体育祭の残り香
『では各組、一の位から発表していく』
後方を向くと設置してあった板の一の位の部分にかけられた黒い布が外される。
赤組の得点の一の位は、一。白組の一の位は、九。
一の位は白組の方が勝っているということで、少し弱気な気持ちもあるが、十の位や百の位で逆転できるため、大人しく次の発表を待つ。
『次に、十の位を発表する』
またもや布が外されると、現れた数字は、赤組が二、白組が一。
百の位ですべて決まる。
これまで以上に、生徒たちの間で期待と緊張が高まる。
『千の位まであるので、とりあえずは百の位――どうぞ』
現れた数字は、双方ともに三。
どき、どきと俺の心拍が上がっていくのを感じる。
『千の位——』
布が取られる。
一、一。
赤組、一三二一。白組、一三一九。
赤組の勝利だ。
「うおおおおお!!!」
赤組全員の勝利の咆哮と、白組全員の悔しげながらも好敵手を称えるような拍手の音が、グラウンド中に響き渡った。
陽太先輩はどんな反応をしているのだろうかと視線を向けると、三年生の陽キャたちと混じりあって喜んでいた。
そして今度は月渚先輩の方を見ると、疲れたような悲しいような表情をして、俯いていた。白組団長としては悔しいのだろう。
俺も皆に釣られて狂喜乱舞した。
「体育祭、お疲れ! 文化祭も頑張ろー!」
「そうだ、文化祭が終わるまで打ち上げできないんだった!」
陽キャたちで集まった時、太陽がそう言って盛り上げた。
それに対して打上が、今回は打ち上げがないことに言及し、打ち上げが出来なくて心底辛いかのように叫んだ。
「俺らって打ち上げするために体育祭やったんだっけ?」
俺は大して運動神経はよくないから多くの競技には出ていないのでそんなに疲れてはいないが、他の陽キャたちは大体運動神経抜群なので疲労を顔に出していた。
「打ち上げないからこのまま解散かな?」
「それじゃあ、また明日!」
俺が陽キャたちと解散して向かった先は、陽太先輩や月渚先輩と話している翠の元だった。
「翠、陽太先輩、月渚先輩!」
「あ、日向くん」
俺に返事をしたのは翠だった。
「月渚先輩にとっては嫌味に感じるかもしれませんが……いい勝負でしたね」
俺は最初に月渚先輩を気遣うことにした。
翠との時間も大切だが、今は翠は勝利した側なのでそちらを真っ先に気に掛けると失礼に当たりかねない。
「嫌味だとは思わない。二点差だもんね、過去一点差が小さい年だったらしいよ」
「そこまでいい勝負になったのも、月渚先輩や陽太先輩のおかげですよ」
すべて本音だった。
月渚先輩が白組の士気を底上げしなければ、陽太先輩率いる赤組とここまで接戦になることはなかっただろうし、逆もしかりだ。
これほどまでのカリスマ性は他の誰にもできないことだ。たとえ武田先輩だとしても、無理なことだろう。
「翠ちゃんや日向くんも、必死に応援してたし、陽太が走れたのはそれもあったと思うよ」
「いや、俺は自分の力だけですう!」
翠がいるから、陽太先輩は陽キャの自分を取り繕わないといけないということは分かるが、無理して明るくしなくてもいいような気がした。
彼らはわからないのかもしれないが、俺は翠が陽太先輩のことを言いふらしたりしないと分かっていたから、一層もどかしい。
だが、さすがに今陽太先輩に翠について話すなんて空気の読めないことは俺にはできなかった。
「天野先輩と天川先輩は、文化祭何やるんですか?」
「三年八組は期待が大きいから、議論を時間かけてやる予定なの。まだ何も決まってないよ」
「何をやるにしても俺が成功させるから、安心して」
陽太先輩は陽キャの皮を被っていようがそうでなかろうが、格好いい人に違いなかった。
その言葉は確かな確証を秘めていて、どこか安心感があって、なぜともなく頼りになる言葉だ。
「ま、期待しててよ。私も精一杯頑張るから」
「よく考えてみたら、翠と一緒に帰るなんてことなかなかないよな」
「そうだね。ここ最近は日向くんと二人きりになる機会もなかったから、ちょうどいいし嬉しいな」
そうだ、翠は二人きりのときにはこういうことを言ってくる人だった。
こういうところも俺が翠を好きな理由なのだろうと思い、翠はどうかな、と考えてみても人の気持ちは読めなかった。
「あと少なくとも二年半、翠と一緒に過ごす時間があるんだ」
「私はもっと過ごしたいけどね。でも、満足してる」
秋らしく、日は既に暮れて、月が昇っていた。
並んで歩く俺たちを持て囃すかのように、草むらに隠れた虫たちが鳴く。
「なんというか、疲れた後ってセンチメンタルになるなあ」
「ちょっとわかるかも」
疲れが溜まっているからだろうか、どこか眠くて頭の回転が上手くいかない。
「今日、うちに親いないんだ」
翠が唐突に喋った。
「うち、来ない?」
突然発されたその言葉に、俺は何か深い意味を感じ取らざるを得なかった。
いやたぶんそれに深い意味はなくて、単に我が家を俺に紹介したいという意思故だったのだろうけど、とはいえ何かあるかもしれないという期待は消えなかった。
「どゆこと???」
「泊り、ってことだよ」
「!? 俺たちまだ高校生だよ!? それに、一応まだ正式には付き合ってないわけだし! そういうことするには早すぎるんじゃ……!?」
俺は大パニックに陥ってしまった。
親がいない家に泊まりっていうことはもう完全にあれじゃん手出していいってことじゃんと血迷った思考だけが脳内を駆け巡る。
「え、何の話?」
「すいませんなんでもありません」
翠は全然そんなつもりなく誘った様子だった。勘違いした恥ずかしい穴があったら入りたいというか埋まりたいというか死にたい。
「来てくれる?」
突然の提案に、ふと空を見上げる。
秋だけあって日が暮れていたので、自分の家に帰るのが少し億劫に思えてきた。それで、俺はその呼びかけに了承した。
「親に連絡するから、ちょっと待ってね」
『友達の家に泊まるから、今日は帰らない』
嘘は言っていない。なんたって、今のところ俺にとっての翠は好きな人ではあるが友達でもある。
「よし、じゃあ案内してくれ」
「こっちだよ」
翠の家は俺の家と比べて学校からほど近い位置にあり、俺の家と違って一軒家で、ちょうどよい広さがあった。
俺が働き始めてもし家族が出来たらこんな家に住みたいという、いわば理想の家みたいだった。
「広いね」
「私が働いたわけじゃないから私の手柄みたいに言うのは何だけど……すごいでしょ」
「落ち着かないほど広いわけでも、必要最低限の狭さでもないから、理想的」
「じゃ、入ろうか」
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