価値観の相違 Ⅴ

 

(なにを考えているの。そんな願いを口にしては、こちらがすべて承知の上で謀っていることまで知られてしまうわ!)


 自分は、グリレス国の第一王女。

 私的なことよりも、護国を優先するのが当然の身。


 ましてや彼がどういった人物かもわからない。より窮地に立たされる可能性だって大いにある。


(愚かな考えはよしなさい。これ以上、なにを求めるというの……)


「カインは抜けているところがあるので、いろいろと心配しておりましたが。なるほど、ミレーユ嬢。貴女はなかなか……」

「ッ――――クラウス様!」


 きっと、嘘つきで強かな女だと続くはずだったであろう言葉を遮り、気づけばすがりつくように懇願していた。


「恐れ多くもカイン様を謀っていることは承知しております! ですが、始祖神に誓って竜族の皆様を害するつもりはございません。妹が無事こちらに参るまでの一時的なものなのです!」

「は?」


 クラウスの疑問形の返事は、切羽詰まっていたミレーユの耳には届かなかった。


 人生で初めて王女としての理性を投げ捨て、浅ましい願いを口にすることの恐れと躊躇いに手足が震え、いまは立つことすらままならない。


 それでも、必死に言葉を紡いだ。


「どうか妹が参りますまで、私が偽の花嫁であることは内密いただけないでしょうか?!」






 呼吸を乱し必死に請うミレーユを前に、クラウスは唇に笑みを浮かべたままの表情で、

 ――――困惑していた。


(なんだ? なんの話だ?)


 カインを謀っている?

 偽の花嫁?


 彼女の意図するところが、さっぱり理解できない。


(そもそも、そんな胸のど真ん中に竜印を張り付けておいて、偽の花嫁っていわれてもなぁ)


 ナイル辺りが仕立てさせたのであろう青の衣装は、あえて胸元の装飾をなくし、竜印の位置が美しく垣間見えるようデザインされたもの。


 視線を下に向ければ自然と目に入るそれは、どう見ても偽の刻印とは思えない。


(これは彼女流のちょっとした冗談なのか? まぁ、まったく成立していないが)


 クラウスはつい苦笑を零しそうになるが、ミレーユの震える唇に止まる。


 彼女は虎族である自分に対し、齧歯族ならば当然湧き上がるだろう本能的な脅えを見せぬよう努めていた。


 顔色一つ変えず、声音に怯えを滲ませず。


 そんな彼女の胆力を垣間みて、クラウスは己の考えを改めたのだ。


 下位種族の王女など高が知れているという侮りから、虎族の脅威に屈しない稀有な女性だと。




 ――――あの日。カインと共に赴いた祈年祭で、クラウスは竜族の秘宝の一つ、認識阻害のマントを羽織って参列した。


 マントを羽織った背景には、下位種族の齧歯族を不本意に脅えさせぬよう、種族的な配慮と共に、竜族の花嫁をじっくり観察するという意味合いもあった。


 虎族からすれば腹立たしいことであるが、竜族は世界の王。


 その竜族に嫁いだクラウスの伯母は、絶大な力をもって母国に大いなる国益をもたらしてくれた。


 虎族が数百年かけても実現不可能な国策すら、竜族の力があれば一瞬でこと足りる。まさに、神のみわざ。


 その力を忌々しく思いながらも、しっかりと甘受していた虎族としては、世代交代はあまりに早く、国政に多大な影響を与える事態だった。


 クラウスは第五子ではあるが、実力主義で王位を決める虎族において王位継承権は第一位。

 次世代の花嫁の力量は、決して他人事ではない。


 だからこそ、じっくりと検分させてもらうつもりでカインに同行したのだ。


 しかし残念なことに、結局その日は件の花嫁との対面は叶わず、出迎えたのは彼女の妹のみ。


 エミリア・グリレスと名乗った少女は、カインを見るなりべったりと張り付き、周囲には目もくれなかった。


 花嫁のことで頭がいっぱいのカインは眼中になかったようだが、自分の愛らしい容姿が一定の男性に好まれると理解している微笑みと媚びる仕草。


 姉の婚約者が若き竜王であることにのぼせあがっているのかもしれないとも考えたが、それにしても祝祭の主催者としてはあまりに品がない。


 妹がこれでは、花嫁である姉もたいして期待は持てないな――――。


 グリレス国で感じ取った嘘偽りない感想は、しかしミレーユの対応で覆される。


 認識阻害のマントも羽織らずに声をかけたにもかかわらず、ミレーユの表情が脅えに染まることはなかった。


 原始から続く食物連鎖の名残は、人の形をとるようになってからも恐怖として引き継がれ、包み隠すのは文武に優れた男ですら難しい。


 現に、彼女の妹もその周囲の齧歯族たちも、認識阻害のマントを羽織ってもなお漏れ出る虎族特有の魔力のせいか、クラウスが視界に入ると瞳に脅えを映し、対応もおざなりになっていた。


 けれど彼女は本能的な恐れを見事に打ち消し、優雅に挨拶をしてのけた。


 その姿にクラウスは自分の心得違いを恥じ、「思っていた方とは違った」と正直に告げたのだが……。


 なぜいまになって彼女が顔を蒼白にし、細く白い指を震わせているのか分からない。


 だが、こわごわと自分を見上げる畏怖を滲ませた瞳に嘘偽りは見受けられない。


(偽の花嫁、ね……)


 その時点でクラウスは悟る。


 ――――ああ。あいつらまたやらかしたな、と。


 この状況、どうせ他種族をかえりみず、主観だけで動く竜族の雑さが不本意な形に繋がったのだろう。


 ある意味想定通りすぎて皮肉すら出てこない。


(カインのやつ、あれだけ忠告してやったのに、なんでこう毎度下手を打つんだ?)


 なぜかは分からないが、どうやら彼女は自分が望まれてきた花嫁ではないと思い込んでいるようだ。


(しかし、なぜだ? 確かに彼女の少ない魔力じゃ、竜印を目で認識することは不可能だろうが、その前提となるやり取りがあったはず)


 竜約は、お互いが婚姻の意思を認めなければ成立しない。


 約束を忘れているなら分かるが、これほどくっきりと刻まれた《竜印》を持ちながら、十年前のやり取りが記憶にないなどということがあるだろうか?


(十年前……となると、“ヴルム”の頃か)


 ヴルムとカインでは、名も髪も瞳の色も違う。


 まさか同一人物だと気づいていない?


 だが、竜族の情報は隠されているわけではない。


 それどころか、各国に大々的に開示される稀な国だ。


 七色の子供イコール竜王の一族だと気づいて当然のことを、王女である彼女が知らないなどということがあるだろうか。


(グリレス国なら、ないとは言い切れないか……)


 例え隣国であろうとも他国に興味を持たない竜族と違い、虎族はいつでも売られた喧嘩を買う闘争心の強さから、各国の国勢を余すところなく把握していた。


 そこから分析すれば、齧歯族が分布する大陸は総じて女性の立場が弱い。


 王女の身分であってもそれは同様で、彼女たちの役割は子孫繫栄のみに限られていることを念頭に置けば、ミレーユが竜族の生態について知らぬのも頷ける。


(しょうがねぇなぁ、誤解を解いてやるか)


 竜族の阿呆共はどうでもいいが、震える彼女が気の毒で、思わず手を伸ばす。


「あのですね、ミレーユ嬢……」


 おもむろに口を開いたとき、目の前を一条の火炎が走った。


「――――クラウス!」

 地を這うような低い声に振り向けば、そこには怒気をむき出しにしてこちらを睨みつけるカインの姿があった。


(コイツ……いま本気で放ったな!)


 火炎は避けた瞬間に掻き消えたため、ミレーユにはクラウスの目の前を何かが走り去った、という程度にしか識別できなかっただろう。


 だが、あれは純度の高い炎で練られた、マグマに匹敵するほどの高温。


 虎族の俊敏さでなんとか避けることに成功したが、ほんの少しでもかすめていればクラウスとてただではすまない。


「殺す気か!?」


 思わず吠えれば、傍にいたミレーユの体がビクリと強張る。


(しまった。本気の咆哮をマズイ!)


 虎族の魔力を帯びた声は威圧となり、それだけで齧歯族の体を麻痺させる。


 クラウスはすぐさま口元を押さえたが、その腕をカインに捉えられ、ガゼボから少し離れた大木の下まで引きずられた。


「おい、馬鹿力っ!」


 カインにとってはたいしたことのない力でも、竜族の無駄に強い握力は容易に骨を砕く。


 意識的に腕に魔力を集中させることで難を逃れたが、無防御な状態ならば確実に粉々だ。


(お前の大切な花嫁の憂いを取り払ってやろうってのに、どういう扱いだ!)


 憤怒のままに叫ぼうとしたが、それより先に口を開いたのはカインの方だった。


「勝手にミレーユに近づくな!」

「……はぁ?」


 幼少期、虎族の鍛錬に付き合わされ、底の見えぬ谷底に放り投げられても顔色一つ変えたことのなかった友人兼従兄弟の剣呑な表情と、ミレーユに届かぬよう配慮された小声の威嚇に、クラウスは口をひん曲げた。


「警戒される意味がわからん。オレが彼女を害するとでも?」

「そんなことは露ほども疑ってない」


 思いのほかキッパリとした否定だった。


「なら……」

「言っただろう、近づいてほしくないだけだ」

「――は?」

「ミレーユの視界にも入ってほしくない。できれば髪一本ですら」


 ただそれだけだと、当然のように告げるカインに、クラウスは唖然とする。

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