織り込まれた力 Ⅰ

 

「――――え……」


 朝の支度が終わり、着飾ったミレーユのたおやかな姿に満足していたナイルは、彼女の言葉にすぐさま反応できなかった。


「もう縫い上げられたのですか?」


 やっと発した返答も、察しのよいナイルにしては珍しく再確認するようなものだった。


 目の前には、問う必要もないほどに見事な刺繍がほどこされた三枚のクッションカバーがあるというのに。


 しかしナイルが驚くのも無理はない。


 ミレーユからルルを助けてくれた三人にお礼がしたいと持ちかけられたのは昨夜のこと。


 その時はまだ図案も布地も真っ白だったはずだ。

 それがたった一晩で仕上がったと聞けば耳を疑う。


「姫さまの手仕事は、国でも一番キレイで早いんですよ!」


 唖然とするナイルの横で、ルルが自分のことのように自慢げに胸をはる。


 確かにルルが得意顔になるのも分かるほど、三枚の出来は素晴らしかった。


 男女で色や文様を変えており、一枚目は花をモチーフにした華やかなもので絹糸も色彩豊か。

 二枚目と三枚目は落ち着いた色糸ながら、その分細かく刺繍が施されていた。


 とても一晩で完成させたとは思えない緻密で美しい出来栄えだが、ナイルを驚愕させたのはその美しさだけではなかった。


(陽力が織り込まれている……)


 ミレーユが縫ったものからは、彼女の陽力が多分に感じられた。


 一体なぜ?

 どうやって?


 ミレーユと同じ強い陽力を持ち合わせている皇太后ですら、こんな能力は持ち合わせていない。


 陽力はおろか、魔力にしても、特別な方法を用(もち)いなければモノに付与することはできない。


「どうでしょう? 竜族の方にお渡しするお礼の品としてはみすぼらしいでしょうか?」


 心配げに問われ、ナイルは困惑した。


 みすぼらしいどころか、陽力の込められた品ともなれば家宝として取り扱われるだろう。


 無事これが渡せれば、の話だが……。


 まさかこんなにも早く縫い上がるとは思っていなかったため、ナイルはまだこの件をカインに伝えていなかった。


(これだけミレーユ様の陽力が込められているものを下賜するとなれば、カイン様がいい顔をするわけがないわ)


 絶対に反対する。


 確信をもってナイルは心の中で断言した。



 ❁.。.:*:.。.✽.。.:*:.。.❁.。.:*:.。.✽.。.:*:.。.❁.。.



「――――却下だ」


 案の定、にべもなく切り捨てられた。

 圧力のある声からも、耐えがたい憤りが感じられる。


「そもそもミレーユの縫ったものが、なぜ夫である私よりも先に他の者に渡るんだ! 礼ならこちらが用意すればいいだろう!」


 カインにとっては、一針一針の刺繍に陽力が込められているというミレーユの稀有な力について考察するよりも、彼女が手ずから縫い上げたものが第三者に渡ることの方が大問題のようだ。


「カイン様、貴方はまだ正式には夫ではありませんよ」


 ゼルギスがここぞとばかりに指摘するが、こちらも論点がずれている。


「書類上では正式な夫だ!」

「紙一枚になんの効力があるというのですか」


 ミレーユの祖国・グリレス国との間に交わされた婚姻協議書を手に、カインは声を張るが、ゼルギスは冷ややかに言った。


 両国で交わされる婚姻協議書は、世界的には常識だとクラウスから再三忠告されたため準備したものだが、竜族にとっては婚姻協議書など意味をなさない。


 竜族にとっての婚姻は、夏至の日に執り行われる儀式だけがすべてだ。


 それはカインとて十分に理解している。しかし竜だって縋れるものには全力で縋りたいのだ。


「では逆に問うが、ゼルギスなら自分の番の陽力が込められた品を快く渡すのか?」

「まさか。吹き飛ばしますよ」


 笑顔でサラリと告げるゼルギスに、隣で聞いていたナイルが真顔になる。


 吹き飛ばすのは、品か? それとも下賜される対象者か?


 きっと後者であろうことは明白だ。


(教育を間違えた……)


 目の前の二人の元教え子を見つめ、ナイルは小さくため息を零す。


「ほら、みろ! ナイル、やはり別の物を用意してくれ。ミレーユの縫ったものは私がもらう!」

「――――カイン様」


 ナイルはこれ見よがしに瑠璃色の瞳を吊り上げ、厳かに告げた。


「ゼルギス様の愚案に耳を傾けないでください。いいですか。これはルル様に手助けした者に対し、謝意を示された品なのです。それを横取りしては、ミレーユ様のお心を無下にするようなもの。とても良識ある夫の行いとはいえません」

「うっ!」


 良識ある夫を強調されれば、カインも口を噤むしかない。

 良識のない父をみて育ったからこそ余計に。


「いや、横取りしたいわけでは。ただ、やはりミレーユの陽力が込められたものなら私とて欲しいし……」


 己の我欲に気づいたのか怯むカインに、ナイルがすかさず言葉を重ねた。


「お気持ちは十分理解できます。ですから、代わりにミレーユ様に代案をお願いいたしましょう」

「……また代案か」


 先日のゼルギスとの会話を思い出し、ため息を吐くカインだったが、ナイルの口にした代案は彼の納得できるものだった。



 ❁.。.:*:.。.✽.。.:*:.。.❁.。.:*:.。.✽.。.:*:.。.❁.。.




「姫さまぁ。もうお約束してから三日たちますけど、まだ図案決まらないんですか?」


 ルルはいちごのジャムがたっぷりと入ったクッキーを手に、差向いに座っていたミレーユに問う。


 紅茶とお菓子を前に、もしゃもしゃと食すルルと違い、ミレーユの目の前には大量の書き損じの図案が並んでいた。


 書き損じといっても、はた目からは十分なデザイン。しかし、ミレーユはそのすべてに納得がいかず涙目でルルに訴える。


「私のような未熟者には、竜王陛下にふさわしい刺繍など考え至らないわ……!」


 ――――三日前。ミレーユは、ナイルよりある依頼を受けた。


 それは、カインへの刺繍の品。

 なんでもお礼のために仕上げた三枚の品をみたカインが、その腕前に感服し、ぜひ一枚手元に置きたいと所望したらしい。


 ミレーユは即座に断った。


 竜族の王に献上する品を縫うなど恐れ多くて承れない。


 しかし、ハンカチに簡素な刺繍一つで十分ですからとナイルから再三頼まれれば、それ以上断るなどできなかった。


 こちらは偽の花嫁。そんな厄介者を丁重に扱ってくれているのだ、一つくらい恩義を形にしなければ道理にもとる。


(ルルに、素敵な衣装まで用意してくださったし)


 いまルルが着衣しているのは、古ぼけた自国の侍女服ではなく、ナイルが用意してくれた可愛らしい衣装だった。


 侍女服と同じ黒と白を基調としているが、スカートにはたっぷりのフリル。胸元にはリボンがあしらわれている。生地も滑らかなもので、着た瞬間とっても軽くて着心地がいいとルルが飛び跳ねて喜んだほどの品だ。


 衣装だけでなく、食事もそうだ。

 カインの客人同様との宣言通り、ミレーユと同じものを用意してくれ、同席も許してくれる。


 ここまで優遇されて「自信がないのでできません」などと言えるはずがない。


(でも、でもっ。いったいどんな刺繍なら、あの方に見合うというの⁈)


 動揺のあまり握り締めていたペンが震え、インクが滲む。


「いつもサラサラ書きあげちゃうじゃないですか。ナイルさんも図案はなんでもいいって」

「そういうのは優しい社交辞令というものであって、本意ではないのよ」


 なんせ相手は神の種族だ。並大抵の品では許されない……はず!


「じゃあ、竜王さまの好きなものを刺繍すればいいんですよ。好きなものを刺繍されれば、誰でも喜びます!」

「お好きなもの……?」


 ミレーユは口元に指をあて考え込む。


 頭をひねったところで、彼の好きなものなど何一つ知らない。

 唯一分かっていることといえば、想い人が妹のエミリアであることくらい。


 そう考えると、なぜか急に胃が重くなる。


 見るからに顔色が優れないミレーユに、ルルはぴょんと椅子を降りると元気な声で告げた。


「ルルがお花をもらってきますよ! お花が嫌いな人はいませんからね、それを刺繍しましょう!」

「え、でもお花ならそこに」


 花瓶に大量に活けられている花を指さすも、至難に惑うミレーユのために動きたかったのか、ルルは止める間もなく足早に部屋を出て行った。

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