もう輝けない月
「月渚先輩、ちょっと話がしたいです」
「なに、日向くん?」
月渚先輩は、自習を終えて疲れたような表情をしていた。そんな月渚先輩を引き留めるのは悪いようにも思われたが、俺は月渚先輩を呼び止めた。
「普段はどのくらい勉強してるんですか?」
「学校がある日は六時間に届かないくらいかな」
俺は月渚先輩のその言葉が信じられなくて、嘘かどうか判別しようと、月渚先輩の眼を見つめた。
「恥ずかしいから、あんまり見ないでほしいな……」
「先輩、隈が酷いですよ」
「……気づいちゃったか」
真面目な月渚先輩のことだから、深夜までネットサーフィンしていたらこんな隈ができちゃいました! とはならない気がする。
「やっぱり、勉強時間サバ読んでますよね」
「……」
「本当は何時間やってるんですか?」
「最低十時間……」
うちの高校は四時くらいに授業が終わる。
いくら月渚先輩は部活を既に引退していると言えども、登校時間をゼロとして考えても、十時間も勉強したときに寝られるのは二時を過ぎてからだろう。
生徒の登校完了が、うちの高校では八時三十分。
月渚先輩は女子だから、俺よりも準備に時間がかかることを加味する一、二時間は準備にかけているだろう。
その場合、仮に登校時間をゼロとしても、六時くらいには起きている計算になる。
睡眠時間は、四時間。
しかもこれは登校時間をゼロとして考えた場合なので、実際はもう少し短いだろう。
「普段は何時間寝てるんですか?」
「三時間かな。いつも三時に寝て六時に起きる」
ならばこの隈も納得だ。
「健康にも悪いのに、なんでそんなに……」
「それだけやらないと、陽太には追い付けない。私は凡人だから」
月渚先輩は自分が凡人などと語るが、毎日三時間睡眠で授業も真剣に受け、自主学習は最低十時間。
これほどまでにストイックな生活を自身に課すのは、凡人では不可能だ。
「一般的に優良と言われてる参考書は大体何周かしてる。受験のためには難しい問題も解けるようにならなくちゃいけない。全教科高い水準でまとめないと、陽太には追い付けない。これだけ勉強しても、陽太は遥か先にいる」
心の片隅で、そこまで陽太先輩にこだわらなくても、と思った。思ってしまった。
他人にとって大切なものを自分が理解することは出来ない。だから、他人に下手に口を出すことは出来ないというのに。
そんなに陽太先輩にこだわらなくても。口に出しそうになって、直前で何とか踏みとどまる。そんなことを言ったら、月渚先輩がどれだけ傷つくか。
「必死に努力して、追いかけて、それでも陽太は振り向いてくれない」
「月渚先輩」
「陽太が振り向いてくれないなら意味はない」
どうやら月渚先輩は、陽太先輩が自分のことを低く評価していると思っている様子だった。
「陽太先輩は、確かに月渚先輩に惹かれていると思います。ただ、なにか決着をつけられていないようですけど」
月渚先輩は、それでも納得していないようだった。
「私がなにをしても、陽太はどこまでの遠くにいる気がする」
「でも、月渚先輩は確かに前進してますよね」
「陽太の方が速かったら、意味がないよ。もう、辞めようかな……」
確かに、追い付きたい人に追い付けないというのはどれだけ歯がゆいか、どれだけ辛いか、俺にはわからない。
だから俺に月渚先輩へなにか言う資格はないのに、月渚先輩にこのストイックさを捨ててほしくないと思った。
一日十時間勉強はやりすぎ、諦めるのは駄目。じゃあどうすればいいのか、折衷案も考えないうちに。
「陽太先輩に追い付けないから努力をしないんですね」
「どっちなの? 日向くんは、私にどうしてほしいの?」
「……これは勝手な押し付けなんですけど」
前置きをして、月渚先輩が頷いたのを確認して喋り始める。
「俺の中で、月渚先輩はいくら辞めてしまいたくても、そのうえで逃げ道があっても、諦めてしまうような人じゃなかった。目標に届かなかったとしても、やらないよりは、って言って努力をさらに積み重ねる人だと思っていた」
「そのイメージが間違ってたんだよ」
「実際に、月渚先輩は想像を超えてストイックだった。そんな月渚先輩が、努力が報われないからっていう逃げ道に頼る姿は見たくない。たとえ陽太先輩に追い付けなくても、努力を続けるのが月渚先輩の"輝き"だと思ってた。そこに、月渚先輩の魅力を感じてた。だから、たとえ無理をしてでも努力を重ねてほしい。そこに確固とした理由があるのなら」
月渚先輩の芯に響かせるはずの言葉だった。
だけど、月渚先輩の芯なんてもうとっくに折れてしまっていた。俺の言葉が月渚先輩に届くことはなかった。
「もう私には無理だよ……」
「——やっぱり、俺の言葉じゃ届かないですか……。俺は、月渚先輩には諦めてほしくないです。でも、俺は月渚先輩ほど優秀じゃないし、努力をしているわけでもないですから、仕方ないのでしょう」
「そうだよ。諦めた方が良いよ」
「そうですね、俺は諦めます」
俺じゃ駄目ならば、仕方がない。
俺は先ほど解散したばかりの陽太先輩にLINEで無料電話をかけた。
「もしもし、陽太先輩ですか」
『なに、日向。こっちも疲れてるんだよ……』
「緊急事態です、今すぐ月渚先輩の家に来てください」
『今すぐ行く!』
ぶち、と通話は切断された。
「日向くん、なんのつもり?」
「月渚先輩が今最も必要としているのは、睡眠でも休養でも俺の言葉でもなく、陽太先輩ですから」
「あんまり陽太に迷惑はかけたくないんだけど」
「そのくらいいいんですよ、陽太先輩はこれだけ月渚先輩に迷惑をかけてるんですから」
それに、陽太先輩は月渚先輩のことが大切だと思っているから、きっと来てくれるし、月渚先輩の心の助けになってくれる。
無理やり努力をさせるとかではなく、楽な方法に導くというわけでもなく、最善を模索してくれるはずだ。
俺は、どこか気まずさを感じながら、陽太先輩に頼ることしかできなかった自分を省みる。
月渚先輩は、どうするのが最善なのだろうか。そのために、俺は何をするのが最善だったのだろうか。
それを思索出来た時間は一瞬だった。
「どうした、日向!」
陽太先輩は想像より早く月渚先輩の家に到着した。
「月渚先輩と、話をしてほしいんです。俺は別の部屋に移動しますから」
「いや、気遣わなくていいから。日向くんは陽太の話を聞いてて」
「で、月渚はどうしたの?」
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