第30話 重いのほか

6月25日、日曜日。天気は曇のち雨。

午前11時半頃、花壇に咲く綺麗な青紫色の紫陽花が梅雨を知らせる駅前にて待ち合わせのためギンガムチェック柄の大きなランチバッグを片手に提げて白色のフリルブラウスにチェック柄のフレアスカートを華麗に着こなす1人の落ち着きのない様子の女性が立っていた。

長谷川香織だ。

緊張しているせいか上手く決まらないのか右手は前髪を常に気にして触っている。その腕には全体をローズゴールドで統一した高校生には手が届きそうもない高級時計が身に付けてあった。

今日は前々から話していた手作りキャラ弁を小柳に振る舞う日であり電車が駅に停車する度に長谷川の背筋は自然と伸びてしまう。

(いよいよこの日が来た。小柳先輩、私のお弁当喜んでくれるかな。味付けも見栄えも問題はなかった…はず。これでもし小柳先輩を怒らせるような事になって、部活を辞めるだなんて言われでもしたら…はぁ…、自信なくなってきたな。いっその事、今からでもドタキャンされないかな...)

小柳が到着するまでの時間の長さが元々ネガティブ思考の長谷川の中で不安を募らせていた。

1本の電車が到着して少し時間が経つと改札を抜けた小柳が辺りを見渡して小走りで向かう。

「長谷川?だよな。待たせたみたいで悪い」

長谷川の後ろから確認するように小柳が声を掛けてくる。相変わらず服装は黒シャツのジーパンだ。

「いえいえ!私も先程着いたところです!小柳先輩、おはようございます」

本当は約束の時間より20分も早く到着していた。

「おはよう長谷川。ここが長谷川の家の最寄り駅なんだろ?初めてだから遅刻しないように早めに家を出たはずだったけどちょうど良かったんだな」

「初めて?…そうなのですね。確かにここは遊ぶようなところは残念ながらないですからね。私も含めて皆さんは遊ぶ時はあの電車に乗車してこの街から離れますよ」

「見るからに山に囲まれた田舎って感じだよな。俺はこういう長閑な雰囲気は落ち着くし好きだよ。お、そのバッグに入っているのは長谷川が作ってくれた例の弁当か?」

「はい。本当に初めてキャラ弁に挑戦してみましたので自信がなくて小柳先輩の口に合うかどうか…」

「料理が上手いのは知ってるから安心してるよ。長谷川がいいなら俺なりの厳正な評価でもしようか?ダメだ、今日は点数の札持ってくるの忘れたな…今から家に取り帰ってもいいか?」

「本格的に評価しようとしないでください!それは困りますよ!でも、嘘はなしで素直な感想でよろしくお願いします…」

「冗談だよ。それで、どこで食べようか?この辺わからないし…長谷川、どこか弁当を食べられる良い場所知ってるか?」

「私のお家…も考えましたが、せっかくのお弁当ですのでここから少し歩いたところに広めの公園があります。そちらでどうでしょう?」

「じゃあそこで頂こうかな。弁当のために朝食べてきてないから今お腹空いててさ…もう昼時だし早速行くか。バッグ重そうだから持つよ」

「大丈夫ですよ!私が無理言ってお願いしていますし今日はおもてなしさせてください!」

何度かバッグを持つ持たないのやり取りが続くと長谷川は左側に立つ小柳から遠ざけるように右側の方に両手で居場所を確保する。

「わかったよ。じゃあ長谷川に全て任せるわ」

言葉を交わす間に先程までの不安な気持ちが消え去り冷静に物事を考えられるようになった長谷川は小柳に対して若干の違和感を感じた。まるで心にかかっていたモヤが消えているみたいに。

それもそのはず。小柳は昨日の父との件で気分が晴れていたのだ。


昨日の夕方、小柳父の仕事部屋にて。

立花が部屋から出ていくと残された中村も慌てて退出し不穏な空気が立ち込める部屋に残されたのは当然小柳と父の2人。

約1年ぶりの2人きりだ。息苦しい。

互いに睨み合ってはいるが何も言葉は出てこない。母は2人の間に入る野暮なことはせず息子の成長を階段から見守る事にした。いや、単に目つきが怖くて仲裁できそうにもない。

この緊張感は高校受験以来ぶりに味わう小柳は思い出したように武者震いする。まるで戦だ。

「もういいか?仕事の邪魔だ」

小柳の父は咳払いをすると小柳に対して切り裂くように冷たい態度で対応して小柳は顔を下に向けてしまうがその場からは動こうとはしない。

その姿を確認すると小柳の父は黙って自分の仕事の作業の続きへと戻る。

(父さんは相変わらずだ。あの日から俺の事なんか気にもしてくれない。悪い、立花。本当に急だったがせっかく父さんと話すきっかけくれたのに俺は何も…いや、違うだろ。変わらないといけないのは俺の方だ。もしここで変われないなら二度とこんな機会はないんじゃないのか…?バカかよ俺は...!家族なのに何を怖がっているんだよ。なによりここまでやってくれた立花にも申し訳ないだろ。心配かけて何やってんだ。この1年間、溜め込んだ俺の気持ちをぶつけないでどうする!俺だって、諦めたくない...!)

諦めない。ふとそんな立花の言葉に背中を押され...叩かれたみたいに力を借りて覚悟を決めた小柳は顔を上げて父のテーブルの前まで向かうと父は今度は何かと再び小柳を凝視する。

「父さん。もう期待されてないのはいい。その期待に応えられなかった原因は俺だから。仕方ないのはわかってる。でも、俺の夢は今もあの頃と変わってなくて、父さんと同じで…これでも自分なりに出来る事をやってるつもりなんだ。俺の言葉が信用できないなら、遠くの方でもいいからこれからの俺を見ていてほしい…!俺は父さんみたいになりたい!」

小柳は溜め込んでいた気持ちをようやく素直に小柳の父にぶつけて1呼吸つく。鼻息は荒く早い鼓動は逃げずに立ち向かえた立派な証。決意を固めた小柳の表情は父の目をしっかりと見つめていた。

「そうか」

たった一言。父からの返事はたった一言だけだったが、小柳には自分の気持ちを届けた事と多少なりとも理解してくれたことに満足した。

小柳は父のたった一言を噛み締めながらも仕事の邪魔していたことを思い出して部屋を出ていこうとドアに近づく。

「CADはできるか?」

まさかの父からの言葉に小柳は目を丸くしてドアを開けようとした手がピタリと止まる。

CADとはパソコンなどを使って建築物などの図面を作成するソフトのことだ。パソコンがまだ普及していない頃は手書きが一般的ではあったが今ではCADを使って仕事をする事が当たり前となっている。

「細かいものはまだ…でも簡単な図面だったら…」

小柳は小さな声で弱気になりながらも父に何かしら手伝いや力になれるかもしれないと期待をしながら答える。

「そうか。わかった」

小柳の父は再び作業へと戻った。洋楽の曲が室内に響く。目の前のテーブルの上に置かれた立花からのお詫びアイスは完全に溶けていた。

(ん?聞いただけ!?これは部屋を出た方がいいのか?それとも父さんの手伝いができるってことか?どっちなんだ...!?)

「まだいたのか」

「あ、自分の部屋に戻るから!失礼しました!」

どうやら単なる質問だったと小柳は理解する。

小柳は父の仕事部屋から急いで出ると廊下で一部始終を聞いていた母から親指を立てるサムズアップでよく頑張ったと褒められる。

その日の夕食は久しぶりに家族揃って食事をした。

小柳と父は特に会話を交わすこともなく食事を終えると早々にリビングルームから退室する父の背中を見ながらコップに注がれてある冷たいお茶を飲む。

「お父さん凄く嬉しそうね」

「どこが?いつもと変わらないだろ」

「卓也にはまだわかんないか。お父さんあれでも卓也の事ずっと気にしてたのよ。自分の夢を無理やり背負わせてないか、とか。ほら、お父さんは農家の長男でしょ?昔の家庭だと長男は家の仕事の跡継ぎが当たり前の時代で夢すら持つことができなかったのよ。お父さんも今の夢を叶えるためにお義父さん、つまり雄二おじいちゃんと縁を切る覚悟で喧嘩して家を出てまで叶えたの」

母は食事を終えた3人分食器をテーブルの上から片付けるとデレビのリモコンで音を下げて小柳の対面の椅子に座り久しく見た真剣な表情で話をする。

「そうなんだ…そんな事があったなんて初耳だわ」

「あの人、自分の過去を話すの好きじゃないから。私にも1度しか話してくれないし。それで卓也が高校受験に失敗した日にお父さんに言われたのよ。俺は卓也に父と同じことをさせようとしてたのじゃないかって。初めてあそこまで反省してるあの人を見たわ。私は違うって言ったけど聞く耳持たなくてね。丁度高校生活前だからこの辺で区切りをつけさせて子供にとって大事な学校生活の中で違う夢を持つかもしれないから今後は自由に好きにさせてあげようって」

小柳はこれまで聞かされていなかった理由に怒りさえ通り越して悩むように頭を抱えてしまう。

「そんな…俺は受験失敗して父さんの期待を裏切ってからもう期待されてないと思ってた。そう勝手に決めつけてた。違ったのか…期待されてなかったんじゃない…」

「ずっと見守ってたのよ。私とお父さんが毎朝交わす会話は何だと思う?卓也の夢の話しよ。卓也に夢はできたのか?とか俺の仕事の話はするなよとか。あの人が仕事から帰ってくる時間が遅いのは出来るだけ卓也のいる家に仕事を持ち込まないためよ」

「俺が父さんと同じ夢を持たないように…?何で母さんはそれを言ってくれなかったんだよ…!最初から言ってくれてたらここまでなる事はなかったかもしれないだろ!」

「あの人に止められてたの。本当にごめんね、それがあの人にとって不器用ながらの愛情表現なのよ。でも、私たちの子供はいつの間にか成長していたんだなって今日は思い知らされたわ。これは話さないといけないタイミングだと思って話したの。卓也の本心を聞いてあの人相当嬉しかったはずよ」

「不器用過ぎるわ!…でも知れて良かった。本当に良かったよ...。俺はまだ父さんに近づいていいのか。父さんの事、少しだけわかった気がするよ」

安心したようにコップに残ったお茶を一気に飲み干してリビングを後にしようとすると母が先にドアに向かって何かを確認したように振り返る。

「ちょっと卓也、こっちおいで!音立てたらダメよ!早く!」

「何かまだあったりするのか?正直今感情が追いついてないというかまだ整理できてないんだが…」

「あの人の事もう少し教えてあげる!ほら、こっちにきてよく耳をすませて!」

浴室のドアの前に小柳は母に連れていかれて指示を受けるとシャワーの音が聞こえる。

「ふんふふんーふんふー、ふんふふふーぅ」

シャワーが床に当たる音の中に微かに聞こえるのは先程仕事部屋で流れていた洋楽を気持ち良さそうに歌う父の下手くそな鼻歌だった。

「お父さんね、嬉しい事があるとこうやってシャワーの音に紛れさせて鼻歌をうたうのよ。今日の卓也の言動が嬉しかった証拠よ。可愛いとこあるでしょ?はぁ…もう大好きっ!」

「なんだこれ」

お茶目な父の姿で悶える母を確認した小柳は父への印象がぶち壊された瞬間であった。


時間は戻り、時刻は12時前。

長谷川の家の最寄り駅から歩いて10分くらいの場所に先程話していた広めの公園が見える。

「あそこか、思ってるより広めだな。俺の家の近所にある公園の5倍くらいの広さはあるよ」

「本当ですか?こちらの公園は遊具はありませんが周辺にはジョギングコースが整備されているため高齢者の方の利用が多いみたいです。実は私も初めてなので情報が合っているかわかりませんが…」

「そうなのか。長谷川も初めてってことは事前に調べてくれたんだな」

「私から小柳先輩をお誘いしているので下調べは当然の事ですよ!お召し...洋服が汚れないようにレジャーシートもしっかりとお持ちしてます!」

長谷川はランチバッグを下に置くと中からレジャーシートを取り出すと雨が降った場合を考えて小柳は隅っこの木陰のある場所を提案して手伝う。

「昨日の夜に長谷川から身1つでお越しくださいってメッセージが着た時は何かの改造手術でもされるかと思ったけどこういう事だったんだな」

「すみません!私が全てご用意の方をさせていただくので何も持たずに来てくださいという意味で送ったのです…変に誤解させてしまったみたいで…」

「ほら、長谷川また固くなってるぞ。もっと柔軟に、最悪とろけろ」

「すみま…ごめんなさい!柔らかく柔らかく…」

長谷川は頬を手のひらでグリグリと回しながら解す姿に小柳は笑みを零すと1つの策が浮かぶ。

「そうだ、せっかく長谷川が弁当作ったり色々と準備してくれたのに俺に気を遣って畏まってても楽しくないだろ?だからこの食事会中は無礼講でいかないか?どうせなら長谷川も楽しめる食事会にしようぜ」

「無礼講、ですか…?別に私は十分に楽し…」

「無礼講だ!ってか、なにより面白そうだ!先輩後輩の関係じゃない長谷川を知る良い機会だしな」

小柳がこの案を考えた理由はもちろん後者である。

(普段から家柄の影響で自分よりも年上の方と接する機会が多いため私にはいつもの方が楽だけど…だけど、小柳先輩が無礼講の方が楽しく過ごせるというなら。私は小柳先輩に少しでもこの時間を楽しく過ごして欲しい…)

「わかりました。無礼講でいきますね。でも、1つだけお願いしてもいいですか?」

「無礼講だぞ?1つどころか何でもドンとこいよ」

「わかってますけど…失礼な態度で、その、私の事を嫌いに?ならないで…欲しいです…」

「嫌いになんかなるかよ。あ、待ってくれ。逆に俺の事を嫌いになる可能性もあるわけだよな?全く考えてなかったわ!やっぱりやめるか!?もし長谷川に嫌われて今後部活とかで2人きりになったら気まずいどころじゃないよな…」

「どっちなのですか!ふふっ、安心してください。私こそ嫌いにはなれませんので」

「そうか?じゃあそこは約束ってことで長谷川が作ってくれた弁当箱を開けたら食事会開始の無礼講モードってことでいいか?」

「わかりました。では準備しますね」

長谷川はランチバッグからいつも学校に持ってくるような大きな弁当箱ではなく、可愛らしい小さな弁当箱とスープジャーを取り出す。

(小柳先輩がよく遊ぶと聞いたゲームのキャラクターを海苔で表現してみたけど気づいてくれるかな?初見で難易度は高い挑戦だとは思ったけど、小柳先輩に喜んでもらえたら、それだけで十分で…)

スープジャーから温かい味噌汁を注いで小柳の前に配置すると紙皿と紙コップもランチバッグから取り出す。まるで四次元ポケットだ。

長谷川の準備する姿を目で追っていると小柳はある事に気づいて思わず声を掛けてしまう。

「もしかしてその指、料理中に怪我したのか?大丈夫か?」

長谷川の左手の人差し指の第2関節辺りに絆創膏が巻かれてある。

「はい、初めてのキャラ弁の挑戦ではりきってしまってつい…でも安心してください!お料理には血は入ってませんので!」

真剣な雰囲気の小柳を誤魔化して空気を濁すように長谷川は笑って答える。

「そういう事じゃなくて心配してるんだ」

「心配かけてしまいすみません。ですが大丈夫ですよ、少し切っただけですので。いつも料理してるはずなのにまだまだでした。あと、紙コップにお茶と割り箸と紙皿と…準備できましたよ!」

「それなら良いけど…じゃあここからは無礼講だからな。キャラ弁は写真でしか見たことないけど長谷川のことだ、可愛く美味しくできてるに違いない。いくぞ!」

小柳は弁当箱の蓋を両手で持ち長谷川の顔を覗くと唾を飲み込み大きく頷いた。時は来た。

(小柳先輩の反応をこの目に焼き付けないと!これが私の初めてで今できる全力のキャラ弁です!小柳先輩は優しいからきっと褒めてくれる。この日を迎えられたのは小柳先輩が誘ってくれたから。だからこそ写真だけでは伝えきれない気持ちを受け取って欲しい...!)

小柳は弁当箱の蓋を外して中身を確認すると疑問があるみたいに何度見して長谷川を見る。

「凄く美味しそうだけど…これはキャラ弁、だったよな?」

「そうですけど…そのつもりで...あれ...?あれ!?あれ!?どうして!?」

長谷川も弁当の中身を確認するが小柳が反応に困るのも仕方ないくらい普通に美味しそうな弁当だ。

昨日から緊張して眠れずに何度もキャラクターを確認して朝を迎えて準備した精一杯の力作はマジックのイリュージョンように白米の上から消えている。

よく見ると小柳が両手で外した弁当箱の蓋の裏に綺麗に海苔で形作ったゲームのキャラクターが引っ付いていた。

「きゃーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!」

真っ赤に顔が染まり今にも発火しそうな長谷川の大声が曇り空を割るように公園中に響き渡った。

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