勘違いは続く

 

「では早急に手配いたします。それとルル様の件ですが、さきほど無事ミレーユ様とお会いになられました」

「そうか、よかった!」


 ルルのこともしっかり記憶していたカインは、竜兵の報告にすぐにミレーユのもとへ通すよう伝えた。面識はないが、齧歯族でルルという名前。なにより、荷馬車に隠れ潜んで主君の元へ向かおうとする豪胆さは、よほどの絆がなければできないことだ。


「お二人ともとてもお喜びのご様子で、こちらの方が感極まってしまいました」

「ミレーユが妹のように大切な子だと言っていたからな。……しかし、なぜ最初から一緒に連れてこなかったんだ?」


 てっきりルルだけは連れてくるだろうと思っていただけに、不思議だった。その疑問にゼルギスが答える。


「あちらからすれば、こちらは遠い異国ですからね。お連れするにはご心痛や躊躇いがあられたのでしょう」

「そこまで重く考えずとも、里帰りくらいいつでもいくらでも構わないんだが。――――私と一緒なら」

「カイン様、シレッと仕事を放棄してミレーユ様にひっつく気満々の発言はやめてください。そういうところ、本当に義姉上そっくりですね」


 あえて皇太后という敬称ではなく義姉上と口にすると、カインの顔がイヤそうに歪む。親の自由度がまねいた数々のしわ寄せを、幼少期から受けてきたカインとしては、親に似ているという事実はあまり好ましくなかった。


「一人息子の婚儀前に、鎖は放たれたとばかりに嬉々として出かけるような父上に、当たり前のようについていく母上と一緒にされたくない」


 せめて息子の花嫁が到着するまで待てないのかと押さえつけても良かったのだが、いっそいない方が事が進むかもとあえて止めなかった。とりあえず婚儀前に帰って来ればそれでいい。


「いや、いまはあの二人のことはいい。――――それよりナイル、ルルがミレーユにとって妹同然なら、それは私にとっても妹当然だ。よくよく面倒をみてやってくれ」

「はい、お二人が心穏やかに過ごせますよう最善を尽くさせて頂きます。ですが……」


 一寸の乱れのない礼を取りながらも、彼女にしては珍しく歯切れの悪い言葉が接続した。


「なにかあったか?」

「申し訳ございません、カイン様。当初予定していたミレーユ様付きの女官が、本日全滅いたしました」

「だが、昨日は数名残ったと……」

「わたくしとしては昨日の時点で全員基準に満たないと判断いたしましたが、もう一度機会を頂きたいと泣いて縋るので、まだ辛うじて動けた者を連れて行きました」

「……その結果は?」

「全員、不適格です」


 恐る恐る問うカインに、ナイルは鋭い刃物のようにすっぱりと言いきった。


「全員か…」

「厳しい言い様を口にしましたが、彼女たちの能力が劣っているわけではございません。ですが、ミレーユ様の側仕えとしては不適任です。全員ミレーユ様のお側に寄ると猫にまたたび状態になってしまい、とても話になりません」

「あぁ、まぁそうなるか……ミレーユのは規格外だからな」

「カイン様よりお話には聞いておりましたが、あれほど陽力がお強いとは……」


 魔力の他に存在する、陽力・陰力。


 この二つの力は感知できる種族が少なく、一般的にあまり知られていない。だが一部の高位種族、とくに竜族の者は殊の外この力を重要視していた。


「陽力は、あの方で慣れているつもりでしたが、ミレーユ様は系統が違いすぎます」


 ナイルが言う、“あの方”とはカインの母である皇太后のことであり、彼女もまた陽力を多分に持っていた女性だった。


 ――――陽の力は、そそがれる太陽の恵み。

 ――――陰の力は、静かなる月の光。


 竜族の間ではそう称されることが多いが、個体によって放たれるオーラには差異がある。


 皇太后の陽力が照りつける灼熱の太陽ならば、ミレーユのそれはまるで陽だまりだ。穏やかで、心の安寧をもたらすようなオーラは、傍にいるだけでうとうとと眠気すら誘う。


 ミレーユの陽力にあてられた女官たちは、表向きは取り繕った表情で淡々と動いていたが、実際は気を抜くと襲ってくるふわふわと心地よい脱力感と必死で戦っていた。


 ナイルとしては、その気概は買うが、ミレーユに触れるほど近距離となるとそこまでは力が及ばず表情が浮つくとあらば、女官としては失格以外の何物でもない。


「生半可に魔力と陰力が強い者たちで構成したのが、逆に仇となったようです。皆、必ずや耐性を得て、ミレーユ様の女官として全うしてみせますと懇願してくるものですから、退けるのにも骨が折れます」

「ミレーユ様のようなタイプの陽力を持つ方は稀ですからね、女官たちもそれは食い下がるでしょう」


 陽と陰は、その力が強く対極にあればあるだけ魅かれやすく、執着する一面もまた強かった。


「ですが、昨日はまだまともに動いたのであれば、もう少し様子を見ても良いのでは?」


 ゼルギスの言葉に、ナインは頭を振る。


「昨日は、ミレーユ様お一人でしたからまだ保てましたが、ルル様がいらっしゃるとなるとそれも難しいかと」

「「?」」

「お二人とも、ルル様にお会いされていないのですね」


 確かに指示は出したが、いち早くミレーユの傍に行かせたかったため会ってはいない。


「ルルがなにか問題なのか?」

「ルル様も、ミレーユ様ほどではございませんが陽力のお強い方なのです。しかも、ルル様がお傍にいらっしゃるとミレーユ様のお心も休まるのか、より陽力が増加され……」


 結果残っていた者すら脱落。正直、あれはナイルでも耐えるのに苦労したと聞けば、二人も口を噤んだ。


「カイン様対策重視で、魔力の強い者を基準に選出したのが間違いだったでしょうか。いえ、でもやはり対策は必要ですし…」


 チラリと確認するようにカインを見るナイルの瞳は、ゼルギス同様、若き竜王の自制心をまったく信用していなかった。


「君一人でも大抵のことは補えるだろう? 婚儀まではカイン様対策重視でいくべきだ」

「そうですね。やはりいまの女官は数名残し、いざとなれば一斉攻撃でお止めするのが得策でしょうか」

「……お前たちは、もう少し私を信用してもいいと思うんだが」


 カインは腕を組み怫然として言うが、ゼルギスは淡々とした表情を崩さなかった。


「私としましても、カイン様に灰になられては困りますので当然の仕様です。それに、もし貴方が竜約によって滅せられた場合、ミレーユ様は他の誰かと婚儀をあげることになるのですよ」


 ミレーユの陽力と柔らかな佇まいに魅かれる竜族は多いだろう。カインがいなくなれば、ならば自分がと声をあげる者が必ずや出てくる。


 一瞬想像したのか、カインの眉間にこれでもかと深いシワが寄った。


「死んでもイヤだ!!!」

「ならば、そうならぬよう念には念を入れるのが最良でしょう」


 納得したような納得できていないような微妙な顔をするカインのもとに、一人の竜士が歩み寄る。


「カイン様、警護隊の者からこちらが届きました」


 そう告げると、一通の封筒を差し出した。

 カインはそれを手に取る前から、イヤな予感がする。


 警護隊とは、城の警護をしている者を示した言葉ではない。父を警護している者のことだ。


 つまり、内容は――――。


 正直読みたくないが、目を通さぬわけにもいかない。

 カインは封を切り、羊皮紙に目を走らせた。


「あの二人……旅先でなにをやってるんだ……」


 苛立ちと呆れが混じった呟きが漏れる。


 手紙は警護隊からの報告かと思われたが、硬い筆跡と込められた馴染みのある魔力は母親がしたためたものだった。


 内容は簡潔に言えば、父がうっかり鰐族の城を半壊させてしまったから補償しておいてくれ、と。


「カイン様に竜王の力を引き継いでも、さすが兄上。力は一向に衰えませんね」

「全壊でなかっただけ、うっかりに成長が窺えますね」


 ゼルギスは弟目線で、ナイルは家庭教師目線でそれぞれ評する。


 十七年しか生きていないカインよりも、二人の方が父親が起こす面倒事には慣れていた。いかにもこの程度のことは日常茶飯事とばかりの発言に、カインはグシャリと手紙を握りつぶしたくなる。


「私が出向き、対処にあたりましょうか?」

「いや、いい。親の不始末だ。私の方で対処する」


 カインはゼルギスの申し出を制すると、警護隊と共に来ているという鰐族の使者との引見のため部屋を出ていった。


 その後姿を見送りながら、ゼルギスはつくづく思う。


「カイン様は、ミレーユ様以外のことに関しては抜かりなく安心できるという点でも、義姉上に似ていらっしゃる」


 カインは嫌がるが、ゼルギスとしては、基本的に指一本動かすのも気怠いとばかりの兄ではなく、母国では“至宝の君”と謳われていた義姉に似てくれてよかったと思っていた。


 竜王を継いでくれた兄には多大な感謝と尊敬の念をいだいているが、仕事となると別だ。


 ゼルギスとしてはいつもの軽口のつもりだったが、戯れが過ぎただろうか。傍に佇むナイルの沈黙がやけに重い。しかし注意事が飛ぶという雰囲気ではなく、なにか深く考えている顔だった。


「ナイル?」

「……いえ。そうですね、カイル様はミレーユ様のことになると色々と抜けていらっしゃる。本来なら予測できる事項も、ミレーユ様のことで頭を占められると正常判断に瑕疵が生まれ、本来伝えるべき事項を伝えていらっしゃらない。その可能性もございますよね……」

「? なにが言いたいんだ?」

「ミレーユ様は、幼い時に⦅竜約⦆を交わした相手が、カイン様だとご理解されていらっしゃるのでしょうか?」

「…………は?」

「わたくしたち竜族にとっては、王族が七つの色を持ち生まれてくるのはあまりに常識。今更問うこともない一般教養です。成竜になれば名が変わることも同様に。しかし、遠い彼の地。齧歯族の方々にとってはどうなのでしょう?」


 考えもしなかったナイルの発言に、ゼルギスは驚き否定した。


「一般の民ならばともかく、ミレーユ様は齧歯族の姫だぞ。いくら他種族とはいえ、竜王の血筋が七色で生まれてくることを知らぬ王族はいないだろう。とくに、ここ数十年で七色を持つ子供はカイン様お一人だったんだ」

「周りが誰も知らなければ、ミレーユ様とて知り得ぬままということもあるのでは?」

「…………まぁ、確かに絶対的にあり得ないというわけではないが、可能性としては低いだろう。ミレーユ様は、結婚を承諾されてここにいらしたんだ。もしヴルム様とカイン様が同一人物ではないと思っていらっしゃるなら、それは見知らぬ者との結婚を許したことになる。なら、いくら相手が同じとは言え、カイン様に会われる前に《竜約》は解かれ、《竜印》は消滅するはずだ」


 ミレーユの《竜印》は消えるどころか、色濃く胸元を彩っている。それは齧歯族にとっては長い年月を、一度の心変わりもせずに想い続けた証。不義は感じられない。


「最初から結婚するつもりなど一切なく来られたというなら話は別だが、ミレーユ様がそのような行動をとられる方に見えるか?」

「いえ、とても真っすぐな方とお見受けします」


 その言葉に間違いはない。


 だが迎えにあがったときから、ミレーユの様子はどこか怯えが感じられた。顔色の悪さと、不安そうな瞳も気になる。


 今日もそうだ。やけに他人行儀なお茶会の様子からは、とても晴れて再会した恋人同士には見えない。


 とはいえ、それはカインも同様。彼の場合は緊張ゆえだが、ミレーユもそうなのだろうか?


「君がミレーユ様を心配するのも分かるが、婚儀を前に情緒不安定になるのは女性にはよくある話なのでは?」

「……そうですね、わたくしの考えすぎかもしれません。確かにカイン様とのお茶会の後は、ミレーユ様も心配事が一つ解決したとばかりにホッされていたご様子でした」

「周りは見知らぬ者ばかりの環境だ。しかも、こちらは急をせかし不手際も多い。君の手腕に依存してすまなく思うが、頼むよ」


 ゼルギスの下命に、ナイルは膝を曲げ「お任せください」と答えた。




 ❁.。.:*:.。.✽.。.:*:.。.❁.。.:*:.。.✽.。.:*:.。.❁.。.




「――――あ…」


 パキッと、チュシャの実を爪で割った瞬間、ずっと考えていた既視感の正体に思い当たり、ミレーユは小さく声をあげた。


(そうだわ、ヴルムに似ていたんだわ!)


 髪や瞳の色はまったく違うというのに、幼い時の初恋の君に、カインの柔らかい笑みはよく酷似していた。


(ヴルムもカイン様も整いすぎているご容姿だから、同じに感じたのかしら?)


 しかしいくらヴルムに似ていたからといって、竜族の王であるカインにときめくなど身の程知らず過ぎて自分でも笑ってしまう。


(自覚はなかったけれど、私って面食いだったのね……)


 よく考えてみれば、初恋がヴルムの時点で気づいて当たり前の話だ。道理で誰を見ても心動かされることなどなかったはずだ。


 はぁと、自嘲気味にため息を零すミレーユに、ルルが口いっぱいにマフィンをほおばりながら首を傾げる。


「姫ひゃま、どぅかひまぁひた?」

「いえ、なんでもないの。ルル、ちゃんと食べ終わってからお話ししましょうね」

「ふぁーい!」


 優しく諭され、ルルはゴックンと飲み込む。


「ところで姫さま、どうしてチュシャの実ばっかり食べているんですか? こんなに豪華なお菓子がいっぱいあるのに」


 広いテーブルに並ぶ菓子類は、見るだけでも楽しい気分にさせるほど色美しいが、食べても絶品だ。


 こんなに美味しいものがたくさんあるというのに、そんなものには目もくれず、ミレーユはグリレス国でも大量に採ることのできるチュシャの実ばかり食べていた。


「え……一番落ち着くからかしら?」

「国に帰ったら、もうこんなお菓子ぜったいに食べられないんですから、こっちを食べるべきですよぉ!」

「でも……」


 いまだけでもこの豪華な生活を楽しんだ方がよいと豪語するルルだが、ミレーユは逆に早くこの豪華すぎる生活から離脱したくて仕方なかった。


 エミリアが無事カインと再会を果たせば、自分は用済みで自国に返されると疑っていないミレーユは、一日でも早くその日が来ることを願うばかり。



 まさか待ちわびたその日、思いもよらなかった修羅場を迎えることを、彼女はまだ知らない――――。



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