらすぐに連れてくることを諦めただけで、診察自体は続行だったようだ。
正直、竜族の医師である医竜官の存在には強い興味がある。けれど、それと自分が診察を受けるのはまた別の話だ。
幼い時から風邪一つ引かず、丈夫なだけがとりえだと揶揄されるほど健康的な身で、竜族の医師に診てもらうなど勿体なさ過ぎる。
幾度か辞退を申し出たのだが、この件に関しては引いてもらえなかった。
(ナイルさんたちからみると、それほど不健康そうに見えるのかしら?)
移動の際、壁に設置された大きな円鏡で自分の姿を確認する。
この地を訪れて二週間。
健康的な食事と整った寝具での睡眠。美しい庭を散策する適度な運動。
自国では髪を梳かすくらいの手入れしかできなかったが、こちらでは天然炭酸の温泉に浸かり、数種類の香油を使い分けたパック、ローション、マッサージを毎日受けている。
おかげで肌も髪も生まれ変わったように艶やかになった。
(どちらかというと健康的すぎるような……)
円鏡に映る己の姿は、着飾った衣装も相まって、以前とは印象すら変わって見えた。
(竜族と齧歯族とでは、健康の見解が違うのかしら?)
そんなことを考えていると、医竜官が待っているという静寂の間に着く。
深い青を基調とし、金で装飾された内部は鮮やかながらも落ち着いた彩りで、名の通り海の底にいるような静寂を感じさせる部屋だった。
奥に進めば、一人の女性が椅子の前で静かに佇んでいた。
ナイルと同じ銀の髪と瞳をもつ彼女は、ミレーユの姿を目に映すと、美しい所作で一礼する。
「お目にかかれて光栄ですわ、若き花嫁よ。こんなにも早く婚姻の議を迎えられる竜王はどれほどお幸せでしょう。黒の坊やはあれほど縁遠かったというのに」
「黒の坊や?」
いったい誰のことだろう。
首を傾げれば、ナイルがため息交じりに彼女を窘めた。
「ローラ、坊や扱いはおやめなさい。あれでも先竜王ですよ」
「あらあら。わたくしから見れば、貴女もあの子もまだまだ子供だわ」
タンポポの綿毛のようなふんわりとした話し方で、ナイルと先竜王を子供扱いする目の前の女性に、ミレーユは挨拶も忘れ呆けた。
ローラの外見は、ナイルの少し年上くらいにしか見えないが、彼女の発言から推測するに、かなり年上ということになる。
「こちらこそ、竜族のお医者様にお会いできる機会をいただき感謝いたします」
いくつなのか聞きたい気持ちをグッと抑え挨拶を返せば、ローラはまるで面白い発見に心弾む子供のような笑顔で頬に手をあてた。
「あらあら。まぁまぁ。なんて可愛らしい方。それにとてもあたたかい素敵な陽力ね。魔力と陽力は比例するものだというのに、これほど陽力に傾いている方も珍しいわ。まるで竜王の花嫁になるために生まれてきたような器ね」
ドリスとはまた違う勢いで、ふんわりとまくし立てられる。
竜族の女性は皆、ナイルのように冷静沈着な女性ばかりだと思っていたので、これには少し驚いた。
「あの、『ようりょく』とは、どういうものなのでしょうか?」
そもそも本物の花嫁ではないが、真実を明かすこともできず、ミレーユは質問することで場を濁そうとした。
しかし、これに答えたのはローラではなく、ナイルだった。
「……ご存じでない?」
ひどく驚いた顔で見つめられ、ミレーユは申し訳なさげに微笑した。
「不勉強で大変お恥ずかしいです」
答えながら、しかしふと思い出す。
(でも、どこかで聞いたような……)
記憶を思い起こそうとしたとき、なにやら室外が騒々しくなった。
この部屋の名にはふさわしくないざわめきに、ナイルが眉を顰める。
そこへ一人の女官が入室した。
ミレーユの記憶が正しければ、彼女は取り次ぎ役の女官だ。
彼女はミレーユに対し慇懃に入室の無礼を謝罪すると、ナイルになにやら耳打ちする。
詳細を聞いたナイルが、眉間の皺を深めた。
「ご来訪はしばらく延ばしていただくようお願いしてあったはずよ」
「それが……先方の強いご希望で、急遽予定を早めたそうです」
(なにかあったのかしら?)
どうしても気になってしまい、目の端で二人の会話を窺ってしまう。
その視線に気づいたのか、ナイルは取り次ぎ役の女官としばらく問答を続けた後、こちらに向き直り、少々困惑気に告げた。
「妹君がお着きになったそうです」
「――え?」
突然の報告に、ミレーユはしばらく返事を口にすることができなかった。
(エミリアが……到着した?)
確かに、カインに妹の来訪を懇願したのは自分だ。
エミリアの来訪は、まさに一番の望み。
それがいまやっと訪れたというのに、心の中に広がるのは安堵や歓喜ではなく、困惑だった。
そんな自分に驚きながらも、ミレーユは言葉を紡ぐ。
「と…、突然でしたので少し驚きましたが、そうですか……」
「妹君のご来訪の件は、わたくしの一存でお伝えを控えておりました。……できれば、医竜官の診察が終わるまではお待ちいただきたかったのですが」
最後はひとり言のような呟きだったため、ミレーユは気づくことなく声をあげた。
「では、すぐにエミリアと――」
「ミレーユ様、本日はどうかローラの拝診を優先していただけないでしょうか?」
ナイルの強い要望に、ミレーユは目を瞬く。
「エミリアが参ったのですから、もう必要ないのでは?」
これ以上、自分が花嫁として扱われる理由はないはずだと、つい気持ちが先走り、余計なことを口にしてしまう。
しかし、これにナイルは難色を示し、ミレーユの意図とは違う配慮を口にした。
「妹君のことはご心配には及びません。無礼がないよう、わたくしが対応にあたります」
「いえ、そういう心配はまったく……。では、ほんの少しだけ会わせてもらえないでしょうか? 早急に伝えたいことがありまして」
エミリアの来訪で事がどのように動くか分からないが、いまの現状については一刻も早く伝えておきたい。
自分のためにわざわざ呼び戻されたローラには失礼を承知の上で頼みこめば、彼女は気を悪くすることなく「竜族の生は永いもの。お気になさらずに」と、承諾してくれた。
ローラの快諾もあり、あいさつ程度の時間をもらったミレーユは、すぐさまエミリアが待つ部屋へと急いだ。
数ある客間の一つに案内されたエミリアは、睡蓮の花を織り出した長椅子に腰を下ろし、用意されたお茶を片手にくつろいでいた。
豪華な調度品に気おくれし通しだったミレーユとは違い、堂々たる態度だ。
そんなすました顔も、ミレーユの姿を見つけると一瞬惚け、そこから顔をゆがめた。
なぜエミリアの機嫌が悪くなったのか当たりをつけられぬまま、ミレーユは傍に駆け寄る。
「無事に来られたのね。あちらは大丈夫だったの?」
少し距離を保って控えてくれているとはいえ、ナイルの存在を考慮し、あえて固有名詞は告げずに声を落として問う。
スネーク国から離婚を取り付けることができたのかという意図は、エミリアにも十分伝わったはずだ。
だが、エミリアはその質問には答えず、不機嫌にいった。
「そのご衣装、こちらの方に強請ったのですか?」
刺々しい言葉に、ミレーユは自分の姿に目を移す。
金糸の刺繍をふんだんに織り込んだ濃紺のドレスは、一目で最高級とわかる生地。
肩に羽織るショールには、真珠がさざ波のように細かく縫い付けられており、清楚ながらも優美な意匠。
自国はもちろん、エミリアが嫁いだスネーク国ですら用意するのは難しいであろう逸品だ。
それを、エミリアはミレーユが強請って用意させたと思ったようだ。
耳朶を彩る紫水晶とダイヤで模られた藤の花が揺れるたび、エミリアの冷ややかな視線が刺すように動く。
「いえ、これは準備されていたもので……」
「つまり、それはわたくしが着るドレスだったということですよね?」
そういうことになるのだろうか?
けれど、そう考えれば少しおかしい。
着用してきたドレスは、あつらえたようにミレーユの体形にピッタリのものばかりだった。
ミレーユとてけっして体格がいいというわけではないが、エミリアよりは身長が高く、体型も異なる。
(もともとエミリアのために作られたドレスなら、なぜ私の身体にこんなにも合うのかしら?)
「カイン様は温情でお貸ししたのかもしれませんが、それは少々厚顔無恥な行いではないかしら。衣装だけでなく、髪も肌も随分整えてもらって……。もしかして、本当にわたくしの代わりに嫁げると勘違いされたのですか?」
「まさか!」
「では、わたくしの嫁ぎ先に対して、あまり恥ずかしい真似はおやめいただきたいわ」
慌てて否定するも、エミリアはツンと上を向くばかり。
そして腹立ちを隠そうともせず、当然のように言い放った。
「それで、カイン様のお部屋はどちらなの?」
「え?」
カインの私室はおろか、執務室がどこにあるのかも知らされていないミレーユは、突然の質問に押し黙る。
「ふーん……」
表情ですべて悟ったのだろう。
エミリアは「二週間も滞在して、そんなことも教えていただけなかったの」と、なぜか勝ち誇ったような笑みを浮かべ、機嫌を直した。
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