竜族の若き王 Ⅱ

 

「もっと早くにそこに疑問を抱いてくれてもよかっただろう!」

「抱かなかったわけではないのですが、すでに《竜約》まで交わしたときけば、もう半分結婚したようなものだと安心するじゃないですか」

「私だってそう思っていたさ!」


 竜族は皆、《竜約》という魔力における契約を結ぶ。これは実質の婚約だ。


 そのさい、花婿には右手の甲に、花嫁の胸には《竜印》といわれる印が刻まれる。


 どちらか一方の心変わりがない限り、その証が消えることはなく、逆にいえば心変わりがほんの一欠片でもあれば《竜印》は薄まり、本来の形を維持することはできない。


「儀式の間も《竜印》は消えなかった。だから安心して儀式に集中できたし、儀式を失敗して死ぬわけにはいかないと頑張れたんだ」


 まだ幼竜の身で継承の儀に耐えられたのも、ミレーユが待っていてくれていることを鮮やかに示してくれる《竜印》のおかげだ。


 そして、やっと再会の準備が整った日。それは奇しくもあの日と同じ祈年祭の日だった。


 カインとしては、祈年祭に出席するために訪れたのではなく、ミレーユを迎えに行った日がたまたま祭りの日だっただけなのだが、運命的なものを感じるほどには浮かれていた。


 しかし、残念なことにミレーユはと部屋で休んでいると聞かされ肩を落とした。


 今日やっと会えると喜んでいただけにショックで表情が曇ってしまったが、ミレーユの実妹には全力で愛想をふりまいた。


 十年前の会話で、ミレーユに妹がいることは知っていた。その妹が、白い髪と赤い瞳だということも。

 容姿だけではなく名も聞いていたため、、すぐにミレーユの妹だと気づけた。実妹だと知らなかったらスルーしているところだ。


 ミレーユの親類には嫌われないよう細心の注意を払わなければ、母方の親類に蛇蝎のごとく嫌われている父親の二の舞になりかねない。


 それだけはごめんだと、如才なく振る舞いながらも頭を占めているのはミレーユのこと。


 なんとか一目だけでも会えないだろうか。自室に赴くのはさすがに心象が悪いか? と人気の少ない場所で考え込んでいると、ふと、遠く離れた位置から他の客人の談笑が耳に入る。


「ミレーユ様は、吐気で今年は不参加らしい」

「体調不良か。体が丈夫なだけが取り柄の方だと思っていたが、珍しいこともあるものだ」


(吐気? 気分がのらないからと部屋で休んでいるんじゃないのか?)


 吐気ならおかしい。《竜約》によって刻まれる《竜印》は、花嫁の身を守るための印。いわば、ミレーユの身を守る最強の盾だ。


(よほどのことがない限り、体調不良など起らぬはずだが……)


 自分の右手の甲に刻まれている《竜印》を見つめ首をひねっていると、とんでもない言葉が耳に飛び込んできた。


「吐気か……もしや、懐妊でもしたのでは? 霊長族から側室の話がきていたと聞く」

「ああ、確かにあのサルならいかにもやりそうなことだ!」


 あざ笑いを含んだ会話に、頭が真っ白になった。


 ――――は? 懐妊? ミレーユが?


 真偽云々よりも先に、沸き上がった怒気。

 それが辺り一帯を焼き尽くす業火の炎となる前にカインを止めたのは、一緒に来ていた母方の従兄弟であるクラウスだった。


 クラウスは己の魔力と、足りない分は魔道具を駆使してカインを止めると、「バカが!」と一喝し、ついでとばかりに足を踏みつけた。


「花嫁殿の故郷を焼き払うつもりか!? 普通に考えて、ただの戯言だと分かるだろうッ」

「――――そうだな。焼き殺すなら霊長族の方だった」

「人の話を聞けよ……」


 カインの深紅の瞳は、完全に闇に呑まれた仄暗い色をしていた。幼少期から彼を知っているクラウスでなければ、裸足で逃げ出したいところだ。


「あのなぁ、懐妊なんてあり得ないだろう。お前のその《竜印》は飾りか?」


 カインの右手を指さし、クラウスが続ける。


「《竜印》がある限り、心変わりなんて考えられない。いまも花嫁殿がお前を想っているって証だ。その《竜印》に守られている花嫁殿を、同意なく害しようものなら相手は一瞬で灰。懐妊なんて万が一でも不可能だろう」


 確かに、ミレーユと交わした《竜約》は破棄されていない。《竜印》はほんの薄れもなく、いまもカインの右手に鮮やかに刻まれているのだから。


 この状態で、欲をもってミレーユに触れようとした瞬間、相手は《竜約》の炎で塵と化す。


 そうだったと、ホッとカインが安堵している横で、クラウスは首を傾げた。


「しかし、なんで側室なんて寝ぼけた話になったんだ? 戯言にしても命知らずだな」


 というか、国知らずだ。一瞬で、母国を消滅させたいのか。竜王がその気になれば、指一本で事は終わるというのに。


「まさかとは思うが…………。カイン、ちゃんとこの国の王に使者は出してあるんだよな?」

「なんの使者だ?」

「なんのって……」


 カインの答えに、クラウスは盛大に眉根を寄せる。

 こんな当たり前の質問に、質問で返されるとは。


「お前の想い人は、この国の王女なんだよな。なら勿論この国の王、グリレス王にも結婚の意思は伝えてあるんだろう?」

「いや」


 即座に軽く首を振って否定するカインに、クラウスの唇がヒクリと引き攣る。


「嘘だろう……? お前は《竜王の儀式》で山に籠りっぱなしだっただろうが、その間に婚約の手続き進めておくよう臣下に指示していないのか!?」

「《竜約》は交わしているんだ、婚約なんて必要ないだろう」

「それは個人間の話だろう!」

「婚姻は個人間の話だろう?」


 竜族の婚姻は、完全に個人間で完結する。双方の同意があれは、例え親であろうが他者が介入することはせず、必要なのはお互いが真に求めることのみ。


「マジかよ……」


 数秒の間のあと、クラウスは頭を抱え唸った。


「これだから竜族は……ッッ!!」

「なにが問題なんだ?」


 カインからすれば、クラウスの怒りにも似た驚愕がさっぱり分からなかった。クラウスは整った切れ長の目を吊り上げる。


「カインはわりと外見も中身も伯母上に似ていると思っていたが、やはり竜族だな。――――お前、“竜族の常識、世界の非常識”って言葉知ってるか?」

「は?」

「個人間で結婚が成立するのは竜族だけ。普通の一般種族は、大体親や一族が結婚相手を決めるんだよ。ましてや王女なら尚のこと」

「はあ? 母上だって、自分で決めて父上と結婚したじゃないか。わりと一方的に」

「伯母上は特別だ! そうじゃなければ、誰が竜族なんかに嫁にやるかッ!」


 竜族の若き王を目の前に、クラウスは言いきった。


 随分な言われ様だが、カインは顔色一つ変えず聞き流す。もう何万回と聞いているので、とくになんの感情も湧かなかった。


 もともとクラウスの一族・虎族は、大ざっぱなくせに力だけは有り余っている竜族のことを目の敵にしており、敵対国として認識されていた。そして、いまやその感情は憎悪に近い。


 理由は、クラウスの母国では“至宝の君”と敬われていたカインの母が、事もあろうに怠惰王と呼ばれる父に嫁いでしまったことにあった。


 そんなに嫌だったのなら止めればよかっただろうと内心で思うが、口にはしない。『できるならそうしている!』と吠えられるのが分かっているからだ。


 竜族の血を引くとはいえ、どちらかというと母親に似たカインは、“至宝の君”の子として虎族からも可愛がられた。それゆえか、幼い時はイヤというほど『怠惰王のようにはなるな!』と忠告されたものだ。


(まあ、それが原因で家出してミレーユに出会えたと思えば感慨深いな)


 そういう意味では父に感謝しているが、そもそもカインが竜王になろうと早い決断を下した理由は、ミレーユが婚嫁した際にあまりに仕事をしない父に呆れ、ショックを受けないよう配慮した形でもあった。


 初めて出会ったときの会話でも、ミレーユの父はきちんと仕事をしていると言っていたからこそ必要な処置だ。


「おい、俺の話聞いてるか?」


 ミレーユのことで頭がいっぱいだったカインは、「伯母上は、虎族の誇りそのものだったのに!」と熱賛するクラウスの話をまったく聞いていなかった。興味も特にない。


「悪い、聞いてなかった。それで、王女の場合はどうすればよかったんだ?」

「マジで《竜約》しか交わしてないのかよ……」


 唖然とするクラウスは、小さく呟く。


「この辺の弱国クラスの種族じゃ、まず《竜印》を視認することすらできないってのに。少しは自分たちの力を過信しろよ……これだから竜族はッ」


 お決まりの『これだから竜族は』の部分しか聞き取れなかったカインはもう一度聞き返すが、クラウスは呆れた視線を投げるだけ。


 この時、クラウスも知らなかったのだ。よもや、カインたち竜族の大半が、“弱国クラスの種族は、《竜印》を認識することすら不可能な魔力しか持ち合わせていない”という事を知らないと言う事実を――――。


「とにかく、先に花嫁殿に会う前に、グリレス王に使者を送れ。ちゃんと結婚したい意思を示せよ。……そうだな、婚資は伯母上と同じくらいの額を提示すれば間違いないだろう」

「え、ミレーユに会うのは?」

「後に決まっているだろう。順序を怠るなよ、結婚は後々まで後を引く大切な儀式だからな。まったく、花嫁殿もよく根気強く十年も待っていてくれたものだ」

「?」

「お前、よくよく花嫁殿に感謝しろよ。齧歯族の寿命を考えても、普通なら《竜印》が消えていてもおかしくない時間経過じゃないか」

「――――は?」

「…………まさか、齧歯族の寿命を知らないのか?」


 儀式のため山に籠っていたカインは、突きつけられた事実に唖然とした。

 同時に、なぜクラウスの一族がここまで竜族を毛嫌いしていたのかも納得する。


 膨大な魔力、溢れる戦力、そして長い寿命。

 他国の手助けを必要とせず、不自由なくすべてが自国だけで成立する環境。


 国を脅かす外的要因が存在しない圧倒的な強者は、あまりにも世界を知らなかった。否、知ろうとしなくてもそれが許されていた。



 その傲慢さが、なによりも不愉快だったのだと――――。

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