第22話 完全復活の日
6月9日、金曜日。天気は曇り。
朝7時にスマホのアラームで目が覚めると直ぐに布団から立ち上がりいつものようにカーテンを開けて両手を広げ空を見上げる。
「おはよう世界!新たなる1日、二度と戻ることはできない1日、今日も精一杯生きてみせるから見ていてくれたまえ!」
天気はあいにくの曇りだが、彼には関係ない。
布団を畳み終えて2階の自分の部屋から1階の食卓に向かう急な段差の階段をゆっくりと優雅に降りていく。まるでこの階段が大きな劇場の舞台かのように。
「兄ちゃん邪魔なんだけど…」
宮崎は向かいの部屋から出てきた中学2年生の弟に手で階段の隅に追いやられてしまう。
「せっかく兄の足が完治したというのに朝の挨拶よりも先に発する言葉かい?」
弟は宮崎の言葉を無視して食卓の椅子に座ってグラスに注がれた緑茶を飲んでいると降りてきた宮崎は隣の席に座る。
「2人ともおはよう!熱っ、今日から圭介は1人で学校行けそうなの?」
宮崎の母は奥の台所から熱そうに2人の皿にトーストされたパンを置くと宮崎は席を立ってテレビとテーブルの間のスペースで踊ったこともないタップダンスを披露する。
「この通りさお母様!今なら何処へだってお母様から頂いたこの立派な足で行けそうだ!」
「それは良かったわ!もうね、ずっと加害者側の保険会社から電話が鳴りっぱなしだったからこれでやっと開放されるかと思うと…うぅ…」
「ちょっとお母さん、そんな生々しい話は朝からしないでくれよ…。兄ちゃんも食事中なんだから静かにしてくれ。テレビも見れやしない」
「そんな態度して…
「それは嬉しいけど…朝くらいはゆっくりさせてくれってずっと言ってるじゃないか…」
「お母様、我が弟は絶賛思春期中のため素直に喜ぶことができないのさ!さあ弟よ!今こそ3人で僕の完治祝いのダンスを踊ろうではないか!」
宮崎とその言葉に安心する母は弟に手を差し伸ばすが嫌な顔で無視して食事を続ける。横で2人は笑顔で手を合わせて踊っていた。
宮崎家は父、母、宮崎、弟の4人構成の家族である。6月は田植えの時期で米農家にとっては凄く忙しく父は早朝から田んぼで仕事をしていて母は宮崎と弟を見送った後にすぐ田んぼに戻って仕事を再開する。そのため忙しい朝の朝食は米農家でも簡単なトーストしたパンがでてくる。
ちなみにこの家でまともだといえる人物は弟だけであった。
7時40分頃、宮崎は学校に向かうため家の最寄り駅の自転車置き場に自転車を停めるとすぐ近くに1台の黒の高級車が停車する。Sクラスだ。
この辺りは田んぼが多いため見かける車は軽トラが多い。なので車から降りてくる人物が誰なのかはなんとなく察していた。
「それでは行ってまいります」
ドアがゆっくりと開き車の中から降りてきたのは長谷川だった。
車が発車するとその姿が見えなくなるまで長谷川はその場で頭を下げ続けている。
「うんうん、やはりあの高級車は長谷川さんの家の車だったんだね!」
「え…あ、宮崎さん。おはようございます!足が…完治されたみたいで良かったですね」
「おはようとありがとうを長谷川さんに贈ろう!今日から完全復活さ!って、あれ…?いつもと雰囲気が違うね…今日はポロシャツかい?珍しい」
この針木高等学校の夏服はカッターシャツとポロシャツの2種類があり、生徒は好きな方を選び着ていくことができる。ちなみに立花はポロシャツ派で中村はカッターシャツ派だ。
「はい、昨日の雨で濡れまして。一応予備もありましたがこの2ヶ月でサイズが合わなくなってしまい…なので初めてポロシャツでの登校ですね」
「そうなのか!まだまだ成長できるとは羨ましい限りだよ!それに長谷川さんはポロシャツ姿も似合ってるさ!まあ…」
「立花先輩程ではないですか?ふふっ、立花先輩は凄く似合っていますよね。私も立花先輩のポロシャツ姿好きですよ」
「本当かい?よくわかってるじゃないか!前に立花さんに聞いたが制服が可愛いからこの学校を選んだみたいだからね!彼女の可愛さへの追求は本当に素晴らしいよ!ああ、好きだ!」
「本当に宮崎さんは立花先輩のことが好きなのですね。そこまで気持ちを真っ直ぐに表現できて尊敬します」
「そうかい?まあ…あれだよ。…車にモテた(ぶつけられた)時に気づいたのさ!いつ死ぬかわからないからこそ1秒たりとも僕は無駄にはしたくないってね!昨日までの僕は松葉杖で枷を強いられていたからここからようやく僕のターンさ!」
駅のホームで2人は学校に向かう電車を待っていると人身事故の影響により運転の見合わせのアナウンスが流れる。
「まさか早速無駄にしてしまうとは!やはり運命には逆らうことはできないのか…まあこれはカウントされないということで頼むよ!」
「ふふっ、そうですね」
午前8時50分、いつもより30分遅れて朝礼後の2年3組の教室に宮崎は入るとクラスメイト数人に囲まれて挨拶で迎えられる。
宮崎はクラスのムードメーカー的存在である。
「宮崎君おはよう。今日は遅かったね?」
「おはよう宮崎。バッグ持つよ」
「宮崎君足治って良かったね!」
「皆さんおはよう!もう足の方はこの通り完治したから大丈夫さ!それより怪我をしてから完治するまで皆さんには色々と助けてもらったね!感謝してもしきれない…僕なりに恩返しをしたいのだがどうだろう?」
「そんなの気にしなくていいんだって!いつも学校を楽しくしてくれるのは宮崎のおかげなんだし。むしろ俺たちが恩返ししてる立場なんだから」
「言ってくれるじゃないか田中君!僕が鶴よりも華麗な恩返しをしようと考えていたのに残念だよ!」
宮崎は田中と話しながら自分の席に座って1限目の授業の準備をしていると後ろの席から中村が声を掛けてくる。
「宮崎、ちょっといい?」
「おはよう中村さん!もしかして昨日の事…みたいだね。田中君、悪いけど2人にさせてもらえないかな?大事な話があるんだ」
真剣で低い声色になる宮崎の言葉に田中は頷くと宮崎から離れて他のクラスメイトの話の輪に入っていった。見届けた宮崎は改めて中村の方に顔を向けると笑みを浮かべる。
「昨日話していた例の作戦は成功したのかい?」
「したね。鞄に傘入れてたのに持ってないフリしたら歩美ちゃんが自分の傘に入れてくれたよ」
「やはりそうだろうね!立花さんは困った人を見捨てられない女神なのさ!」
その後中村は昨日立花と話した事を全て宮崎に伝えると困惑したような表情になる。
「僕の居ぬ間にそんな事があったのか。それは一か八かの発言だね…。実際に彼には聞こえていないわけだろう?」
「だね。歩美ちゃんが卓也に聞いたらすぐバレるのに何であの時言っちゃったんだろう…多分歩美ちゃんに私の存在を主張したかったのかもね。それで宮崎にお願いしたいけど、さっき話した夏祭りの件で…」
「無理だね!」
中村は宮崎に夏祭りには行かない選択肢を提案しようとするが一刀両断に断る宮崎は両の手のひらの上向きにして肩をすくめる。
「ははは…だよね。歩美ちゃんに誘われたら断るわけないもんね」
「もちろんさ!むしろ僕から誘おうとしてたくらいだ!それに中村さんは2人で行きたいなら彼にそう伝えたらいい話だろ?僕ならたとえ5人で行ったとしてもその中で2人きりになる機会を掴み取りに行くけどね!」
「ホント宮崎は凄いよ。…いつだって前向きに考えてて。私なんて目の前のことで必死で先の事まで考えていられないもん。ほんの少しだけその前向きさ貸してもらうね」
「僕ので良ければお好きにどうぞ!返却は1週間後だから期限は守ってくれたまえよ!」
「図書室の本の貸し出しみたいじゃん!…うん、なるべく早く返すね。もっと頑張らないと…」
「宮崎君!1組の立花歩美さんが呼んでるよー!」
2人の会話を止めたのは教室の前の入口のドア付近から大きな声を掛けるクラスメイトの女子だった。
立花という言葉を聞いた瞬間に宮崎は完治して間もないはずなのに素早い動きで廊下で待つ立花の元に向かった。
「やあ立花さん!わざわざ僕に会いにくるなんて嬉しいよ!もしかして足の完治を祝いにきてくれたのかい?」
「あ、足治ったのね。おめでとう!…って違うわよ!毎年8月末に花火大会があるでしょ?その件で昼休みに茶道室で話そうと思ってるんだけど来れる?」
「ちょうど今中村さんとその件で話していたところさ!もちろん僕は行くよ!中村さんには誘わないのかい?」
「悪いけどアンタから恵美ちゃんを誘ってく…」
「おはよ歩美ちゃん!昼休みに茶道室だね?ご飯食べてから行くね」
「恵美ちゃんおはよう。わかったわ!それじゃまた後でね!」
「立花さん!もう少し話そうじゃないか!なんなら3組の生徒になってくれないか?」
「ならないわよ!アンタは足治ったばっかりなんだからあまり無茶するんじゃないわよ!じゃあ昼休み茶道室で」
そう言って立花は1組の教室に戻っていく。
1限目の開始のチャイムが学校内に響き渡る。
中村は教室に戻るが、宮崎は笑顔で立花の後ろ姿を見送りながらずっと大きく手を振っていた。
昼休み、茶道室にて小柳と長谷川と立花は食事を終えて休憩していると約束通りに宮崎と中村がやって来る。
「さあ素敵な夏休みにしようではないか!」
「宮崎、入口で止まらないで。私入れないよ」
2人は茶室に上がり左から長谷川、立花、小柳、中村、宮崎の順で輪になって座る。
「それで今日皆さんに集まってもらったのは他でもない…」
「何でアンタが仕切るのよ!私が呼び出したんだから私が話すわ。昨日恵美ちゃんと話してたんだけど毎年8月末に
「この5人であの花火大会行くのか?しかも強制かよ…人混みも凄いだろうな…」
小柳は面倒くさそうな反応はするが別に断るようなことはなかった。第1段階クリア。
「これこそ夏休みのメインディッシュには相応しいじゃないか!もちろん僕は参加させてもらうよ!綺麗な花火を打ち上げようではないか!」
宮崎は心の底から嬉しそうに反応する。立花からの誘いなら断ることはない。第2段階クリア。
「何でアンタが花火職人側なのよ!これで2人は決定ね!香織ちゃんも当然行けるわよね?」
「立花先輩からのお誘いは本当に嬉しいです!ですが、すみませんが私は花火大会には参加できません…」
長谷川の一言で明るい雰囲気が一気に変わってしまった。エアコンの起動音だけが室内に聞こえるような静けさに包まれた。
まさか長谷川が断るとは思ってなかった立花は呆気にとられている。第3段階アウト。
「どうして長谷川は無理なんだ?」
「花火の打ち上げは例年通りだと夜の8時からですよね?私の家は夜8時以降は絶対に外出禁止なのです。去年は友達に誘われまして何度か両親に掛け合ってみましたが無理でしたので…。なので行きたい気持ちはありますが先輩たちで楽しんできてください!」
「そうなのか。何か良い方法はないものか…」
「僕の家と長谷川さんの家は花火大会の会場とそう遠くない場所にあるからわかるが、毎年遠くの方で花火の音だけが聞こえてくる状況を自分の部屋で聞いていたのかい?…そんなの余りにも悲しいじゃないか!」
「2人とも落ち着いてください。私はもう慣れっこですので。写真や動画で十分です!」
長谷川が我慢しているように無理して笑う姿を小柳は見逃す事はできなかった。
「じゃあこの話はもう止めよっか。長谷川ちゃんが行けないのに目の前でするなんて可哀想だよ」
「大丈夫ですよ!私は気にしませんので!」
「無理しなくていいのよ香織ちゃん。そうね、まだ先のこと事だし。とりあえずこの話は保留ってことにしておくわ」
中村と立花は長谷川を優しくフォローする。
こうして花火大会の計画は進むことなく話は途中で終わってしまった。このままだと花火大会の計画自体が無くなってしまうのではと恐れた立花は何か策はないかと考えていた。
「たまには僕と帰ろうじゃないか小柳君!」
放課後、小柳が帰る準備をしていると1番先に席に近づいてきたのは宮崎だった。
「宮崎…マジか。めんどくさいな…」
「そんな正直者の小柳君には金の僕と銀の僕も差し上げよう!」
「別にいらないし宮崎って電車通学じゃなかったか?どう考えても遠回りになるだろ」
「ちょっと待ちなさいよ!小柳君は私と帰るのよ!アンタも一緒なんて聞いてないわ」
2人の会話に立花は割り込んで入ってくると宮崎は立花に近づいてチョコ菓子を渡す。
「僕も立花さんと帰りたいのは山々だが、たまには男同士で話したいのさ!悪いけど今日は遠慮してもらえないかい?」
「なによそれ。このお菓子で私に我慢しろってわけ?…わかったわよ」
「おい、いいのかよ…宮崎と2人きりなんて初めてなんだが2人で話すことなんてあるか?」
「それは2人きりの時に話すさ!僕の遠回りなど気にしないでくれたまえ!では帰ろう!」
小柳と宮崎は一緒に下校することになる。
校門を出ていつもの帰り道を2人は歩いていく。
残された立花はチョコ菓子を手に持って2人の後ろを刑事ドラマみたいについて行くことにした。立花はチョコ菓子では止まれない。
(私が黙って帰ると思ったら大間違いよ!2人だけで話すなんて何話すか気になるに決まってるじゃない!それにしてもアイツの声がでかくて話してる内容が丸聞こえで助かるわ。小柳君の声は聞こえにくいけど…)
立花は電柱を見つけては隠れてチョコ菓子を1口頬張りながらチラチラとバレないように2人を追っていく。
他の下校途中の生徒は立花の挙動を見ては見ていないフリをする。あの立花がそんなことするとは信じられないのだ。今のストーカー立花はどう見ても可愛くはない。
「だからなのか!」
(何がだからなのよ?)
「そうだな。でも宮崎だって好きだろ?」
「もちろん僕は大好きさ!小柳君より好きな自信があるね!」
(宮崎が大好きなものよね…それを小柳が好きってことは…待って、私のこと…!?えー!?)
「いや、俺も好きだから。宮崎に負けない!」
(これが噂の私のために争わないで!罪な女で悪いわね!可愛くてごめん!)
「僕なんてこの前出た初回限定盤の10巻も持ってるよ!」
(は…?初回限定盤?10巻?)
「俺ももちろん持ってるし、その特典のポストカードは主人公の
「炭一郎だって!?僕は
どうやら2人は週刊少年フライで連載されている気絶の大河の話だったみたいだ。
それを聞いて思い出すと自惚れていた自分が恥ずかしくなる立花だった。電柱に頭を軽くぶつけて落ち着かせる。
(どうしても2人で話したい事って私のことかとどこかで期待してたわ…なんだ、漫画の話しね)
「では、直接聞かせてもらうけど小柳君は今好きな人はいるのかい?」
立花は2人の後ろを追うことを止めて違う道から帰ろうとした時に宮崎の質問が聞こえると素早く電柱に再び隠れる。
「好きな人?それって異性でってことか?」
「もちろん異性のことさ!もし今いないのなら今気になっている異性でもいいよ!君と恋バナできる日がくるなんてね!」
(これでもし私って答えたら…それとももし恵美ちゃんって答えたら…この聞きたいようで聞きたくない気持ちはなんなのよ…)
「恋バナって…うーん、そうだな…好きな人は今はいないな。…あ、でも気になる?人はいるな」
「やはり好きな人はいないか。それは本当かい?気になる人がいるだって!?そのお相手は誰だい?それを聞くまで僕は帰らないよ!」
電柱に隠れて険しい表情をした立花の鼓動が早くなり自然と全身に力が入ってしまう。
少しでも乱れると直ぐにでも手鏡で直す前髪も今は気にならない。汗で額にくっついている。
(小柳君は私と恵美ちゃんのどっちを気になってるのよ…!?は、早く…答えなさいよ…!)
「長谷川」
うっすらと聞こえた小柳の一言で立花石化。
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