価値観の相違 Ⅳ

 

「ミレーユの無事を確認して安心していたが、確かに気になるな……。ゼルギス、ローラに召還状を」


 医竜官・ローラは、最高峰の腕前を持つと称される医者であり、竜王の一族でもあった。


 体の記憶をたどる彼女の力は数十年、数百年の時すら超えすべてを見通すことができ、竜王の花嫁を診るならば彼女だろうと誰もが納得する人材だ。


「すぐに手配いたします。ですが、ローラは現在新種の薬草を探しに行くと《酷寒の大地》へ出向いておりますので、帰国は早くとも数日かかるかと」

「…………なぜうちの一族は皆国にいないんだ?」


 竜王を廃した途端、旅行にでかけた両親然り。


 血族の奔放さにカインが深いため息を吐くと、慌ただしい足音が執務室に飛び込んできた。


「恐れながらご報告致します! クラウス様がお見えになったのですが、お止めしても聞き入れてもらえず、庭園へ向かわれてしまいました!」


 前置きを省いたいかにも至急といった様子に、その場にいた全員が訝る。


 クラウスは、昔から従兄弟の特権とばかりに勝手したる顔で王城を闊歩していた。


 普段は守衛も竜士も、彼がどこへ赴こうが気にも留めない。

 なぜ今日に限ってわざわざ報告に来たのか。


「あいつなら、いつも好き勝手にどこへでも行くだろう?」

「それが……クラウス様が向かわれたのは来賓用の庭園ではなく、ミレーユ様専用の内庭でございまして」

「……――――なんだとぉおおおおおお⁉」


 数秒後、こだました怒号と放たれた魔力に、執務室の大窓は木っ端微塵に吹き飛んだ。



 ❁.。.:*:.。.✽.。.:*:.。.❁.。.:*:.。.✽.。.:*:.。.❁.。.



 庭園に設けられたガゼボの下で、ミレーユは一人ぼんやりと両手を見つめていた。


(私の力は、この国では役に立つものなのかしら?)


 ドリスからは稀なる力だと褒めそやされたが、あまり実感はない。


 いままでの経験からいっても、石に術を付与したところで、三日と持たずに術の効力は消滅。術式範囲もせいぜい小部屋一室程度のものだ。


 そんな有様では、付与自体が珍しいものだとしても、とても役に立つとは思えなかった。


 もっと長い時間術を保ち、術式範囲が広くなればあるいは――――。


(……バカね。己の無力さは自分が一番分かっているでしょう)


 どれだけ強く願ったところで、自分の年齢を考えても、これ以上の成長は見込めないだろう。


 いままでも決して努力を怠ってきたわけではない。

 人知れず、自分の魔力の精度を上げようと躍起になっていた時期もあった。

 けれど努力に実力が見合うことはなく。


「こればかりは才能だものね。お断りしてよかったのよ……」


 自分に言い聞かせるように胸に手をやれば、ふいに体に影がかかる。


 ルルにしては背丈の長い影だと顔を上げれば、そこには見知らぬ美丈夫が立っていた。


「ご一緒してもよろしいですか?」


 爽やかなあいさつと共にほほ笑まれ、ミレーユは唇を開いたまま固まった。


 この国に来て以来、カイン、ゼルギス以外の男性に声をかけられたのは初めてだ。


 オレンジと赤褐色が交ざった短い髪と、肉食獣を思わせる少しつり上がった目尻。金色の瞳に浮かぶ黒点が、光の加減で形を変える。


 体格も年齢もカインとそう変わらぬ彼は、漂う魔力からも上位種族だと分かる。


 しかし均整の取れた左上半身を惜しみなく晒している装束一つからしても、竜族ではないことは明白だった。


 なにより彼を見た瞬間、体に追い詰められたような緊張感が走り、脱兎のごとく逃げ出したくなるこの衝動。


 彼は間違いなく、齧歯族が原始の時より苦手としている部類の種族だ。


(本能的な畏怖とはいえ、顔に出さぬようにしなければ……)


 彼自身が悪意を発しているわけではないことを踏まえても、過ぎた脅えは礼儀にもとる。


 ミレーユはスッと席を立つと、正面から膝を折って口上を述べた。


「恐れながらご挨拶を。グリレス国第一王女、ミレーユ・グリレスと申します」


 最低限度の挨拶を口にし顔を上げると、彼は不思議そうに首を傾げ、わずかに目を眇めた。まるで思い違いしていたとばかりの顔で。


(? もしかして、どなたかと勘違いして声をかけられたのかしら?)


 座っていたときは、光の反射でミレーユの顔がよく見えなかったのかもしれない。

 そんなミレーユの微かな戸惑いを感じ取ったのか、彼は自分の態度を詫びるように頭を下げた。


「これは失礼いたしました。どうやら、思っていた方とは違ったものですから」

「? それは……」


 いったいどういう意味だろう。


「ああ、こちらの自己紹介がまだでしたね」


 彼は右腕を胸にあてると、優雅に腰を折った。


「ティーガー国、第五子、クラウス・ティーガー。カインとは従兄弟の関係にある者です」

「――――!?」


(カイン様のご親族……)


 ティーガー国といえば、虎を先祖とする、齧歯族が最も脅威とする種族だ。


 この本能的な恐れは、やはり彼の祖先にあったようだが、いまはそれよりも彼がカインの親族であったことに驚いた。


 カインの明確な血縁関係者は、いまだ叔父であるゼルギスしか知らされていないミレーユにとって、この情報は貴重だ。


 彼が外戚ということは、必然的にカインの母も虎族ということになる。


 虎族の詳しい生態についてはあまり知識として持ち合わせていなかったが、種族の中でもかなりの上位種であることは間違いなく、その血統の高さは疑うべくもない。


 血統だけでなく、カインの容姿端麗さからいっても、皇太后の器量の高さが窺える。

 きっと高い魔力と美貌を持ち合わせた女性なのだろう。


(見た目もパッとしない、不出来な私とは正反対でしょうね……)


 思わず比較してしまう自分にハッとした。

 自分は偽の花嫁。

 そもそも己と比べること自体がおかしいのだ。


 現実を思い出し、暗く沈む想いを叱咤するように唇を噛めば、その姿をクラウスに見つめられていた。


 彼の美しい黄金の瞳の中に、自分の姿が映る。


 中央の黒目が、見えざるものまで見透かしているように思え、ミレーユは知らず息を呑んだ。


 そういえば、彼はなぜ自分に声をかけたのだろう?


 今さらながらの疑問は、彼の放った言葉で理解した。


「さきほどは失礼しました。実は、私も貴国の祝祭にカインの同行者として訪れたのですが、あの時の女性とはずいぶん感じが違ったものですから、つい驚いてしまって」

「――――‼」


 驚愕に声を漏らしそうになるが、なんとか呑みこんだ。


『思っていた方とは違ったものですから』


(さきほどの言葉は、そういう意味だったんだわ……!)


 カインと共に祈年祭に来ていたとなれば、自分がエミリアと違うことは一目瞭然。

 祈年祭で出会った少女だと思い声をかけたが、相手がまったく違っていたからこそ、彼は首をかしげていたのだ。


(でも、今年の祈年祭に虎族の方がカイン様と共にいらっしゃっていたなんて話、ルルからも誰からも聞いたことがないけれど)


 竜族の尊来の陰に隠れていたのだろうか。


 しかし虎族とて十分すぎるほどの貴賓だ。口の端に上らぬわけがない。


 ましてやクラウスの野性味のある整った容姿は人目を引く。

 カインとセットであれば、より一層光り輝いて見えただろう。


(いえ。それより問題は、花嫁が違うと気づかれたことよ)


 カインとの謁見以来、うやむやになっていた件を告げられ、ミレーユはおおいに慌てた。


「あ、あの……」


 とにかく、この場は知らぬ存ぜぬを通すしかない。


 現状、自分は花嫁として求められて嫁いできたことになっている。


 いまだ花嫁の手違いについて言及されていない身で、それを知っているような発言をするわけにはいかない。


(最初から間違いに気づいていて、カイン様たちを謀っていたと知られれば、大きな外交問題になってしまうわ……!)


 動揺のあまり傾いだ体を無理やり地面に縫いつけ、なんとか直立を保つ。


 声が震えぬよう気をつけなければと思いながら口を開くが、言葉が喉元で引っ掛かりうまく出てこない。


 どれだけ知らぬふりをしたところで、彼の発言一つで事は大きく動く。

 カインとて、従兄弟の彼が苦言を呈すれば、偽者の花嫁に罰を与えるかもしれない。


(私が罰を受けることは構わない。最初から覚悟している。でも……)


 ルルだけは、許してもらえるだろうか?


 自分とかかわったことで、ナイルやドリスに迷惑がかかるようなことはないだろうか?


 そして――――もう二度と、カインと会うことはできないのだろうか……。


 端正な姿が脳裏をよぎった瞬間、あまりにも危うい奸計が胸に芽吹く。


 もう少しだけ。


 せめてエミリアが来るまでだけでも、彼に黙認してもらえないだろうか―――と。

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