偽りの花嫁
(――――なんて、覚悟を決めて来たのはいいけれど)
威勢だけで策がなかったと、ミレーユは自分の短慮さを悔いていた。
ほぼなんの説明もなんの準備もできずに迎えの馬車に乗せられ到着したドレイク王国は、本当に次元が違うまさに異国だった。
豪華絢爛な王宮に、規模が違いすぎる街並み。整った生活環境に、溢れる活気と魔力は自国と違いすぎる。そのあまりの違いに、慣習や生活習慣すべてが異なって見え、礼儀知らずな発言をしないか言葉一つ発するのも恐ろしい。
(困ったわ。この先どうしたらよいのかしら?)
ドレイク王に、婚礼の儀という最悪な状況で顔を見られたのだ。
その瞬間、すべては終わり強制送還――――と思っていたのだが、なぜか式はつつがなく終わり、特に糾弾されることもなく、ミレーユは女官長の案内で王宮のどこまでも伸びる白い大理石の
ミレーユを囲うように四方を歩くドレイク王国の女官たちは、皆ミレーユなどでは足元にも及ばない魔力量を持ち、しかも目がつぶれてしまいそうな美女ばかりだった。
(こんな美しい方々に取り囲まれていると、ドブネズミが一匹紛れ込んだ感がすごいわ)
誰がどう見ても、自分の方が女官に見えるだろう。
とくに先頭に立つ女官長、ナイルは女官の中でも飛び抜けて美しく、高く結いあげられた髪はきらめく銀色、その瞳は空よりも輝く瑠璃色だった。
ミレーユよりもよほど王女らしい気品と容姿を持ち合わせ、年もさほど変わらないように見えるが、周りからとても信頼されているのが感じとれる。
(でも……)
ナイルは、ミレーユを迎えにきた一人だった。
グリレス国では、婚儀前はベールで顔を隠して嫁ぎ先に出向かねばならない――――という存在しない仕来りを勝手につくり顔を隠していたのだが、ナイルには着替えの際にはしっかり顔を見られていた。
(ナイルさん、とても仕事ができそうな方だけど、ドレイク王から容姿については何も聞いていらっしゃらないのかしら?)
秀でた美しさもなければ、妹とは髪も瞳の色も違うというのに、ナイルには驚いた様子も動揺も見受けられなかった。あの時は助かったとホッとしたが、なんとなく腑に落ちない。
こんな大国の、大勢の家臣がいる国が、そこまで雑な情報のやり取りをするものなのだろか?
(急なお話だったし、準備するだけでも大変だったのかもしれないわ)
なにせ簡素と聞いていた式すら盛大なもので、この国の簡素ってどれくらいを言うのかしら? とずっと考えてしまうほどのレベルだ。
(皆さんなにも仰られないけれど、求めていた娘とは違うことはもうご存じでしょうし、私の処遇をどうすればいいのか困ってらっしゃるわよね)
式が終わってから一度もドレイク王と会っていないのも、どうして花嫁が違うのか話し合っているのかもしれない。
(すぐに追い出されないだけでもありがたいけれど、すごく申し訳ない……)
「ミレーユ様?」
「は、はい!」
考え事をしている間に、扉の前まで来ていた。
「こちらがお部屋になります」
「え……あ、はい」
「本来別のお部屋をご用意しておりましたが、少々手違いがございまして……」
申し訳ないと、ナイルが頭を下げる。
「いえ、お気になさらずに!」
きっと用意されていた部屋は、王妃のためのものだろう。本来の花嫁ではないミレーユが使用できるわけがないのだ。
ここに来る際、数多くの扉の前を歩いてきたが豪華な扉が多かった。目の前の扉は装飾の少ない赤銅色、他のものに比べても質素なもの。
(偽の花嫁だもの。例え、埃だらけのお部屋でも文句など一つも――)
ない、と思う前に室内を見たミレーユは、口を開いたまま硬直した。
もともと自国のミレーユの自室も、簡素なテーブルやベッドがポツンと置いてある程度。それより劣ろうが一向に構わないと思っていたのだが、目に入ってきた光景はまったく違っていた。
飾り気の少ない扉からは想像できないほどの広い室内は内装、絨毯や
置かれている調度品も、ミレーユがいままで見たきたものとは比べようがないほど高価なもので、自国ならば国宝扱いされてもよい品ばかり。天井は見上げるように高く、大きなシャンデリアが二つも並ぶ。日当たりも良く、大窓から入る光が部屋全体を輝かせていた。
「素敵なお部屋……」
思わずため息が零れた。
「お気に召されましたでしょうか? ミレーユ様は琥珀色が一番お好きとお聞きしましたので、こちらのお部屋を選ばせていただきました」
確かにドレイク国に来る道中、ナイルから好みの色を聞かれていた。
「あ、ありがとうございます」
礼を言いながらも、ミレーユは半信半疑だった。偽の花嫁の分際で、こんな目もくらむような部屋を本当に使用していいのかと。
(ご遠慮したいほどのお部屋だけど、ここで辞退したら変に思われるかしら?)
一応、いまはまだ『花嫁が違う!』と指摘されていない状態で、それを知っているような言動は避けたい。
うーん、うーんと悩んでいると、ナイルが不安そうに問う。
「お国の方からは、ミレーユ様は赤色がお好きとお聞きしておりましたので、深紅で統一したお部屋も準備しておりましたが、そちらがよろしかったでしょうか?」
「え…」
赤は自分ではなく、エミリアが好きな色だ。
(しまったわ。ドレイク王国の使者の方には、エミリアの好みを伝えていたのね……)
本来、花嫁にと求められているのは妹のエミリア。
ならば、後々支障がないよう、バレない程度の情報はエミリアのものを告げていたのだろう。
(ああぁ。せめて、使者の方に事前にお渡しした情報の内容くらいは聞いておけばよかった!)
よほどエミリアの離縁に集中したかったのか、身一つで放り出されるようにドレイク国が準備した馬車に乗せられたのは痛かった。ここは誤魔化すしかない。
「あ、赤も大好きなのですが琥珀色も好きで…、素敵なお部屋でとても嬉しいです!」
上ずった声でそう強く伝えると、ナイルは安心したのかホッとした顔でほほ笑む。
「足りないものなどございましたら、すぐにご用意いたしますので何なりとお申し付けください」
「いえ、これ以上はもう十分ですので、私のことはお気になさらずに……」
言いながら、ふと視界に入ったそれに頭が真っ白になる。
立派な調度品の中でも際立って美しいそれは、知識でしか知らないものとはいえ、一目見て本物だと感じ取れるほどの色を持っていた。
(この人工的には到底作り出せないような美しい七色の輝きは、どう見ても……)
「あの、ナイルさん、これはもしかして」
恐る恐る問う。
それは大きな砂時計だった。
金の装飾がされ見た目にも豪華なものだが、驚いたのはその点ではない。
砂時計の中に入っていたのは砂ではなく、何千という七色の玉だったのだ。
思い違いでなければ、これは――――
「
「はい」
ナイルがなんの躊躇もなく笑顔で答える。あまりにあっけらかんと答えるので、ミレーユは二重に驚いた。
(えっと…私の間違いでなければ、虹石はその一つで国同士が争って手に入れようとするほどのもので、とても貴重価値の高い宝石ですよね?)
なぜ知っているかというと、十年前の争いの火種が、一つの虹石から始まったものだったからだ。
「虹石は、我が国で採掘される国産石なのですが魔よけの意味もございまして、陛下よりミレーユ様の自室には必ず置くよう申し付けられております」
「え?」
その優しい心遣いは、本来ミレーユに与えられるものではない。
(ナイルさん、もしかしてまだ私が偽物の花嫁だと聞いてらっしゃらない?)
そうでなければ、こんな大事なものを偽物の部屋には置かないだろう。
何も知らずに優しくほほ笑むナイルの笑顔に、良心がグサグサ痛む。
どう声をかけていいのかわからず困惑していると、ナイルに椅子を薦められる。ボーっとしているミレーユの周りで、ナイルと数人の女官がキビキビとした動きでお茶を淹れだした。
テーブルの上にはいくつかのスリーティアーズが運ばれ、あっという間に目の前には色とりどりの焼き菓子と、湯気を立てる紅茶が並ぶ。
この状況で飲まないわけにはいかないと、ミレーユは恐る恐る白磁のカップを持ち上げる。カップの縁には、豪華な金彩が施されていた。自国では逆立ちしてもこんな豪勢な食器は用意できない。
コクリと一口飲み、頭を抱えそうになった。
使っている茶葉も温度も、すべてが今まで飲んだことのない最高級クラスのものだ。
(――――うん、無理だわ)
紅茶の味わいが口の中で消える前に、ミレーユは心の中で言い切る。
無理だ。
これ以上、なにも知らされていないだろうナイルたちによくしてもらうのは心が痛すぎる。
「あの、ナイルさん!」
「はい?」
「陛下にお会いすることはできないでしょうか?!」
「カイン様にですか……」
だが、その求めにナイルの声と表情が陰る。
困惑にポロリと零した名は、それまで『陛下』と口にしていた敬称とは異なるものだった。
「申し訳ございませんが、お会いいただくのは婚姻の儀までは難しいかと」
「え?」
(婚姻の儀は、今日終わったのでは?)
疑問が顔に出ていたようで、ナイルが首を傾げる。
「まあ、こちらの使者からお聞きしておりませんでしたか? 本日の式は、仮式でございます。竜族の婚姻の儀は、夏至の日のみに許されるもので、今回は特例で仮式を行いましたが、強制力のないお披露目に近いものです」
つまり、婚礼の儀はまだ終わっていない?
(よ、よかったぁぁぁあああああ!)
今日初めて出会った方に、偽りの婚儀をさせてしまった罪悪感から解放されたミレーユは、ホッしたあまり泣きそうな顔になる。その表情を、ナイルはどう勘違いしたのか。
「申し訳ございませんっ、こちらが早急なあまり配慮が欠けておりましたわ! わたくしの方で、陛下とお会いできますよう取り計らいますので、少々お時間をくださいませ!」
「え……あ、…ありがとうございます……」
ナイルからこれでもかというほど申し訳なげに謝罪され、ミレーユは先程とは違う罪悪感にさいなまれた。
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