第29話 父との遭遇

時刻は午後3時を過ぎた頃、小柳家のトイレには落ち着く雰囲気など微塵の欠片もなかった。

立花の目の前に立ちはだかる人物は小柳から聞いていた憧れの存在である父親だ。

それはRPGのゲームの始まりの町でとりあえず情報収集をしようと軽い気持ちで隣の家に入るとラスボスが登場するような予想だにしない展開である。

小柳の父は立花に対して殺気のある鋭い目つきで何も言わずに睨み続けていた。

まるで今にも噴火しそうな火山だ。

それもそのはず、彼は便意を催しているのだ。

元々口数の少ない小柳の父は初対面の立花に対して無言の威圧を放つとトイレからすぐさま離れると考えていたが、立花は怯えてしまいトイレの中へと慌てて戻って震える手で扉を閉めてしまった。

(あれが、小柳君のお父さん…よね!?嘘よ…。初対面がトイレってなんなの!?本当に最悪よ...!私の想定では小柳君に隣で紹介してもらってこれ以上にないくらいの愛想振りまいて素敵な可愛い笑顔で好印象!なんて可愛い子だ、うちの息子をよろしくな!...だったのに。余りにも見た目が怖すぎて思わず扉閉めて逃げてしまうし…第一印象が始まりの終わりだわ!)

コンコン!再び小柳の父から強めの力でノックされると立花は扉に付けて考え込んでいる背中に衝撃が大きく伝わり体を揺らせ正気に戻る。

「し、失礼しましたっ...!ごゆっくり!」

立花は扉を勢いよく開けて小柳の父の顔を見ることなく2階の小柳の部屋に全力で走って戻った。

小柳の部屋に入ると立花は一気に魂が抜けたようにその場に座り込んでしまう。

小柳が立花を驚いたような様子で見つめると立花は息の仕方さえ忘れていたことを思い出すとゆっくりと深呼吸をして生気を取り戻す。

「立花どうかしたか…!?虫でも出たのか?トイレのスリッパも履いたままじゃないか」

立花は動揺して慌てていたせいでトイレのスリッパを履いたままトイレから飛び出してしまっていた。

「はぁ、はぁ…死ぬかと思ったわ…。虫の方がまだ良かったわよ、嫌だけど...あの人が小柳君のお父さん…。あの目付き何人か殺めてるわよ…」

「まさか父さんに会ったのか!?目つきが悪いのは否定はしないが前科もないからな」

「そう...だいたい何で小柳君のお父さんが家に居るのよ!聞いてなかったわ!」

「そりゃ家族だし」

ぐうの音もでない。

「それはそうだけど...あ、そういや私トイレのスリッパ履いたままじゃない!」

「俺がさっき言ったけどな。それより放心状態だったけど父さんに何か言われたりしたのか?」

「別に何か言われたわけじゃないけど…私が先にトイレに入ってたらドアを殴ってきたくらいだわ」

「殴ってきた!?父さんが!?」

小柳はこれまで父に暴力を振るわれた事が1度もないため立花の発言が信じられない。

実際には強めにノックしただけだったが、立花にとってはあの力強さは指で扉を叩いたとは思えなかった。あれは拳で殴ったと。

「そうよ。前に小柳君がお父さんから期待されなくなった話聞いたけど、あのお父さんにそんな事されたら萎縮しちゃうのもわかるわ…」

「ま、まあな。でも期待を裏切った俺のせいでもあると思ってるから...」

「それ以来お父さんとは話してるの?」

「父さんとは…まあ…いつも忙しそうだし中々時間も合わないからしてないな…いつかするよ」

「飲み物買ってきたよ!歩美ちゃんは…真夜中の紅茶ミルクティーで、卓也は…チビビタだったよね!はい」

近所のコンビニから小柳の部屋に中村が戻ってくると座り込む立花の姿に驚きつつも白のコンビニ袋から注文した飲み物を取り出して2人に渡していく。

「ありがとう恵美ちゃん!…はーっ!染みるー!これで生き返ったわ!勉強後のミルクティーがこんなに私を満たしてくれるなんて知らなかったわ...!恵美ちゃんは自分の分は何も買わなかったの?」

エネルギーを補給するように500mlペットボトルの半分を飲み干して全身に行き渡らす立花。

「はは!歩美ちゃんおじさんみたいだね。でも良かった!私はね、飲み物よりアイスの気分だったから…これ、ピパコ買ってきたんだ」

中村はピパコを取り出して小柳に見せつけるように中身を取り出す。

小柳はピパコを見るとあの日を思い出すように少し意識して目を逸らしてしまうが中村の考えはあの日をやり直したいという思いで購入していた。

立花は目を輝かせて中村の手に持つピパコを見つめると2つに割った1つを察した中村は笑いながら立花に渡す。

「はい歩美ちゃん、これは勉強頑張った私からのご褒美だよ」

「恵美、それじゃまるで犬みたいじゃねえか...」

「わん!」

「犬だったわ、問題なし。ちなみにだけど俺にはピパコはあったり、しないよな…?」

「やっぱり卓也も欲しかったの?…実はこうなるかもしれないと思って2袋買っておいたんだ!はい、こっちは卓也の分ね」

「さすが恵美さんだ!ありがとう」

小柳は中村から新しいピパコを2つに割って1つを渡した後に余りの1つを袋に戻そうとすると立花は何かに気づいたように声を出す。

「そうよ!ねえ恵美ちゃん!この1つも貰っていい!?」

「別にいいけど歩美ちゃん2つも食べるの?お腹壊してもしらないよ?」

「違うわよ、これは小柳君のお父さんにあげるわ!恵美ちゃんにはちゃんとお金は払うわね」

「お金はいらないよ。それより卓也パパに渡すって何かあったの?」

立花はトイレでの件で小柳の父に謝罪したい事を中村に伝えると重い腰をあげる。

「私がコンビニに行ってる間にそんな事があったんだね。でもわかるよ、私も卓也パパは実は苦手で…」

「おいおい、息子の前でそれ言うのかよ」

「誤解しないで欲しいけど嫌いじゃないんだよ!?卓也パパって厳しい人で小さい頃に怒られたことがあってそれが今でも頭に残っててさ…」

「トラウマってやつね。私は謝ってお詫びのアイス渡してプラマイゼロにしたいだけだし恵美ちゃんは後ろに着いてきてくれるだけでいいの!お願い!今度スイーツ奢るから!」

「スイーツか...いいね。卓也は行かないの?」

「俺は…ここで待ってるよ。父さんも久しぶりに恵美に会いたいだろうし」

「そうかなあ…?じゃあ歩美ちゃん、卓也パパの仕事部屋に行ってみる?そこにいると思うから」

「やった!そうと決まればアイスが溶けないうちにさっさと行くわよ!」

立花はその場で立ち上がると中村の手を引っ張るように連れて向かいの小柳の父の仕事部屋の前に向かった。


小柳の父の仕事部屋の前に2人は着くと立花は目を閉じて大きく深呼吸をする。

「アイスを渡して帰るだけ…アイスを渡して帰るだけ…」

中村は立花の方を見ると緊張しているせいか片手には小柳の父に渡そうとしているアイスを強く握りしめ、苦虫を噛み潰したような表情で扉を見つめて小声で呪文を唱えるように呟いていた。

初めて見る立花の姿に中村は驚いてしまう。

「歩美ちゃん、大丈夫?無理しなくてもアイスを渡すくらいなら私が1人で渡してこようか?」

「できるわ…できるわよ…アイスを渡して…」

立花は小柳の父にアイスを上手く渡すシュミレーションで頭がいっぱいのため会話になっていない。

(ここは歩美ちゃんが落ち着くまで待った方がいいよね。それにしても歩美ちゃんがこんなに緊張するって何か理由があるのかな?初対面の印象だけでここまでなる?別人みたいな。それとも歩美ちゃんって本当は…)

コンコン。立花が扉を優しく叩く。

(歩美ちゃんがノックした!?てっきり私にお願いしてくるかと…って、あれ?歩美ちゃんもしかして緊張し過ぎて隣に居る私の事忘れてない!?)

「はい」

部屋の奥の方から声を発しているせいか、それとも緊張しているせいか立花には小柳の父からの返事が小さく聞こえる。

「失礼します...」

立花は中村の方を1度も見る事もなく少し震えた手でドアノブを捻り扉を開けると、目の前には木製のテーブルが3台横付けされて奥の方の大きなテーブルの上にはPCとファイルにしっかりと整理されている資料、スチレンボードで作成した建築模型がいくつか綺麗に並べてある。

1番奥の椅子に深々と座り眉間に皺を寄せてPCで作業している小柳の父の後ろにある本棚には建築関連の本が埋め尽くされていた。

部屋には作業用のBGMとして小さい音量で洋楽が流れている。小柳が洋楽を好きになったきっかけは父の影響だ。

「ああ、君は...さっきのトイレの子か。それと…恵美ちゃんだね?久しぶりだな、元気にしてたか?」

「お、お久しぶりです!相変わらず元気ですよ。卓也パパも元気そうで!確か前にお会いしたのは正月に挨拶に伺った時でしたよね?あれからもう半年くらい...時間が過ぎるのはあっという間だ!」

中村は上手く取り繕って笑ってみせる。その隣で立花は中村の声を聞いて思い出したように正気に戻る。

(そうだわ!恵美ちゃんに着いてきてもらって…って、今小柳君のお父さんに私トイレの子扱いされてなかった!?まるで学校の怪談みたいじゃない!でも間違ってはいないけど、もう少し何か言い方あるんじゃないの?)

「そうだな。それで用件は何だ?」

小柳の父は忙しそうに手元で仕事関連の資料が入ったファイルを漁りながら時折2人を視界に入れる。

その言動に2人はコミュニケーションを図る時間すら与えてもらえないと感じてしまう。

「用件ですね!…ね、歩美ちゃん?」

中村は小柳の父の仕事の邪魔をしないようにと早くアイスを渡して戻ろうと立花の服の裾を軽く引く。

「ん?ああ、そうね!小柳君のお父さん、さっきはトイレで悪いことをしたと思ってて…お詫びといったらあれですけど、良かったらこのアイス食べてください」

立花はその場で小柳の父に慣れないながらも自分なりの丁寧な対応をしてみせた。

「そうか。では後で頂くからそこのテーブルの上に置いておいてくれ」

小柳の父は表情ひとつ変えずに2人の用件は済んだと考えて再び作業に戻る。

「ではお仕事頑張ってくださいね!ほら歩美ちゃん、卓也のところに戻ろ?失礼しまし…」

立花は目の前のテーブルの上に握っていた体温と時間で溶け始めてきたアイスを置くと中村は去るように笑顔でドアに近づこうとしていたが、動くことのない立花を見て焦りが顔に表れる。

(何で歩美ちゃんは動かないの…?まだ手が震えてるみたい。もしかして本題はこれじゃなかったってこと…?)

決して小柳の父の態度に冷たいと感じた理由ではないが立花の体の奥底で引っかかった何かが自分の中で溢れて喉を通して口から出てくる。

「小柳君に期待しなくなったのは本当ですか…?」

「まだ何か?」

立花の一言に小柳の父は作業をピタリと止めるとひりつくような冷たい空気を放ち鋭い目で睨みつける。

1度吐き出した気持ちを戻す事はできない立花は恐れる気持ちを隠すように小柳の父から目線を外しながらも覚悟を決めて発言する。

「小柳君から聞きました。高校受験を失敗した時からお父さんに期待されなくなったって。それは本当なんですか?」

「散々期待させておいて応えられなかったアイツも悪い。なんだ、君は息子に代わりに私に言えと頼まれたのか?いつから自分の口から話せもしない女の子に頼むようなそんな情けない奴になったものか」

「違います!これは私の意思です。散々期待させておいてって…散々小柳君に背中を見せておいて1度失敗したくらいで見放すのはおかしいと思います

…」

「何が言いたい?」

作業する手を完全に止めて小柳の父は立花に向き合う。

「子供の夢を諦めさせるのが親ですか!?お父さんが背中を見せてあげたら次はお父さんが小柳君の背中を押してあげる番じゃないんですか!?少なくとも私の親はそうです!だから私は諦めるってことはしませんでした!」

立花の怒りにも近い大きな声は隣で呑気にアイス。食べていた小柳の部屋まで届いた。

小柳は父と何かあったのではと急いで部屋を飛び出して3人のいる部屋に慌てて入ると立花と小柳の父が向かい合って話してる中、中村は不安そうな顔で何とかして欲しいと小柳に目で訴えかける。

「そうだとすればこれは私達親子の問題であって関係のない君に一切口は出さないで欲しいものだな」

「関係あるわよ!だって…、小柳君は私のこと気になってるんだからっ!」

ようやく立花は自分らしさを取り戻したように胸に手を当てて自信満々で小柳の父に訴える。

(え?)

(歩美ちゃんそれ今言うの!?)

「それは正当な理由にはならないだろ」

小柳の父の一言に小柳と中村は深く頷く。

恥ずかしくなった立花は顔を真っ赤にするが今1番小柳の父に伝えたい気持ちを頭で1度整理して発言しようとするも止まらない。止まれない。

「そ、それに、これでも私は小柳君の夢を本気で応援してるのよ!もし、小柳君の夢を邪魔するってんなら…それが障害なら...相手がたとえ小柳のお父さんだとしても、その壁…ぶっ壊すだけよ!」

先程までの身の震えは何処かへ消えたように立花には堂々と小柳の父に恐れることなく右手を握りしめて見せつけるように宣言をする。

立花の真っ直ぐな瞳と言葉に小柳は立花を止めようと伸ばしていた両手を静かに下ろして横顔を見ていた。

小柳にとっては今の立花がまるで週刊少年フライに登場する主人公、ヒーローに見えたのだ。

そしてその小柳の様子を静かに見ていた中村は何処か寂しそうに見守っていた。

「ただいまー。今日の晩御飯はグラタンでもしましょうねー!卓也ー、何時にご飯食べたいー?」

小柳の母が買い物から帰ってきて階段の方から2階に声をかける。

「あ、小柳君いたのね」

声をする方へ振り向く立花の視界に小柳が入ると驚きもせずに冷静な対応をする。

「ああ。もういいよ立花、戻って勉強の続きを…」

「だいたい小柳君も小柳君で目の前に居るのはあなたのお父さんでしょ!?家族って1番の理解者なんだからいつまでも逃げてたらダメよ!ちゃんと話し合わないと!」

「ええ!?俺が怒られるのかよ…。わかった、わかったからさ、とりあえず落ち着いて…」

「本当にわかってるの!?だったら今ここで話し合えばいいわ!私と恵美ちゃんは帰るから!」

「ん!?あ、そうだね!ここに居ても邪魔だし帰った方がいいかもね」

「ちょっと待ってくれよ...」

「後は自分で頑張りなさい!結局数学しか教えてもらってないけど自力でなんとかしてみせるわ。教えてくれてありがとね。じゃあまた学校で」

凛とした表情の立花は小柳を父の仕事部屋に残すと小柳の部屋に戻り勉強道具などを片付けて階段を階段を下りる。

「おじゃましました」

階段ですれ違う小柳の母に立花は軽く会釈をして家を飛び出すと体に残る熱は暫く下がる事はなかった。

「恵美ちゃん、あの子凄いわね...」

「そうなんですよ。本当に凄い子なんです。本当に...。私もおじゃましました!また来ますね」

中村も小柳の家を出て立花の小さくなった背中を少し眺めた後に隣の自分の家に帰りすぐさま部屋に入ってベッドの上に倒れ込むように横になると深いため息を1つ吐く。

「勝てないなあ...」

立花の存在を改めて噛み締める中村からは弱々しく苦しい気持ちが零れた。

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