価値観の相違 Ⅲ

 

「謎の最たるものがこの国庫です。七つの国庫にかけられた保持の術には、魔石が一切使われておりません。いえ、使われていないと推定される、とお伝えした方が正しいでしょうか」

「不確定、ということですか?」

「はい。魔石には初代竜王陛下の魔力が込められていますが、国庫からはそれが一切感知できないのです。七つの国庫は、初代竜王陛下の最大にして最後の遺産だと伝えられていますが、建設に関しての資料が一切現存しておらず……なぜ残しておかないのでしょうね。本当に腹立たしい!」


 悔しそうに拳を握り締めているドリスに、ミレーユがなんと声をかけていいのか迷っていると、打って変わって晴れ晴れとした表情で見つめられる。


「そんな一筋の光明すら見出せなかったわたくしに、石に魔力を込められる力と聞けば、心動かされぬわけがございません! ぜひ、ミレーユ様の術の効果範囲や持続力について検証させていただけないでしょうか⁉」

「そ、それは……」


 正直、ひどく興味をそそられた。

 力の検証など、いままで考えてもみなかった。

 なによりドリスの研究意欲に心を動かされる。


 自分は彼女のように強い信念を持って何かに打ち込んだことがない。


 自国では決められた時間に決められた日課をこなし、一日が終わる毎日。


 代わり映えしない、けれど規則正しく終わる生活は、自分の性に合っていると思っていた。


 しかしドリスの生き生きとした瞳を見つめていると、そう思い込んでいただけではないだろうかと、ふと考えてしまう。


 誰かの熱に触れられれば、自分もその熱を感じ取れるのではないか?

 触れたことのない熱に触れてみたかった。


(でも…………)


 それが叶わぬ願いだということは分かっている。


 自分には、父から与えられた命がある。


 それは己の心を満たすことではなく、エミリアがくるまで無難に日々を過ごし、平和的に本来の花嫁である妹と入れ替わること。


(カイン様だって、きっと偽の花嫁には人目を忍んでほしいはず。なのに、国庫の見学までお許しくださった。もう、これ以上は……)


 苦痛の表情で下を向くミレーユの代わりにナイルが間に入る。


「ドリス、少しは先の予定も考えて発言なさい。ミレーユ様は、貴女のためにこちらにいらっしゃったのではありませんよ」


 暗に「婚儀前に花嫁の手を煩わせるな」と告げられ、竜王の婚姻がどういったものか理解しているドリスはしぶしぶながら引き下がった。


「分かりました。つい欲望のままに先走ってしまい申し訳ありません。――――ですが、無事婚儀が終わりました暁には、ぜひお力添えを!」

「あ、はい……」


 両手を握り締められ、そう強く懇願するドリスに、ミレーユは曖昧にほほ笑んだ。


(その時には、咎人として囚われているかもしれません、なんて言えないわ……)



 ❁.。.:*:.。.✽.。.:*:.。.❁.。.:*:.。.✽.。.:*:.。.❁.。.



「ミレーユの能力に、そんな力が?」


 一連の報告を受けたカインは驚いたように呟く。隣にいたゼルギスも意外そうに目を瞬いた。


「珍しい力をお持ちなのですね。魔術を石に付与し持続させる能力は、私も初代竜王様以外では聞いたことがありません」


 一度魔術を込めれば持ち主が常に供給を行わずとも持続する力は稀どころか、過去の文献を一通り読んだことのあるゼルギスですら、初代竜王以外には思い当たらなかった。


「刺繍に陽力を織り込まれていた件といい、ミレーユ様には力をとどめる能力があられるのかもしれません」


 考察を踏まえたナイルの報告に、カインは腕を組みながら釘を刺す。


「確かに素晴らしい能力だが、魔石に代わる付与石の生成は難題だ。まだこちらの生活に慣れていないミレーユに、そんな負担を強いるのは許容できないぞ」

「もちろんでございます。ミレーユ様もお困りのご様子でしたし、ドリスも婚儀が終わるまでは強行突破はせぬかと」

「……それは婚儀が終わればドリスの強行突破は免れない、と同語じゃないのか?」

「ご安心ください。その時は、わたくしが力尽くで阻止いたします」

「いや、なに一つ安心できないんだが……」


 ナイルの力尽くは他国で換算すれば大軍以上の勢力。


 そんなものを争いを好まないミレーユが見れば、その場で卒倒しかねない。

 ショックのあまり帰郷したいと懇願されたらどうするんだと青ざめるカインに、ゼルギスがふと思い出したように一枚の封書を取り出した。


「そのグリレス国より、さきほど妹君の来訪の件で親書が届きました」


 きれいに折りたたまれたそれを開き、ざっと一読すると、カインはあることに疑念を抱く。


「ミレーユの妹の嫁ぎ先は、確かスネーク国だろう。わざわざグリレス国を間に挟む必要があったのか?」

「連絡は母国に送ってほしいと、ミレーユ様からのご要望でしたので。嫁ぎ先によっては、色々と仕来りがあるのでしょう。クラウス様からも、竜族の常識は世界の非常識とご指摘を受けたことですし、こちらの考えで行動するよりミレーユ様のご指示の方が適切かと」

「まぁ……、それもそうか」


 十年という期間を短いと勘違いし、長らく待たせてしまった手前もある。


 カインが納得する横で、やけに強い眼差しで親書を見つめていたナイルがおもむろに口を開いた。


「妹君の件、少々お待ちいただけないでしょうか」

「なぜだ? ミレーユの数少ない要望だ。できれば至急叶えてやりたい」

「その前に、医竜官の診断をお受けいただきたいのです」

「ミレーユが不調を訴えているのか⁈」


 医竜官とは、王宮に仕える医師のことだ。


 驚いて身を乗り出すカインに、ナイルは首を振る。


「いえ、現状その心配はございません。ルル様がいらっしゃってからはお食事も進まれているご様子で、お顔の色も良好かと」

「そうか……よかった……」


 ほっと表情を和らげながら、カインが問う。


「体調に問題がないなら、なぜ医竜官の診察が必要なんだ?」

「現在のご様子は、確かに健康そのものです。ですがお国の式典ではご体調が優れずご欠席だったとか。竜印で守られているはずの御身が優れなかったと聞けば、やはり気になります」


 本来ミレーユの体は竜印で守られる。

 体調不良というのは、そう簡単に起きる現象ではない。


「確かにそう噂している者がいたが、国の者からはミレーユは気がのらないから欠席していると」

「気がのらない? ミレーユ様は、ご気分で式典を欠席されるような方には見えませんが」


 ナイルの言葉に、カインも強く同意する。


 事実、ミレーユは十年前の祈年祭のときも、式典が終了してもなお祈りを捧げていた。


 いまの彼女を見ていても、気分がのらないからと休むような人柄にはみえない。


 あの時、自分にそう伝えたのは誰だっただろう?


 ミレーユと再会できない絶望で頭が一杯だったため、周りのことは記憶に薄い。


 それでも記憶を辿ればかすかに思い出した。


 自分にそう告げたのが、彼女の妹だったことを――――。

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