価値観の相違 Ⅵ
竜は怠惰で傲慢。おおよそ我慢のきかない生き物と言われるが、一番厄介なのはそんなものではない。
竜族の一番質の悪い部分、それは包み隠さない嫉妬深さだ。
古来より、竜族の花嫁に横恋慕した種族は軒並み絶滅させられ、存在自体が抹消される――――そんな逸話が残るほど竜の嫉妬は手に負えない。
(物事に頓着しない大雑把な生き物のくせに、執着だけはどの種族よりも強いって最悪だろうッ)
思わず固く握った拳を振るいそうになる。
そんなクラウスの憤りには気づかず、カインは口調を荒らげて主張した。
「大体、私ですらミレーユがこちらに来てからまだ三回しか会わせてもらってないんだぞ! そのうちの一回はたまたま幸運に恵まれただけで…………いや。唯一の番だからこそ、幸運が巡ってくるのか?」
ならば、ミレーユとの間に接近禁止令なんて意味がないのでは? 意味がないなら、逢瀬を禁じられる必要もないのでは? と、一人真剣に呟く友人を、クラウスは冷え切った瞳で見つめた。
(めんどくさいな、コイツ)
好いた女への熱に浮かされた竜族ほど、めんどくさい生き物はない。
当の花嫁は、自分のことを“偽の花嫁”などと称し、まったくもって必要のない罪悪感に怯えている様子だというのに。
こうなると喜劇なのか悲劇なのかクラウスには判断がつかなかった。
「お前さ、そんなことよりミレーユ嬢に――」
「あの……」
おずおずとした声が、申し訳なさそうに間に入る。
「お、お話し中のところ失礼します。私は、その……辞した方がよろしいでしょうか?」
話に集中していたせいか、ミレーユが傍まで来ていたことに気づかなかった。
浮かぬ顔ながら慎ましくこうべを垂れ、辞去を申し出るミレーユに、なぜか目の前の男がうろたえはじめた。
「えっ、あ、いえ……そんなことは!」
動きはぎこちなく、言葉はスカスカ。
気の利いたセリフ一つ出てきやしない。
それは数ヵ月前、竜王継承の儀にて、居並ぶ各国の王族、大使、高官たちを前に、泰然たる態度を示した男と同一人物とは思えぬポンコツぶりだった。
(なんでコイツ、こんなにグダグダなんだ?)
竜族にしろ虎族にしろ、苛烈な性格の女性に囲まれて育ったカインは、けっして女あしらいが下手な男ではない。
それが相手が唯一の番となると、こうも旗色が変わるのだと理解した瞬間、クラウスは堪えられないとばかりに笑い崩れた。
「――――面白い!」
「は?」
あとでどれだけゼルギスから小言を言われようが、ミレーユとの会遇のチャンスはできるだけ長引かせたいと、必死に言葉を取り繕おうとしていたカインもこれには驚いて怪訝な視線を向ける。
隣にいたミレーユも目を瞬いた。
そんな二人の戸惑いなどお構いなしに、クラウスはひとしきり笑うと、口端を吊り上げ、人の悪い笑みを浮かべた。
「カイン。お前は、昔から一度見聞きすれば、無駄に高い血筋の全能感を遺憾なく発揮し、大抵のことはすぐさま習得した」
「なんだ、突然?」
「そんな物事を如才なくこなすお前は、苦労という苦労を知らない」
「……苦労を、知らない?」
カインからすれば、虎族には、大小幾つもの気苦労をかけられてきた。
やれ黒竜王なんかにうちの姫が奪われたと号泣され、
やれ代わりにあの国宝を寄こせと恐喝され、
やれ存在自体が癇にさわると怨言され、
母方の親族である虎族の遺恨の強さには、毎度辟易させられてきたというのに、クラウスの中ではあれは苦労ではないという。
なら、苦労とは一体何を指すのか?
「オレは常々思っていたんだ。――――それが微妙に気に食わないと」
「ああ、なるほど。喧嘩を売られているのか」
半眼を向けるカインに構わず、彼の言説は続く。
「竜族はただでさえ長寿だ。たまには山あり谷ありの起伏があってこそ、生きる醍醐味も味わえるというものだよな」
「結局なにが言いたいんだ?」
「まぁ、頑張れってことだよ!」
「なんの激励だ?」
カインの問いには答えず、クラウスは軽やかな足取りでミレーユの前に立つ。
「ミレーユ嬢、この国の者は良くも悪くも大雑把な不調法者たちです。貴女の繊細な心の機微など気づけぬ者ばかりでしょう。そんな怠惰で傲慢な竜族のことなど気になさらず、もっと自由に過ごされるべきです」
神の種族への暴言ともとれる発言をサラリと口にできるのは、上位種の虎族だからか。
それとも彼がカインの近親という立場だからなのか。
どちらにせよ弱小種族のミレーユでは冗談でも同意できるものではなく、答えに窮していると、そっとクラウスが耳元に唇を寄せ囁いた。
「ティーガー国、次期王位継承者の名においてお約束しましょう。貴女の味方であると」
「……え?」
「貴女の守りたいものをお守りします、という意味ですよ」
そういって、魅惑的に片目をつぶってみせる。
(これは……、もしかしてこのまま知らぬふりをしてくださるということでよいのかしら?)
自分から懇願したとはいえ、ミレーユから見ればカインと気の置けないやり取りを屈託なく交わしていた彼が、連累ともなりえる行為を承諾してくれるとは思わなかった。
戸惑いが滲んでいたのだろう。彼はまるでそれを見越していたかのようにスッと膝をつくと、ミレーユの手の甲へ唇を落とした。
手の甲への口づけは、相手への信頼の証を示す行為。
どうやら本当に自分の意向を汲んでくれるようだと理解した瞬間、大地に異変が起こった。
石畳は熱を増し、足元から熱風が噴き出す。突然の地殻変動だった。
慌てふためくミレーユと違い、クラウスにはいささかの動揺もなく、チラリと横目でカインを見やる。
髪の毛一本分すら許容したくないと言い切った狭量な男が、花嫁に耳元まで近づき、あまつさえ手の甲へ口づけるなど許すわけがない。
案の定、カインは闇落ちした邪竜のような瞳で、完全に怒りで我を失っていた。
「おいおい、魔力で《抑制の衣》を焼き切るなよ。それは代替が難しい品だろう?」
膨大な魔力がこの程度ですんでいるのは、彼自身の無意識の精神力と、代々竜王に受け継がれる衣のお蔭だ。どちらも機能をなくせば、瞬時に火の海となる。
「だからどうした……」
抑揚のない声は、まさにいま噴き上がらんとしている火山そのもの。
クラウスはからかうように肩を竦めた。
「いいのか? 竜印は外的攻撃の守りには特化しているが、魔力の放出は威圧。精神攻撃だぞ」
「――――ッ!」
彼が何を指しているか気づいたカインが、すぐさまミレーユに視線を向ける。
黒曜石の瞳は不安げに揺れ、頬はこわばっていた。よく見れば体が小刻みに震えている。
ミレーユは、齧歯族のか弱い魔力では《魔力負け》を起こして失神するほどの圧をなんとか堪えていた。
その様に、怒りは瞬時に飛散し、火をつかさどる赤竜だというのに全身が凝(こご)った。
「あまり短気を起こすなよ。お前がそんなんじゃ、ミレーユ嬢も不自由でしかたないだろう」
ポンっとカインの肩に手を置き、止めの一撃をくらわせたクラウスはくるりと振り向き、ミレーユにほほ笑みかける。
「ミレーユ嬢、それではまたお会いしましょう」
「え? ……あ、はい」
そう告げると、本当に偽の花嫁であることを咎めることなく、陽気なあいさつと共に立ち去ってしまった。
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