第17話 水族館
6月4日、日曜日。天気は曇り。
「おじゃましまーす」
朝9時に中村はいつものように慣れた感じで小柳の家のドアを開けて入る。
「恵美ちゃんおはよう。あら、今日は特に可愛い格好してるわね!卓也!恵美ちゃんが来たわよー!」
小柳の母が中村を玄関で迎えると2階の小柳の部屋に向かって大きな声で呼ぶ。
「わかってるって!今行くから!」
小柳は母に自分の部屋から返事をすると部屋を出て階段を降りてくる。
「悪い恵美、迎えに来てもらっ…」
小柳は階段を降りている途中で徐々に視界に入ってくる中村の姿に思わず足を止めてしまう。
中村の今日のデートの服装は何度も自分の部屋で試着して悩んだ結果、ユリが選んだロングスカートコーデにした。
全体的に深緑のウエストリボンが存在感のあるボタンスカートはハイウエストで履いてスタイルを良く見せつつ上はボーダー柄のトップスで爽やかさを演出している。
黒のレインブーツに黒のハイソックス、ロングスカートとの間には白い素肌が見える。
髪はいつものポニーテールに薄紫色のシュシュは前に小柳から貰ったものを使っていた。
「おはよう卓也。どう?少しは驚いてくれた?」
中村はその場で足が止まっている小柳に向けて首を少し傾げて頬を赤く染め微笑む。
「少しどころか…完全に目が覚めたわ」
「良かった…気づかれなかったらどうしようかと思ったよ。それじゃあ、シーマリン行こっか」
2人は小柳の家を出て最寄り駅まで歩く。
いつもとは違う中村に小柳は戸惑ってしまって普段通りに接することができない。
ちなみに小柳はいつも通りの服装だった。
無地のTシャツにジーパン姿。バッグを斜めに肩から掛けて前に出している。
「さっき天気予報見たけど今日は雨降らないみたいだね」
「え。ああ、そうみたいだな…。まあシーマリンは室内だから雨は関係ないけどな」
「だね。確か卓也はシーマリンの年パス持ってたよね?私も買っちゃおうかな」
「俺は去年の秋に買ったけど2回以上行かないと損するだけだから買うなら考えた方がいいよ」
「じゃあ…私が年パス買ったら、また一緒に行ってくれる?」
「まだ今日行ってないのにもう次の約束かよ。意外と1人だけで行くのも楽しかったりするけどな」
「そうなんだね。1人でかあ…どうだろうね」
「でもまあ、2人で行きたい時に誰も行く人いなかったら俺が付き合うけど…」
「今言ったね?じゃあさ、久しぶりに約束の指切りげんまんしよ!」
そう言って中村は歩くのを止めて自分の小指を小柳の目の前に持っていく。
2人は小さい頃から約束をする時は指切りげんまんが当たり前だった。
「高校生にもなって指切りげんまんとかやる奴いないだろ。それに恥ずかしいというか…」
「私たちには関係ないよ。ほら、私の目をちゃんと見て」
「わかったよ…これでいいか?」
小柳は照れくさそうに小指を差し出すと中村が自分の小指を曲げて絡み合わす。
「指切りげんまん嘘ついたらシーマリンのハリセンボン飲ーます、指切った!」
「そっちのハリセンボンかよ」
「ははは!ナイスツッコミ!でもこれで約束したからね。ハリセンボン飲みたくなかったら守ること!」
「わかったよ。ハリセンボン飲まないように気をつけるわ」
(さっきまで私も卓也も息苦しい感じだったからいつもの感じに戻って良かった…)
約束を交わすと2人は最寄り駅から電車と徒歩で約1時間かけてシーマリンへと向かった。
朝10時半頃、2人はシーマリンの入場口前に着くと既に沢山の人が並んでいた。駐車場には警備員が満車の看板を持って立っている。
「やっぱり休日だから人多いね。シーマリン選んだのミスったかな…」
「俺は来たかったからいいけどな。人混みは嫌だけどこればっかりは仕方ないと思うし」
「ありがとう。なんか最近卓也変わったよね。前の卓也なら人混み見ただけで止めようって引き返してたくらいなのに」
「そうか?まあ、ずっと人混みが嫌ってわけにはいかないからな。少しは変わらないとな」
「やっぱりそのきっかけって…いやなんでもない。あ、もう少しで入場できそうだね」
(ダメだ、頭に歩美ちゃんが出てくる。今日は私だけを見て欲しくて頑張ってるのに。私なりに頑張らないと…!)
入場口に着くと中村は先程言っていた通りに年パスを購入して小柳はスマホの電子年パスでそれぞれ入場すると目の前の大きな水槽に自由に泳いでいる魚たちが迎えてくれた。
「うわあ、凄い…やっぱり水族館っていいね」
「だろ?恵美、どこから回ろうか?」
久しぶりの水族館に圧倒されて立ち止まっている中村の横で内心が通常の3倍くらいテンションの高い小柳が館内マップを持ってくる。
シーマリンは3階建てで入場口は2階にある。
2階には中村の好きなクラゲエリア、色鮮やかな魚たちが泳ぐサンゴ礁エリア、ラッコのいるラッコプールエリア、屋外にはイルカやアシカのショーが見れるエリアなどがある。
「どうしよう…悩むなあ…。ショーは12時からだよね?それは絶対に見たいしクラゲエリアももちろん行きたいけど…」
「それじゃあ俺のおすすめコースで回ろうぜ!さあ歩いた歩いたー!」
「急にテンションどうしたの!?変わりすぎてるよ!ちょっと卓也!」
まるで小さい子が親におもちゃを買ってもらえる時みたいに早く目当てのところに連れていくかのように小柳は中村の背中を押してラッコプールエリアに連れていく。
「恵美も絶対ラッコを好きになるからさ!」
「わかったよ!だから押すの止めて!」
「…悪い、ちょっと興奮してたわ」
「早く見たいのもわかるし卓也の好きなものを共有したい気持ちも嬉しいけど、自分で歩けるから。ちゃんとついてくから大丈夫だよ」
「そうだよな、悪かった」
そうは言っても小柳の足はラッコプールエリアの方に向いている。それに気づいた中村は真剣に謝ってる割には早く行きたい気持ちを察して思わず笑ってしまう。
「もう…わかったよ!そんなにラッコ見たいなら一緒に行こ」
2人はラッコプールエリアに着くが人が多くてラッコの姿が確認できない。泳いでいるであろう水をはじく音だけが微かに聞こえてくる。
「私からは何も見えないけど卓也はどう?」
「こっちも見えないな…人が多くてもう少し待たないと無理そう」
「だよね。ここで待ってる時間ももったいないし今のうちに違うところ行こうよ」
「最後にとっておきたかったけど…ここから近いしクラゲエリアに行くか」
「いいね!ってなんで最後にとっておくの?」
「だって恵美はクラゲが好きなんだろ?だったら最後に見てシーマリン出た方が思い出に残るかなと思って…」
「へえ…そんなこと考えてくれてたんだ!でも残念。卓也とはまた行く約束したので今日は最初でも最後でもどっちでもいいんだよ。だから…今度は背中を押してじゃなくてこっちで連れていってね」
そう言って中村は小柳の左手を自分の右手で繋ぐ。手を繋がれた時に小柳は中村を覗くと上目遣いで見つめ返される。何も言い返せない。
クラゲエリアに着くと暗い室内に癒しのBGMといくつかの水槽にクラゲが泳いでいた。
周りはカップルらしき人達で賑わっている。
「ここだけさっきまでと違って神秘的で別世界みたい…ずっと見てられるね…」
「いつもの生活を忘れられる空間だよな。落ち込んでた時は1日中見てたことあったな…」
中村はもちろん小柳が受験を失敗した話は知っている。小柳にとって触れたくない過去だったから空気を読んでその話は避けてきた。
せっかくのデートなのに暗い話はしたくないと考えていた中村は話題を変えることにした。
「ねえ卓也、知ってる?クラゲの体って95%水なんだって。ほとんど水なんだよ」
「それくらいもちろん知ってるよ。じゃあクラゲには脳や心臓、血管や血液すらないのは知ってるか?」
「そうなの!?さすが年パス持ち、詳しいじゃーん!」
「って、このパンフレットに書いてあるな」
「パンフレット情報なの!?騙されたよ…。あ、そういえば写真1枚も撮ってなかったよね」
周りのカップルが写真を撮っている姿を見て思い出した中村はバッグからスマホを取り出してカメラを起動させる。カメラで何枚もクラゲの写真を撮って一通り満足したみたいだった。
「見て、これ綺麗に撮れてるでしょ?トイッターのトプ画にしようかな」
「本当に綺麗に撮れてるな。俺も前に来た時に一応撮った写真があって…」
「はい卓也、カメラ見て笑ってー」
小柳が自分のスマホをポケットから取り出そうとすると中村はスマホのカメラを内カメラに切り替えて自撮りを撮る。
撮った写真を確認すると笑顔の中村と一応カメラ目線だが驚いた表情の小柳との1枚だった。
「急に撮るなよ…。俺が前に撮った渾身の1枚のクラゲ見せようと思ってたからスマホ落としそうになっただろ」
「ごめんごめん。でも良い写真撮れたよ?卓也は写真撮られるのあまり好きじゃなかったから不意打ちに撮らないとダメだと思ってね。せっかくのデートだし私頑張ってきたんだから」
「わかったよ…写真撮っていいから不意打ちはやめてくれ」
「やった。…じゃあ撮るよ?はい笑って」
小柳は2人で写真を撮ることに抵抗はない。小さい頃から撮る機会が多かったからだ。
嫌なのは周りの人達からの視線だ。目立つ事は今でも苦手である。
「もっと近づいた方がいいだろ」
これ以上撮り直しに時間を掛けたくない小柳は早く撮り終わらせてショーエリアに向かおうと中村に近づいて自分なりの笑顔を見せる。
小声で近づいてきた小柳に中村はこの前のことを思い出して鼓動が早くなり手が震えてしまって写真は撮れたがこっそりと確認するとブレてしまっていた。それでも自分が顔を赤くしていて笑顔が崩れているのはわかった。
「どうだ?満足した写真は撮れたか?そろそろショーのエリア行かないと座れなくなるぞ」
「もう…私と卓也の距離を空けてたのは間にクラゲを入れるためだったんだけどな。…そうだね、ショーのエリア行こっか」
小柳が先導して2人は手を繋いだまま人混みをかき分けてイルカやアシカのショーが見れるエリアまで歩いて向かう。
(急に近づいてくるのホントずるい。おかげで写真ブレちゃって…。でも、これは初デートした特別な1枚って考えると今までで1番良い写真だよね)
11時40分頃、2階と3階に続く屋外のショーのエリアの座席はほとんど埋まっていて2人は後ろの端っこの席になんとか座れた。
「リニューアルする前は3人で前の席に座ってショーをよく見てたよね」
「そうだな。イルカが目の前で飛ぶから水が服に掛かって喜んでたよな。そういやヒロ
ヒロ兄とは、中村恵美の兄で今年19歳の大学1年生である。大学生になり家を離れて飛行機で1時間くらいの場所で大学に通いながら一人暮らしをしている。
「お兄ちゃん全然連絡してこないけど元気にやってるみたいだよ。夏休みに1度こっちに帰ってくるってお母さんから聞いたなあ」
「そうなのか。じゃあ帰ってきたらまた3人で集まりたいよな。正月の時に会って以来だったから楽しみだわ」
「だね。お兄ちゃんが今の私たちを見たらどう思うかな…?」
「確かに。俺たちってより恵美の服装見たらヒロ兄絶対に驚くよな。もしかしたら恵美って気づかないかも?」
小柳の冗談交じりに笑う姿に中村は求めていた答えと違って落ち込んでしまう。
「だね…卓也も驚いてたもんね…」
「まあな。だっていつもと明らかに違うからな!でも似合ってると思うよ」
小柳の一言に中村は落ち込んで苦笑いしていた表情から一気に頬を赤くして小柳から顔を背けてしまう。
「恵美、大丈夫か?」
(ズルい。まるで操り人形みたいだな私。私が卓也を操って好きになってもらおうとしてるのに私が操られてもっと好きになってる…)
「大丈夫…。ちょっと嬉しくなっただけだよ」
「何か俺嬉しくなるようなこと言ったか?」
(気づいてない。他の人に似合ってるって言われても嬉しいよ。でも、好きな人に言われるとホントにおかしくなるくらい嬉しいんだよ)
「それは自分で気づかないとダメだよ。だから教えてあげない!」
中村は一息つくと子供みたいに舌を出した後に無邪気に笑う。
小柳はその姿を見て小さい頃に中村に同じことをされた記憶が重なって懐かしさを感じた。
その後ショーのアナウンスが屋内のスピーカーから響き渡ると会場に来ていた観客は拍手でアシカを迎えてショーが始まった。
中村はアシカのショーを見つつ小柳が目を輝かせて楽しそうな表情を見ていた。
会場の盛り上がりの声にシャッター音は聞こえない。今だったらと中村はショーを楽しんでいる小柳の横顔を気づかれないようにこっそりとカメラで撮っていた。
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