竜族の若き王 Ⅰ
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大窓がいくつも並ぶ広い一室には、最年少で王位を継承した竜王陛下、横には宰相ゼルギスが立っていた。
扉の前では数人の竜士が直立不動の姿勢を保っているが、毅然とした背筋のわりに顔色はあまりよくない。
カインはどこか心ここにあらずな表情で、書斎机に置かれた書類にインクを落とす。たちまち黒い染みが広がったが、燃えるような深紅の瞳はそれを見つめるばかりで筆が進む様子は一向になかった。
「――――カイン様。無駄に魔力を放出しないで下さい。他の者たちが怯えます」
ゼルギスがにこやかな笑みで忠告するが、カインはチラリとゼルギスを一瞥するだけで、熱風のように部屋を充満する魔力は収まらない。
彼の機嫌は茶会から帰ってきてからずっとこの状態で、いくら魔力体力に優れている竜士でもそろそろ限界が近かった。
それでも竜士の意地としてへばるわけにはいかない。なんせこの立ち昇るような魔力ですら、彼にとってはほんの欠片にも満たない僅かなものなのだから。
「まったく、なにをそんなに苛立っていらっしゃるのですか? せっかく念願の花嫁とお会いできたというのに」
やれやれとばかりに首を振るゼルギスに、カインは魔石でつくられた机を叩く。
「なにが念願の花嫁に会えただッ!」
椅子から立ち上がり声を荒げる姿に、竜士たちがギョッと怯む。彼が普段あまり声を荒げるような性格でないことを熟知しているからこそ、余計にその怒りが際立っていた。
そんな竜士たちとは対照的に、ゼルギスは顔色一つ変えず、カインのマグマ溜りのような瞳を見据える。
「なにか不備でもございましたか?」
「分かっていながらシレっと問うな」
二人は叔父と甥という血縁関係ではあるが、年功序列など竜族には存在しない。
いくら竜から人の形をとろうとも、弱肉強食は自然界の掟。
故に、ゼルギスはどんな場面でもカインを甥ではなく王として扱う。だが、このときばかりはゼルギスが内心では面白がっているのが丸分りだった。カインは謗るようにゼルギスを指さし、厳しく発した。
「あんなッ――――たった半刻にも満たない時間で会えたと言えるのか!? こっちは新婚だぞ、少しは気を遣ってくれてもいいだろう!!」
声と共に、先程以上の熱風が吹き荒れる。ゼルギスは己の魔力でカインのそれを打ち消すと、サラリと否定した。
「新婚ではございません。仮式を行っただけで、まだ婚儀は終わっておりませんよ」
ついでに上乗せで小言を伝えることも忘れない。
「大体、半刻が嫌だと言うならもっと愛想よくして下さい。なんですか、あのだんまりは。初恋の君を目の前に、ろくに会話もできないとは情けない」
「うッ…!!」
呆れを含んだ指摘に、カインは口ごもる。
「それは……仕方ないだろう…」
「なにが仕方ないのですか?」
彼は仮式の時からやたら落ち着かない様子だった。厳密にいえば、花嫁の身にまとっていたベールを持ち上げたときから。
ベールで隠されていた花嫁の姿を見た瞬間、少し離れた場所にいたゼルギスにも分かるほどに、カインはうろたえていたのだ。
「仮式用に急遽作らせたドレスが気に入らなかったのですか? あれもミレーユ様によくお似合いだったと思いますが」
準備したドレスは、砕いた虹石を使用した竜王の花嫁だけが着用を許される品だ。急遽とはいえ品質的に劣ったものではない。
「夏至の婚礼の儀には、より一層精魂を込めた花嫁衣装を縫製しておりますし…」
「そうじゃない」
下を向きボソリと呟くカインに、ゼルギスは首を傾げる。
「では、他に何が理由で?」
「…ったんだ」
「はい?」
「――――綺麗だったんだ!!」
床に落としていた視線を上げながら叫ぶカインに、ゼルギスは目を瞬いた。
綺麗だった? それが、なぜあれほどの動揺に繋がるというのか。
予期せぬ回答に困惑していると、カインは拳を握りしめ語り出した。
「初めてミレーユと出会ったとき、大きな瞳も小さな唇も、その唇から発せられる物柔らかな話し方もすべて可愛いと思っていたんだッ」
十年前、家出した先で出会った初恋の君。
あの日のことを鮮明に覚えているカインにとって、ミレーユは“可愛い女の子”だった。
しかし仮式で再会を果たしたミレーユは、“可愛い女の子”から、“綺麗な女性”へと成長していた。
幼かった頬は美しい細面となり、夜空のような瞳には艶やかさが増し、肢体は春風に吹かれて揺れる伸びやかな花のよう。
その姿を目が捉えた瞬間、全身の血が沸騰したかのような激震が走った。
再会した暁には、あの日できなかった話の続きをしようと、たくさん語らいたいと思っていたはずなのに、すべてが吹っ飛んでしまった。
今日のお茶会もそうだ。ナイルに案内され、現れたほっそりとした姿を目に移した瞬間からまともに表情筋が動かず、いっきに跳ね上げた心拍数の上昇で生まれて初めて緊張のあまり吐きそうになった。
結果、お茶会でも仮式と同じくロクに話もできず、気の利いたこと一つ伝えられず。ならばミレーユが困っていることを解決すれば話も盛り上がるかと思い問えば、やんわりと断られ――――。
「会話の糸口が何一つ見つからない……ッ!」
頭を抱える若き竜王を、ゼルギスは呆れ顔で眺めみた。
「出会った初日で《竜約》まで交わしておいて、なにを今更……」
「その出会って早々に、家出してきたなんて言うような子供だったんだぞ! せめて大人として成長したところを見せないとガッカリされるだろう!」
「大人、ですか? あれは大人というよりは、ただの無口で無愛想な男なだけですよ。和やかなお茶会なら、公務の時間を先送りにしましたのに」
カインの魔力にあてられミレーユが倒れないように早めに茶会を切り上げたが、本来ならもう少し時間を設ける予定だった。
そんなことを今更伝えられ、カインは口惜しそうに恨み言を吐いた。
「それは先に言ってくれ……ッ!」
その情報を事前に知っていれば、何がなんでも感情をコントロールして魔力が外に放出せぬよう努めたというのに。
「つ、次は?」
「婚儀の日ですね」
「遠いっっっ! 三カ月は先の話じゃないか!」
「当然でしょう。今回はミレーユ様たってのご希望ということで特別に時間をもうけましたが、本来なら婚儀までは対面禁止、半径五十メートル以内は接近禁止。カイン様だって了承されたじゃないですか」
確かに了承した。
その代わり、仮式という本来なら存在しない式典をこしらえさせ、ミレーユの輿入れの日を早めさせることを条件に。
「あの時は焦りに焦っていたし、とにかくミレーユを一刻も早く国に呼び寄せたい一心だったんだ……」
「まあ、お気持ちはお察ししますが」
「私はあの日まで、
寿命の長い竜族にとって、十年という期間はわかずな時間だった。
だからこそ、ミレーユに待っていてほしいと伝えたのだ。
しかしミレーユの種族、齧歯族にとって十年という月日は人生の三分の一にもあたる時間だった。そのことを、カインを含めゼルギスたち臣下さえ、最近まで知らなかったのだ。
――――遥か太古、一匹の竜から塗り替えられた【はじまりの時】から、世界は大きく形を変えた。同時に、竜はその圧倒的な力を御するため、いくつかの誓約をかけた。
その一つといわれているのが、【齢十六までの調和盟約】。
それは、どんな種族でも十六歳までは同じ時間の流れのなかで、同じように成長するというものだった。しかし、十六歳を過ぎるとそこからは種族性で寿命が異なり、元始の血が大きく作用する。
竜族が治めるドレイク王国の周辺国は上位種族ばかりで固まっており、彼らの寿命は竜族ほどではないがそれなりに長い。
上位種族故の寿命の長さを、竜族はそれが世界の平均なのだろうと疑ってもいなかった。
「事前に齧歯族のことを調べておくべきでしたね」
「なぜ調べておいてくれなかったんだ……」
「それは貴方が、花嫁の名以外どこのどなたか仰る前に《竜王の儀式》に入ってしまわれたからですよ」
「……そう…だったか?」
十年前、突然竜王の一人息子が消えた。だが誰も心配すること無く、探すこともなかった。産まれた時から覇者の魔力を持つ子供を、一体だれが害せよう。
これが彼の父であったなら、『また逃げ出したな!』と血眼で探索隊を出すところだが、彼は幼いとはいえ父親と違って危なげない性格。そのうち帰ってくるだろうと思っていると早々に帰宅し、そして宣言したのだ。
『結婚の約束をしてきた。《竜約》も交わしたから、いまからすぐに《竜王の儀式》に入りたい』――――と。
《竜王の儀式》とは、文字通り王となるための儀式。
しかし、それはとても七歳の子供が行えるようなものではなかった。
「ただでさえ、幼竜の身で《竜王の儀式》を始めるなど前代未聞。私たちが、どれだけ慌てふためいたことか」
竜族が成竜と見做されるのは十七歳と決まっているが、成竜となって数十年後に《竜王の儀式》を行ったとしてもまだ早すぎるというのに、七歳で行うなど正気の沙汰ではない。もちろん周りは止めた。
竜王にならずとも、婚儀は成竜になれば行える。ならば十七歳を待って婚儀をあげてから、儀式に入ればいいと諭したのだが。
『早く大人になると約束したんだ! 成竜になっただけでは立派な大人になったとは言えないだろう。竜王としてちゃんと国を束ねられる人物なら、きっとミレーユも大人になったと認めてくれるはずだ!』
いやいやいやいやと、ゼルギスは冷や汗を流した。
竜族の歴史を引き継ぐ《竜王の儀式》は生か死か。国を束ねるよりよほどキツイ。
ゼルギス自身竜王の血を引き継いでいるが、幼い時から自分では《竜王の儀式》に耐えられるほどの資質を持ち合わせていないことを察するほどに危険なものなのだ。
《竜王の儀式》は、【始まりの地】と呼ばれる大きな火山体の中で行われるが、そこはまさに魔空間。中に入るだけで、一介の竜族では身を引き裂かれるような魔力に押しつぶされる。
よしんば中に入れる魔力があったとしても、竜王の素質が少しでも低ければ儀式の途中で力尽き、脱皮不全のような状態に陥り死に至るのが常。
「カイン様が、たった十年足らずで無事に《竜王の儀式》を継承して下さったときは心底安堵いたしましたよ」
儀式の間は火山体から出ることはできないため、臣下たちはただ待つことしかできなかった。しかしそんな心配をよそに、カインは本来何十年とかかる儀式を最年少で最短とも言える長さで終えた。
臣下は涙し、竜兵は喜んだ。
なんせ、カインの父である黒の色を持つ黒竜王は、仕事はさぼる、家出する、居眠りは日常茶飯事の怠惰王であったため、彼専用の捜索隊や抑留隊、捕縛隊など数多くの竜兵が必要だった。
竜兵は、一個小隊で隣国を全滅させるほどの力を持ち合わせているが、黒竜王相手では大隊が一丸となっても押しとどめることすら不可能。怠惰王と言われていても、その力の源は本物だ。
毎回王に仕事をさせるためには多大なる国力を使っていたが、基本的に真面目なカインにはその必要がない。
格段に仕事が進むことに、臣下たちはこれもすべて花嫁の存在のお蔭だと感謝し、そして気づいたのだ。
で、その花嫁はいったいどこのどなたなのだ? と――――。
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