第8話 兄妹
5月25日木曜日。天気は晴れ。
「ん…、もう朝…いつの間に、私寝たの…」
立花は目を覚ますと周りが既に明るくなっている事に気づいて欠伸をしながら朝を迎えた。
眼鏡を掛けたまま寝落ちをしてしまっていたため鼻あてのところにくっきりと跡がついて痛い。
寝ぼけた状態のままいつも通りに洗面所で顔を洗っていると後ろから妹が話しかけてくる。
「おはようおねーちゃん!昨日うるさかったけど何してたのー?」
「マナおはよう…。うるさかった?まあそれは昨日はアイツとゲームを…アイツとゲーム…?ゲーム…あ!!」
立花は寝落ちしてしまった事を思い出して顔をタオルで拭かずに慌てて自分の部屋に戻る。
テレビ画面には優勝した場面がずっと流れている状態でコントローラーで通話している部屋に戻ってみると通話時間がまだ静かにカウントされていた。
(まさか…アイツも寝落ちしたってこと!?それとも私が寝落ちしたのをずっと聞いてたってこと!?私の寝息を…寝息…)
立花は自分の寝息を小柳に聞かれている想像をしてしまい顔が真っ赤になってじたばたとその場で暴れる。
「おねーちゃん朝から怪獣のマネ楽しそうー!」
それを見ながら立花の妹は楽しそうに歯を磨く。
(嫌よ!恥ずかし過ぎて死ぬわ!もしアイツに私の素の状態を聞かれてたら…。こうなるんだったら寝落ち通話…ゲームなんてしなきゃ良かったわよ!あー!)
急いで通話しているブレステ内の部屋から抜け出して深呼吸をして自分を落ち着かせる。
(アイツの方が先に寝たって可能性は?十分に有り得るわ。じゃないと私の寝息をずっと…もしかして寝言なんて言ってたら…?私、変なこと言ってないわよね…あー!)
落ち着くことはできなかった。
立花には断言できる。今回の寝落ち通話作戦は完全に失敗してしまったと。
その代償は立花にとって大きかったと。
昼休み。立花は教室でいつもの3人と食事を終えると1人茶道室へと向かった。
(こうなったら仕返しよ。寝落ちしたのは私のせいだけど…そんなの関係ないわ!逆にアイツの寝息を聞いてやるわ…いや、聞くだけじゃ私の気持ちは収まらない…そうだわ!録音よ!)
理不尽に寝息録音作戦を実行すると決意する。
立花はスマホを片手に持って足音を立てないようにゆっくりと茶道室のドアを開ける。
古い建物のせいか軋む音がする。
茶道室には長谷川の姿はなく、茶室で横になっている小柳の1人だけが居た。
(早速神様が私の味方をしてるわね。こんな所で無防備だなんて録音されたがってるのと同じじゃないの!さて、ボイスレコーダーをオンにしてっと…)
立花はスマホのボイスレコーダーのアプリを起動して録音開始のボタンを押すとゆっくりと小柳に近づいていく。
茶室の畳の上を音を立てずに歩く姿はまるで老舗旅館のベテラン女将のようだった。
息を止めてスマホを持っている腕を小柳の顔の前で10秒くらい止める。
(私からの距離じゃアイツの寝息は全く聞こえないけどボイスレコーダーにはちゃんと録音できてるはずよ。あぁ…腕がキツくなってしたわ…落としたらバレて私の負けよ…頑張れ、私の可愛い腕!)
腕に限界を感じた立花はゆっくりと体勢を戻してスマホを耳元に当てると録音できているか確認する。
(うーん…いまいち聞こえないわね。後で音量上げて聞いてみたら入ってるはず。これで寝息の件は一応許してあげるわ。一応ね)
立花は少し不満そうに静かに茶道室を出て教室へと戻った。
その後長谷川がトイレから茶道室に戻ると小柳が横になってスマホを触っている。
「立花は帰ったか?」
「こんにちは。あれ?立花さんいらっしゃってましたか?私はお見かけしてないのですが…」
「じゃあすれ違ったのかもな。今日の朝礼前に立花が私の寝息を聞いたとかなんとかってものすごく怒ってたからさ」
「そうなのですか。昨日お2人がゲームをすると話していましたけど立花さんの寝息を聞かれたのですか?」
「いや、俺は別に聞きたくて聞いたわけじゃないけどな。立花が先に勝手に寝たから仕方なくというか…。こっちは部屋を退出する時にポコンって大きな音が出るからそれで立花が起きないようにと気を遣ってやったつもりだったんだが」
「そうですか。それはきっと小柳先輩に対して怒りではなく恥ずかしい気持ちだったのではないでしょうか?」
「そうなのか?さっき長谷川が来る前に仕返ししに来てきたから怒ってたのかと思ったわ。長谷川も他の人に寝息を聞かれるのは恥ずかしかったりするのか?」
「私ですか?それは…まあそうですね。でもお相手にもよるかもしれないですね…」
「そういうものなのか。俺は別に寝息とか気にしないけどな。流石に寝言は自分で何言ってるかわからないから嫌だけどさ」
実は小柳は立花が寝息をボイスレコーダーアプリで録音しに茶道室に来ていた事は知っていた。
薄目で立花の行動を一部始終見ていたからだ。
昼食を済ませ少し横になろうとしたところに立花がやってきて寝ることを邪魔されたくなくて寝たフリをしていた。
立花が腕をプルプル震えさせながら録音している姿や録音できているかチェックしている姿を見た時には思わず笑いそうになっていた。
放課後、立花はいつもの3人と学校の最寄り駅近くのカフェでケーキを食べながら日曜日の合コンの打ち合わせをするため学校をすぐに去ってしまった。
今日は部活がない小柳は1人でいつものように靴箱で靴を取り出して上履きから履き替えているところで後ろから肩を軽く叩かれる。
「だーれだ?」
「いや、せめて目を隠せよ。恵美だろ?」
「詰めが甘かったか!当たり。卓也、一緒に帰ろ」
声を掛けてきたのは幼馴染の中村だった。
小柳は学校が終わると部活と月曜日の週刊少年フライの発売日以外は真っ直ぐ帰宅するが、中村は電車通学の仲の良いクラスメイトを駅まで送ってから帰る。
そのため一緒に下校するのは久しぶりだった。
夕暮れ時の帰り道、2人は横並びで歩く。
2人の影は2人よりも先にくっついて歩いていた。
通り過ぎる風は中村のスカートを靡かせる。
「なんか一緒に帰るのは久しぶりだね」
「確かにそうだな。前はよく一緒に帰ってたもんな。いつぶりだっけ?」
「んー、4月の半ばくらいだったかな?お互いクラスも別になったし帰る時間や付き合う友達が変わったりしたからね。それに卓也は部活入ってるし。卓也が茶道同好会なんてホント笑えるよ」
「笑うなよ…。前にも言ったけど当時の3年の先輩が急にお菓子あげるって半ば強引に食わされて食べたからって無理やり入部させられただけだからな」
「ははは!その話いつ聞いても面白いよ!そして入部したら3年生4人と卓也1人だったんだよね?きっとその先輩も部員集めに必死だったんだよ。4人以下は同好会だし。卓也は断れない性格だからなぁ」
「でも週2くらいしか活動ないし茶道室も静かで心地良いし今では別にいいんだけどな。結局は同好会になってしまったけど。あの時隣にいた恵美もお菓子食ってたら今頃茶道同好会の1人だったはずだ」
「はぁー食べてなくて良かった!確かに卓也がいるから楽しそうではあるけど、私は部活入ってない今の方が自分の時間作れて好きだからなあ」
「そうなのか。まあ最近は立花も茶道同好会じゃないのに昼休みに茶道室に来るし恵美も暇な時があったら来たらいい」
小柳から立花の話が出ると楽しそうにしている中村の胸が締め付けられるような気持ちになる。
(やっぱり歩美ちゃんの話でるよね。わかってた、わかってたけど卓也から話すんだね。なんか…嫌だな)
歩く速度が落ちていると自分で気づいた中村は何も無かったように小柳の隣に寄り添って歩く。
「そうなんだ。歩美ちゃんも?だったら行くしかないね!」
「いつでも来いよな。そういや話変わるけど、この前急な用事でもあったのか?母さんに話があるとか言ってたけど居なくなってたからさ」
「あぁ、あれね?実は友達と遊ぶ約束をすっかり忘れてて連絡あったからすぐに卓也の家を出ていったんだよ。ほら、卓也家とは家が隣だし卓也ママとはいつでも話せるからまた今度話すよ」
中村は焦る様子もなく申し訳なさそうにすらすらと嘘の言葉を並べて話す。事前に聞かれる可能性があると嘘の言い訳を考えてはいた。
あの時、中村は小柳と立花の2人きりの空気感に耐えられなくなってしまい部屋からは出たが帰ってはいなかった。
その場で小柳の部屋のドアを背に2人の会話を聞いていた。
小柳から兄妹という言葉が聞こえるまでは。
小さい頃から家族同士の仲が良く、中村と中村の兄と小柳の3人でいつも一緒に遊んでいた。
何をするにもずっと一緒だった。
だからこそ小柳が感じる兄妹という気持ちは間違えでないが、中村にとってはとても辛い一言だった。
中村は小柳に対して前から好意があったが、伝える事はなく隠し続けていた。もし伝えたところで今の関係が終わってしまうなら自分の中で抑えていようと思っていたからだ。
だからこの先もこの関係が続けばいいと思っていたが、立花が嘘の告白をしたことによって気付かされてしまった。いつの間にか失ってしまうと。
そして立花を振った小柳の行動よりも、振られても諦めることなく突き進んでいく立花の姿に心を動かされた。
(歩美ちゃんは本当に凄い。もちろん私が適う相手ではないことはわかってる。でも…私だって叶えたい。気づかせてくれてありがとう。そしてごめんね、邪魔なの)
中村は歩く小柳の左手を自然な感じで自分の右手で繋ぐ。
「ん?恵美、急にどうした?」
「こうやって手を繋ぐのも久しぶりだね。たまにはこういうのも有りじゃない?」
「久しぶりってか小っ恥ずかしいというか…俺、手汗凄いけど大丈夫か?」
(知ってる。卓也が手汗をかきやすいことも断れないことも。意地悪しちゃってごめんね)
「気にしてないし大丈夫だよ。なんだか懐かしいね。小学生の頃とか手を繋いで一緒に登下校とかしてたよね」
「あの頃はそうだったな。変な歌を勝手に作曲して一緒に歌いながら帰ってたよな。今では歌詞全然覚えてないけど」
「あったあった!あとは学校近くの竹林のところを秘密基地にしたり。家に帰ったら秘密基地に集合して遊んでたよね。中学に上がると一切行くことなくなったけどさ」
「懐かしいな。久しぶりに見に行ってみたいよな。今の小学生はやってないだろうなそういう事。あの頃は本当に毎日楽しかった」
「発言がおじいちゃんになってない?私たちまだピチピチの高校生だよ?」
「ピチピチって発言がおばあちゃんじゃねえか」
その後も2人は昔話を懐かしみつつ仲良く手を繋いで下校した。
小柳の家の前に着くと手を繋いだ状態のまま中村は小柳と向き合う。
(やっぱりこのままがいい。このままでいたい。…でもこのままじゃダメなんだよね。ちゃんとこの気持ち、今伝えないと…きっと歩美ちゃんは止まってはくれない…)
「それじゃまたな。今日は楽しかった」
「うん。また…やっぱりちょっと待って!…ちょっとだけ。いい?」
「もちろんいいけど。あ、母さんなら今家にいると思うから寄っていくか?」
夕日が眩しくて小柳が影になり表情がわからない。中村は勇気が湧いてくる。今しかない。
「卓也は私のことを、兄妹として見てるんだよね?でもね、私は卓也のことを兄妹として全く見てないの。卓也が私をそう見てるなら、もうそんな私見せないから…。それだけ言いたくて。…じゃあね」
そう言って中村は小柳から離れて隣の自宅に走って帰っていった。
家に入ると玄関先で力が抜けて通学鞄を落としてしまう。中村は辛そうな表情で胸を両手で押さえると鼓動が早いことを感じる。
「本当に、本当に卓也に、言っちゃった…。どうしよう…?私、もう後戻りできないよ…!」
手汗が止まらないのは中村の方だった。
一方立花はそんな事があったのも知らずに、いつもの3人と別れて帰り道に小柳の寝息をスマホのスピーカーから音量を最大で再生しながらやっぱり聞こえないわねとしかめっ面で呟いていた。
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