第10話 理想と現実
5月27日土曜日。天気は晴れ。
朝7時、立花は電車に揺られ2駅先の映画観がある最寄り駅まで向かっていた。
(学校がある日より早く起きなきゃいけないなんてどうなってんのよ…このままじゃ映画中に寝そうだわ…)
休日のせいかこの時間帯に乗車している人数は少ないが、それでも立花に視線は集まる。
本来罰ゲームのきっかけとなった合コンに着ていく予定だったコーデをどうせならと今日のデートにぶつける事にした。
上は花柄のフリルブラウスに下は黒のリブロングスカート。可愛さと大人っぽさを兼ね備えた服装でイヤリングと小さなバッグ、化粧も軽くして自分の中では完璧な状態に仕上げていた。
立花は口を押さえて小さな欠伸をすると昨日小柳とやり取りしたメッセージを確認する。
『8時って朝よね?仕方ないわね、そんなに私と早く会いたいなら8時でいいわよ!』
『いや、もう8時の上映でもう席予約してるから。立花は無理しなくていいから行けるなら7時40分までに映画観の入口に来てくれ』
(席を予約してくれてるって私と見る気あるってことじゃないのよ…これは完全に脈アリだわ!)
立花はスマホでアゼンジャーズのホームページを開いてあらすじを調べる。
(なるほど、これまでのマーブル映画の単独作品のヒーロー達が集まって強いボスと戦うお祭り的な映画なのね。1作も知らないけどまあどうにかなるはずだわ)
7時30分、大きな商業施設の中にある4階の映画観の入口に先に着いたのは立花だった。
商業施設自体の入口はたくさんあるが早朝の営業は映画観くらいしかやっていないので入口が1つしか開いていなかった。
映画観の入口で待つ立花の鼻にポップコーンのバターの香りが食欲をそそらせる。
(ああ…バターの良い香り…。そういえば朝は何も食べてなかったわ。そうよ、大きなサイズを買ってアイツとシェアしたらいいじゃない!これもまた作戦として使えるわね…)
そんな事を考えていると奥の方から小走りで立花の方に向かってくる男性がいた。
(嘘でしょ?はいはい、あれじゃないはず…)
「待たせたか?あれ、立花だよな?」
目の前に現れたのは、無地の黒Tシャツに紺のジーパンで寝癖がまだついている小柳だった。
「はぁ!?なによその格好!正気!?」
挨拶もなしに立花の大声が朝の静かな商業施設に響き渡る。
「何って普段通りの…」
「デートよこれ!しかも相手は私!私とのデートでよくそんな格好で来たわね!この前お見舞いで家に行った時と同じ格好じゃないのよ!」
「ジーパンは違うし…立花もなんだその格好」
「何って私はオシャレして来てるの!もう…私だけ頑張って…はしゃいでるみたいでバカみたいじゃない…」
早起きして何度も服を選んだり可愛く見せようと化粧したりしていた自分が一気に恥ずかしくなる。
「悪い。とりあえず席予約してるから発券していいか?」
「どうぞ。もう好きにしてください…」
小柳は発券機に1人で向かう後ろを立花はホラー映画のキラーみたいにゆっくりと歩いてついて行く。
予約した席を発券すると1枚の券が発券機から出てきて小柳はそれを受け取ると立花の方を振り返り心配そうな顔で質問してきた。
「立花は自分の席とらなくていいのか?」
「は…?ん?だって昨日小柳君がもう予約してくれてるって…」
「俺は自分の席を予約してるってメッセージを送ったつもりだけど…」
「私の席は予約してないの!?何で自分だけ予約してんのよ!」
「いや、だって俺は3日前から予約してたし、その時は1人で観に行くつもりだったからな」
「はぁ。もう帰りたくなってきたわ…」
「大丈夫か?具合悪いなら座って休むか?」
「誰のせいよ!ちょっと待って…今から席とるから。ああ、小柳君の隣の席空いてないじゃないのよ…」
そう言って立花は発券機で席を選ぼうとするが、公開して1日しか経っていないため小柳の隣はもちろん、良い席は埋まっていて前から4列目の右端の席しかとれなかった。
「ちょっとお手洗いに行ってくるわ」
小柳を残して発券機から券を受け取って立花は1人トイレの御手洗の鏡前に立つ。
(あーイライラする!早くも休日映画デート作戦大失敗だわ!これじゃデートってよりただの付き添いじゃない…。席が別々とか有り得ないし私服姿にも反応ないし。アイツがわからないわ…。こうなったら切り替えて映画の後に頑張るしかないわね)
立花は自分の頬を両手で軽く叩いて気持ちを入れ替えると小柳のところに戻った。
飲み物だけそれぞれ購入して入場する。
1番大きな部屋の4番スクリーンに入ると階段で2人は別れる。
(別に興味ない映画を1人で観るって変な感じだわ!アイツとの席の距離が今の私との心の距離なの?随分と離れてるわね)
立花は自分の席に着くと部屋が暗くなるまでスマホを触って時間つぶしをすることにした。
隣の席に座っている大学生っぽい男性2人がヒソヒソと話した後に立花に声を掛けてくる。
「君さ、1人で観にきたの?俺たちもこの映画好きでさ。良かったら始まるまで話さない?」
立花は2人を無視して映画後に何をしようかスマホで商業施設のフロアガイドを見ながら考えていた。
「ねぇ無視しないでよ。君可愛いね。どこの大学行ってるの?まさかの高校生?教えてよ」
しつこく声を掛けてくる2人に立花の怒りメーターが溜まっていく。小柳の件で既に怒りメーターは半分を越えていた。
「教えってば。ねえ」
立花の隣の席の男性が立花の腕を掴もうとした時、小柳が立花の席の通路側から声を掛ける。
「おい!」
「は?なんだよお前」
(え、小柳君?どうしたの…?まさか、助け…)
「立花、映画始まったら電源切れよ?」
そう言って小柳は自分の席に戻ろうとする。
(アイツいつも通りだったわ!!助けてくれるかと思ったら私への注意…)
「ちょっと待ちなさいよ」
すぐに立花は小柳を追いかける。
「どうした?せめてマナーモードにはしておけよ。迷惑になるからな」
「今隣の席の人達に私ナンパされてたわよ」
「そうなのか。映画中は静かにな」
「はぁ?なんとも思わないわけ?」
「悪かった、席かわろうか?」
「ありがとう。ってそういう事じゃなくて…もういいわ。じゃあ席はかわってもらうから」
こうして小柳は右端の席に移って立花は真ん中の1番スクリーンが見やすい席へと移った。
立花の席からは小柳の姿が見える。少し震えているようにも見えるが気のせいだと思った。
部屋が暗くなって予告が終わるとアゼンジャーズの本編の上映が始まる。
興味なさそうに見ていた立花だったが、迫力のあるアクションやストーリーの展開の良さに次第に目が離せなくなっていた。
終わる頃には立花もアゼンジャーズの一員になった気分だった。
映画上映後、立花は小柳と合流するとすぐにでも感想を話したい様子だった。
映画観の入口付近で小柳はスマホで時間を確認しながら立花に話し掛ける。
「それじゃまた学校でな」
「ええ!?もうデート終わり!?帰るって…まだ朝の10時半よ!?」
「だって目的の映画観たし」
「本当に映画を観にきただけなのね…。ここの3階にチーズケーキが美味しいカフェがあるからそこで映画の感想でも話し合うわよ」
「休日だから人多いしなぁ…」
立花は小柳の単語帳に嫌いな場所に人が多いところと書いてあったのを思い出す。
「私が隣にいるんだからいけるわよ!」
「なんだその理論。…じゃあ、わかったよ。行くから連れて行ってくれ」
2人は3階のカフェに向かって歩き出した。
(なによ、ちゃんと隣で歩いてくれてるじゃない)
立花は小柳の歩く速度を確認すると歩幅を合わせて歩いていたため、小柳の成長を感じて少しだけ嬉しくなって微笑む。
カフェに着いてメニューを見ると立花に一筋の光が見えた。
(そうよ!これがあったわ!その名も1口ちょうだいからのあーん作戦よ!)
1口ちょうだいからのあーん作戦とは、小柳と頼むケーキと違うケーキを頼み1口ちょうだいとせがむ。断られても無理やり1口もらう。その後にお返しとして小柳にあーんと口を開けてもらい自分のケーキの1口を食べさせるものである。
2人が座っているテーブル席は丁度真ん中くらいの位置のため、この作戦を実行するには周りの目を気になってしまう。
が、立花には関係ない。むしろ周りの目をこちらに向けさせて小柳に意識させようと考えた。
「小柳君は何を頼むか決めたの?」
「まあな。てか、なんで笑ってんだよ…怖いわ」
「べ、別に笑ってないわよ!あー!早く感想語り合いたいわー!…すみませーん」
カフェの制服を着た店員が注文をとりにくる。
「ほら、小柳君から頼みなさいよ!」
(さあ何を注文する?どのケーキを選んでも私はここのカフェのケーキは全部好きだからこの作戦は実行できるのよ!)
「立花から頼めよ。俺は後でいいから」
「いや、私は小柳君の後に頼むから先に頼みなさいよ!」
「だから、俺は立花の後でいいって」
「違うの!私は小柳君の後に頼みたいの!だから先に注文しなさいよ」
「なんだよその願望は。立花が連れて来たんだから先に頼めよ」
1歩も引かない2人に店員は戸惑う。
(なんでこんなに言ってるのに先に頼んでくれないのよ!店員さんにも悪いし…仕方ない、ここは賭けるしかないわね…神様お願いします、被りませんように)
「わかったわよ…。店員さんすみません、私はこのオリジナルチーズケーキと…ミルクティーください」
「じゃあ…同じのください」
被せてきました。
「オリジナルチーズケーキ2つとミルクティー2つですね。かしこまりました」
「同じの!?何考えてるの!?」
「何で怒ってんだよ。立花が連れて来たってことは来たことあるんだろ?だから立花が選ぶものにハズレはないと思って同じのを頼んだんだけど」
「だからって…はぁ。これじゃできないわ…」
「何ができないんだよ」
「1口ちょうだいってやつよ…あ。…何さらっと聞いてんのよ!はぁ!?」
小柳のあまりにも自然な流れの質問に立花は考えることもなく言葉が出てしまう。自分の発言に気づいた時には遅かった。
「なるほど、そういう事か。…すみません、このレアチーズケーキも1つお願いします」
「2つも食べるの!?カロリー高いわよ…」
「確かにそうだな。じゃあ…1口いるか…?」
小柳は照れくさそうに立花に提案する。
「は、はぁ!?私から1口ちょうだいって言いたいのに何で小柳君からなの!?」
そんな小柳のことなど眼中に無い。立花は自分のしたいことにしか集中していなかった。
「悪い。でも、2つも食べられるかなー…」
小柳は立花にわかりやすい誘導尋問をする。流石の立花もそれには気づいて笑を浮かべる。
「仕方ないわね!1口ちょうだい!」
「映画に付き合ってもらったから全部やるよ」
「バカじゃないの!?映画は私も観たかったから付き合ってるつもりなんてないから!全部じゃなくてその、1口で…1口がいいのよ!」
「そっか、わかったよ」
運ばれてきたチーズケーキとミルクティーを食しながらアゼンジャーズの感想を話し合う。
立花はチラチラとレアチーズケーキを見る。早くしなさいよとサインを送る。
「はいはい。1口どうぞ」
小柳はレアチーズケーキが乗った皿ごと立花の手の届く範囲に動かした。
立花は目を閉じ口を開けて小柳からの1口レアチーズケーキを待つ。
30秒くらいしても立花の口はレアチーズケーキで満たされず、さすがにおかしいと感じて目を開けようとした時に1口のレアチーズケーキが口の中に入ってきた。
「やればできるじゃ…美味しいわ!」
「それは良かったな…」
立花は幸せそうにチーズケーキを食べ終わって目を開けると周りの客らこちらを見ながら小声で話している。小柳の顔はどこか遠くの方を向いて耳を赤くしていた。
(これは意識してるんじゃないの!?今までで1番の手応えを感じるわ!やれる。今のうちに畳み掛けるわよ!)
「小柳君が食べさせてくれたから私もお返しにやってあげるわ」
「いいって。自分で食べられるから」
「ほら、遠慮しないの!はい、あーん」
立花は自分のフォークでレアチーズケーキを1口の大きさに切って小柳の口元に持っていく。
「ちょっと。口開けないとずっとこのままだけどいいの?終わらないわよ?」
不敵で無敵な笑みの立花は止まらない。
「…わかった、わかったよ。待ってくれ」
小柳はグラスの半分くらい残っていたミルクティーを一気に飲み干して覚悟を決めた。
「よし。こい…」
(完全に意識してるじゃないのよ)
「あーん」
口を開ける小柳の目を見ながら立花は優しく1口のレアチーズケーキを運ぶ。
しばらく小柳は咀嚼するが中々飲み込まない。
「どう?私があーんしてあげたレアチーズケーキは美味しい?そんなに味わっちゃって」
「いや、その前にミルクティーを一気に飲んだせいか味がわからない…」
「ふーん」
(違うわよ小柳君。それは私を意識し過ぎて味がわからなくなってるのよ!やったわ!)
作戦が成功したことで立花は自分への自信を取り戻したのであった。
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