第31話 あるおまじない

約束の時間が訪れるまで不手際がないようにと何度も入念に調べていた結果、12時を知らせる田舎独特の時報サイレンが街に鳴り響く中で長谷川は小柳の隣で体から暴走する熱を冷ますように両手で顔を隠して左右に激しく揺れていた。

まるでボクシングのデンプシーロールだ。

空を切る音は羞恥心と比例して素早くなる。

だが小柳はそんな長谷川の様子を他所に弁当の蓋の裏に綺麗に張り付いている海苔で形成されたゲームのキャラクターを鑑定団くらい凝視していた。

(やってしまった…!小柳先輩に貴重な時間を割いてもらったのにまた私は迷惑を…何でいつも思い通りにならないの?せめてこの失敗を隣で笑って欲しい。それだけで私の気持ちは救われ...)

不公平な現実と不安に心が押しつぶされそうに胸が苦しくなる長谷川に対して小柳は鑑定を終えたように開いた口から声が出る。

「凄い…凄いな長谷川!これって俺が遊ぶゲームのキャラを海苔で再現したんだろ!?完成度が高過ぎて見た瞬間にわかったよ!いやぁいい仕事してるわ!流石だな!」

笑うどころか体を前のめりで目を輝かせてまで感動する小柳の姿に長谷川は呆気にとられてしまう。

そう、この前の中村との水族館デートの時と同様に小柳は好きなものに関して異常な程に気分が高揚するのだ。その興奮状態は止まることを知らない。

「そ、そうですか?わかってもらえて嬉しいです…これほどまでに喜んでいただけるだなんて、失敗はしましたけど良かったです…!」

「え、これが失敗してたのか?どう見てもあのキャラだぞ。上手くできてるよ!」

「ありがとうございます…本来は白米の上に綺麗に綺麗に乗せていたのですが、時間の問題か量の問題か謎ですけど蓋の裏に張り付いてしまって…細かく確認するとわかりますがキャラクターが自撮り写真のように反転してしまっています…」

「なるほどな、少し違和感があったのはそういう事か。でも逆に良かったわ!」

「え、それはどういう意味ですか…?」

「だってこれを見ながら長谷川の作ってくれた弁当を食べることができるだろ?最高じゃねえか!」

子供のように無邪気な笑顔で失敗を成功へと導く小柳に長谷川は温かい気持ちに心地よくなる。

「そう…ですか…?」

「それにご飯の上に乗ってたら崩すのがもったいない気がして食べてなかったと思うしな!」

「ふふっ、それはダメですよ!先輩のために作ったのですから全部食べてください!お残しは許しませんよ?」

この場の空気が丸く収まったことに一安心した長谷川は用意していた冷たいお茶で喉を潤す。

いや、正確には小柳が変えてしまったのだ。

これまでもこの様な出来事が何度か起きていた。

小柳はその気が一切ないため記憶にはないがされた側の長谷川は忘れることはない。それは友人間での金や物の貸し借りと少し似たようなものである。

「俺のためか。そうだよな、自分で食べるだけなら知らないキャラのキャラ弁なんて作ることもなかったわけだからな。もちろん有難く全部いただくよ!ここからは無礼講タイム突入だからな?いただきます!」

「おかげでいい勉強になりました。あ、そうで…だった!私もいただきます。小柳先輩、取り皿こっちにあり…るから食べ…食いたいものをどうぞ?」

そう言って長谷川は紙の取り皿を渡して何から手を付けていいのか真剣そうに悩む小柳の横顔を口を挟むことなく嬉しそうに見ていた。

「たどたどしいな!あ、もしかしてこの卵焼き、ほうれん草が入ってるのか?」

「うん。小柳先輩のお家ではそうだと聞いてたから、小柳先輩のお母様の作る卵焼きとは違うと思うけど挑戦してみ…た」

「覚えてくれていたのか。それと先輩って呼ぶのはどうだろうな?一応は弁当を食べ終わるまでは上下関係なしの無礼講だから遠慮はするなよ。長谷川の取り皿貸してみ、俺が取るよ。どれが食べたい?」

「え?じゃ、じゃあ。…卓也君、私は卵焼きの隣にあるエビフライが食べたい…よ?」

「だからって名前呼びかい!なんだか卓也君って呼ばれるの懐かしい感じがするわ。エビフライな、OK」

「ごめん…!調子に乗りまった!」

「どこの方言だよ!無礼講タイム思ってたより面白いな。長谷川って仲良い友達にも普段からこんな感じなのか?先輩後輩の関係だから長谷川のこういう砕けた感じ新鮮で良いよ。今度学校でもやるか?」

「普段は違…それはダメ!ここでだけ…よ」

長谷川は口を尖らせて不満そうに怒るが隣で楽しそうに話す小柳を見ると嬉しくなりつられてしまう。

弁当の中身は彩りに拘っていた。振る舞う相手が小柳ともあって男性が好きな揚げ物の茶色だけで統一しないようにと心掛けていた。アスパラのベーコン巻、ほうれん草入り卵焼きのように1つのおかずで2色を表現し、視覚も含めて楽しむことを目指した。

残念ながら白米も海苔で2色といきたかったが結果的には功を奏したかたちとなった。

「うん、この卵焼き美味しいよ。味付けも辛口審査できないくらい完璧だ!お世辞抜きに母さんのより美味しいよ。そっちのエビフライはどうだ?」

「そんな大袈裟だよ…でも、良かった…卓也君が薄味よりも濃い味が好みだと言っていたから少しだけ濃いめにと。エビフライは…うん、美味しいよ?」

長谷川は小柳の名前を卓也君と呼ぶ前にいちいち口を小柳の『こ』の形をした後に『た』の形にして戻して卓也君と呼ぶ。それが気になってしまう。

(卓也君って凄く呼びにくそうだな!長谷川が弁当を作ってくれたから俺がお返しにできることは楽しい時間を提供することって思ったんだが、反って無理させてたら意味ないよな)

「そんなに呼びにくいなら名前はいつも通りでもいいぞ?なんなら無礼講タイムもやめようか?俺だけ楽しんでも意味ないからな」

「いいの!いや、私は超絶楽しいので食事中はこれがいい。ほら、卓也君どんどん食べて!味噌汁も熱いうちにどうぞ!あ、飲め!」

「はい女王様!ってそれは無礼講じゃねえよ!…それにしても全部美味しいよ。作ってくれてありがとな。俺1人で食べるのが勿体ないくらいだ」

「ありがとう…では次回は立花先輩も呼んで…そうだ、昨日の勉強会はどうだった、の?」

「そうだな、立花も長谷川の作る弁当好きだから喜ぶと思うぞ。昨日か?昨日は…」

長谷川は小柳のさりげない「も」という言葉に少し照れるとキャラ弁という名の手作り弁当を食べながら小柳から昨日の出来事を聞いた。

途中から中村も参加して3人になった事、立花が小柳の父に宣戦布告するかのように気持ちをぶつけた事、立花がきっかけをくれたおかげで小柳は父に溜め込んでいた思いを吐き出せた事。喉が渇く程に濃いめでお送りした三本立てだ。

この三本立てをメインディッシュとするならばデザートは立花の顎に頭突きしてしまった事だ。

「そんな事があったんの!?…ふふっ、立花先輩は本当に凄い人だね。自分の意見を持つことは誰でも出来るけど、発言できる人は中々いないよ。わかりやすいくらいに真っ直ぐなところ、とても尊敬するし…、羨ましい…」

「わかりやすいか?俺にとっては立花の言動には理解できない事も多いが…まあアイツのおかげで自分らしくなれたのは事実かな」

「卓也君も…いや、周りの人達も変える人だよね。夢か。ちゃんと立花先輩にお礼は言ったの?」

「いつの間にかそうなってたな。お礼…また苦手な事しないといけないのか。まあ、1つ策があるって感じだな。そういや長谷川は夢とかないのか?」

「そうなんだね。私の夢?…将来的な夢はまだないけど小さな夢ならたくさんあるかな」

「夢に大きさなんて関係ないと俺は思うけどな。その小さな夢って例えば?良かったら聞かせてくれよ」

「そうだね、例えば花火大会に行きたかった事もその1つだし…これは夢というか願望に近いのかも。花火大会の件はもう仕方ないとして、それ以上に叶えたい夢は文化祭の成功かな」

「文化祭?…そうか、今年は体育祭じゃなくて文化祭があるからな。でも文化祭で何かあったか?」

2人の通う私立針木高等学校は周りの学校と比べると大して体育祭や文化祭など行事に力は入れてなく1年毎に交互に行われる。

そのため小柳は1年の時に体育祭を経験し、今年は文化祭、来年は体育祭となる。

「文化祭といえば文化部、私たちの部活の出番だよね?そこでお茶会を開いて学校の生徒や外部の方に楽しんでもらって少しでも多くの人に茶道部を知ってもらいたいって夢があったり…」

「なるほど…それいいな!正直俺はこの部活に無理やり入部させられてる側だから未だに茶道の事はよく知らないけど、長谷川のその夢、俺に出来ることがあるなら協力させてくれ!」

「本当…?ふふっ、今言質取りましたからね?頼りにしてるね」

長谷川は小柳の優しい言葉に穏やかな笑みで返事をすると自分の取り皿にあるおかずを口に運ぶ。

「任せろ。いつの間にか食べ終わって残ったのはこれだけか。本当に美味しかったよ。食べるのがもったいない気はするが最後に頂くかな」

そう言って小柳は海苔で形付けられたキャラクターが綺麗に張り付いている弁当の蓋を取ろうと手を伸ばすと長谷川は無礼講タイムの終わりを迎える事に反応して素早く両手で小柳の手を掴む。

「どうした?やっぱり観賞用だったか!?そうか、写真撮ること忘れてた!危なかったわ…」

「今回は失敗したので成功した時に写真は撮って!そうじゃなくて。いえ…。その、何でもないよ。食べてね」

長谷川は何か言い残した事を我慢するように静かに掴んだ両手を離して姿勢を整える。

何も無かったように振る舞う長谷川の態度に小柳は少し前の自分の姿と重ね合わせてしまった。

「長谷川、今が何の時間かわかってるか?」

「2人でお弁当を食べる時間でその間は無礼講…」

「だろ?だったら1度口から出そうとした言葉は飲み込まずに遠慮なく吐き出してくれ。こんな頼り甲斐ない俺でも受け止めるから」

小柳から真剣な顔で注意という気遣いをされた長谷川の心は腹以上に満たされる。徐々に体が熱くなると弁当の準備の時に怪我をした指の傷が疼くように1つの言い訳、心残りが浮かび上がった。

「じゃあ…これ…やっぱり痛いので、卓也君に治して…欲しいかな…?」

長谷川は小柳の視界の入る位置に左手の絆創膏が巻かれてある人差し指を差し出す。

「治す!?待ってくれ、長谷川には俺が医者か能力者にでも見えてるのか!?何とかしてはやりたいけど…俺に何とかできるのか?んー…」

小柳は驚きながらも長谷川の人差し指を眉間にしわを寄せてまじまじと見つめている。

「ふふっ、本当に治すことができたら凄いけど、今の痛みを和らげる方法?とかあったり、しないかな…?」

「今の痛みを和らげる方法か。そうだな…だったら違う箇所を痛めるとか?」

「増やしてどうするの!相殺しないよ!?違うの、私が言いたいのは…その…、あるじゃないですか!例えば、おまじない、のような?」

「おまじない?痛み…おまじない…そんな非科学的なもので痛みが和らぐ…あ。あるにはあるけど今それをやるのは流石に恥ずかしくて無理だわ」

「無礼講、だよね…?」

言葉のブーメランが回転速度を激しく増して小柳に突き刺さる。

「だけど…わかった。や、やるよ!やるけど昔やってたおまじないだからな!何があっても無反応だけはやめてくれ!頼むぞ」

「うん、約束する。その代わり…全力でお願い」

「全力で!?…ああ、もうこうなったらヤケクソだ!全力でやってやるよ!見てろよ!…いや、あんま見なくていい。いくぞ…」

小柳は大袈裟なくらいの深呼吸して気持ちを落ち着かせ自らの両手を長谷川の怪我した人差し指の前で呪文を唱えるように回し始めた。

ここから小柳の迫真の1人芝居の始まりだ。

「痛い痛いのー…俺に飛んでけぇぇえええ!!!」

高校生活を過ごす中で初めてに近い大声で小柳は両手を自らの胸の方に当てて長谷川の怪我した痛みを代わりに受けるつもりらしい。

「あ、きた…いたっ…いたたたた…痛え!!それでも俺は耐えて…うわぁぁああああ!、ぐはっ…!」

予想以上の痛みに耐えきれない小柳はその場から後ろに身体を倒れ込むと死んだフリをする。

レジャーシートがズレる音が虚しい。

(あー!本当に今死にたい…!何で俺は昔はこんな事を平気でやってたんだ…変な汗が止まらねえ…)

以上、小柳が幼少時代に怪我をした際に母がよくやってくれたおまじないでした。

羞恥心で耳たぶまでも赤くなる小柳は自分が大人に成長していた事を感じながらも母からこの技を受け継いだ事に激しく後悔していた。

思春期を迎えるまでは友人や知り合いなどが怪我をした際にこのおまじないを披露する事に何も躊躇うことはなかった。むしろおまじないをかけた相手が笑顔になるため反応が嬉しくて仕方なかった。

だが今は違う。

ようやく高校生活で透明で空気だった小柳に色がつき始めたところ。何より長谷川は後輩という存在であって、4月に茶道室に突然現れて入部して以来の関係でイメージはこんな糞みたいなおまじないをするような奴に出来上がってはないはずだ。

長谷川から背けた顔は振り向く事を恐れていた。

「ふふっ…ふっ…はは!はははっ!あははは!」

長谷川は手で口を隠そうとするが堪えきれずに声を出して笑いだすと小柳はひとまず約束通りに無反応ではないと安心した表情で顔を振り向く。

小柳の目から伺う世界にはいつも静かに微笑むおしとやかな長谷川ではなく、瞳に涙を浮かべながら心から嬉しそうに笑うあどけない長谷川がいた。

一瞬何処か懐かしいような気分が小柳の頭の中を横切るが、それがおまじないのせいなのか長谷川のせいなのか理解はできなかった。

身体を静かに起こして長谷川から再度お願いをされないようにと小柳は急いで手掴みでキャラ弁の海苔を口の中に入れて両手を合わせご馳走様、無礼講タイムを問答無用に終わらせる。

「あ、食べちゃいましたね!これで無礼講の時間は終わりましたか。でも、とても楽しかったです!提案してくれてありがとうございました!」

「長谷川が楽しかったなら良かったけど、まさかこんな流れになるなんて想像もしてなかったわ。もし今後もする事があるなら是非とも怪我しないでくれ」

「ふふっ、またおまじないで治さなきゃいけなくなりますもんね?おかげで痛みは卓…小柳先輩が受けてくれたので治っちゃいましたよ!」

心做しか長谷川の言葉遣いが無礼講タイムを終えてから柔らかくなった気がした。

「そうか、久しぶりでも効くもんなんだな。って嘘だろ!あんなのは気持ちの問題だからな」

「あんなのって、素敵なおまじないですよ?」

「だとしたら長谷川は何であれ程笑ってたんだろうなぁ?」

小柳は少し意地悪そうに問い質すと長谷川は顔を下に向けて取り乱したように慌てだす。

「そ、それは…!その…ですね…」

「まあいいよ。俺も長谷川のおかげで楽しい時間を過ごさせてもらったしな。弁当美味しかったよ」

「いえいえ、私こそ綺麗に食べてもらえて嬉しかったです。本当は期末テスト前に私のわがままに付き合ってもらって申し訳ない気持ちでした…」

「それは考え過ぎだな。全然気にすることないよ、むしろいい息抜きになったし。最後のさえなければ本当にいい息抜きだけどな。次も楽しみにしてるら」

「はい、次こそは怪我もなく海苔も蓋に張り付けないように頑張りますね…!」


午後2時を過ぎようとした頃、小柳と長谷川は他愛のない会話をしながら公園を出て駅前で別れようとしていた。

「そういや明日からテスト週間で部活は休みだから次に会うのは来週の金曜になるのか」

「そうでした。金曜…少し長く感じますけどお互いテスト頑張りましょうね!」

「俺たちなら大丈夫だろ。いや、長谷川のことだし名前を書き忘れて0点取ったりしてな?」

「やめてくださいよ!まだ3回しかないです!」

「3回もあるのかよ!本当に書き忘れる人っているんだな。気をつけろよ。それじゃ」

「はい」

いつも部活の後は小柳が長谷川を学校の最寄り駅まで見送りに行くが、今回は逆のため背中に長谷川の見送る姿を感じながら券売機の前に着く。

財布を取り出して切符を買おうと開けると小柳は1つ思い出した事がある。

「そうだ。長谷川!」

小柳が長谷川を呼ぶと長谷川は何か察したようにランチバッグから財布を取り出しながら近づく。

「はい、どうしましたか?お金なら…」

「違う違う!帰る切符代くらいはあるよ。それに後輩から借りたりしないわ。そうじゃなくて、まだ時間はあったりするか?」

「時間ですか…?もちろんありますよ」

長谷川は腕時計で時間を確認する事なく間を空けずに返事をする。

「そうか。じゃあ付き合ってくれないか?」

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