俺は必死に走ったんだけど!?

 体育祭本番。


 俺の絶望的な運動神経が強制的に学校中に知らしめられる、学年全校参加競技の百メートル走。


 なんでそんな明らかに運動神経比べみたいな競技を全校参加競技に設定したのか甚だ疑問でならない。


 そもそも百メートル走は――


「よーい……」


 俺が苦手としている、鉄砲の音が鳴り響き、俺の思考は中断された。


 俺の前にある列はもはや一桁台前半にまでなっていて、俺が走る番はもうすぐになってしまう。


 というか、俺の直前に走るのが圧倒的に足の速い太陽であるという現実はおそらく世間が間違っている。


「よーい……」


 気づくと、太陽が走り出していた。


 次じゃん。


 誰にも見られていないだろうな、と応援席の方を見ると翠が、陽太先輩が、ばっちりとこちらを見ていた。


「よーい……」


 スタートの合図をする人の声で慌てて視線を正面に戻す。


 いくら運動神経が悪くとも、手を抜くのはよくない。翠だったら絶対に全力でやるだろう。


 俺が苦手としているはずの鉄砲の音と同時に俺は前へ飛び出していた。


 ぐんぐんと隣と差をつけられていくが、気にせず必死に足を動かす。


 前にいる人が俺だったら格好よかったのになあと一瞬浮かんだ考えは、酸欠か緊張か、狭まる視界が続きを考えることを許さなかった。


「日向くん、頑張って!」


 突如すっと耳元に入り込んできた翠の声に、俺の視界は少しだけ広くなり、足の回転は少しだけ早くなった。ような気がした。


 もともとこの競技は百メートル走であるから、さほど距離はなく、走る時間も、どれだけ長く見積もっても二十秒を超えることはあり得ない。


 へろへろと垂れたゴールテープを横目に、六人中六番目の旗へゆっくりと歩いて向かう。


 最下位とは。いくら俺でも一人くらいは置いていけると思っていたが、現実とはあまりに厳しい。


 はあはあ、と乱れる呼吸を整えるのにどれほどの時間がかかっただろうか。


「日向くん、残念だったね……」


 かけられた声は予想外のものだった。


 太陽とかなら納得できるが、その声の主は――


「翠、なんでいんの? 応援団員なんだから仕事は? ていうかトラック内って入れるの???」

「そろそろ怒られそう」

「駄目じゃん」


 翠の行動はルール上いけないもののようだったが、俺の人生上では素晴らしく褒賞を受け取るべきものだった。


 だが、俺の拙い人生経験では何をすればいいのか分からない。あとで陽太先輩に訊こう。


「じゃ、私もう戻るね」

「ああ、存分に怒られてきてくれたまえ」

「え、嫌だよ」




 ついさっきまでは校舎に貼ってあった赤組と白組の得点表が、気づいたらなくなっていた。


 なくなっていたといっても別に盗まれていたわけではなく、体育祭も中盤に差し掛かったので一度隠しますということなのだろう。


「翠、さっきまでの点数わかる?」


 体育祭の得点。軽く三桁、場合によっては四桁に及ぶその数字を集計しているのはすべて図書委員の生徒だという。


 よく考えたら図書委員の生徒の得意教科はおそらく国語なのだろうと分かりそうなものだけれど、彼らは四苦八苦しながら壮大な算数の世界に押し込まれる運命さだめだったようだ。


「赤組が840点、白組が828点……だったような」

「接戦も接戦じゃん」


 男女ともにある四かける八メートルリレーはそれぞれ十何点とか何十点とか、高めの配点だった記憶があるので、簡単に逆転されてしまう可能性が高い。


 さすがに男子リレーは悪原率いる選抜生徒たちがいるため、負けないだろうとは思うのだが、他にも女子リレー含めいくらかの団体競技がある。


 特に三年男子だけが参加する騎馬戦は得点が高いらしく、リレーには届かないまでも重要な競技だとのこと。


「騎馬戦は俺が全部倒すから! 全部俺に任せといて!」

「天野先輩、かっこいいですね!」

「陽太先輩さすが」


 というか、これからの赤組の勝敗に俺が関与できる競技が存在しない。そもそも俺は百メートル走にしか出ていないので、応援しかできない。


 障害物として謎の物質が選定された謎競走が開始された。


「赤組、頑張って!!」


 翠は普段の二、三倍以上の声量を以って応援をし始めた。


「赤組頑張れ!」


 俺も、翠に影響されて、翠には劣るものの赤組に対して応援を始めた。


 陽太先輩は言わずもがな、翠と同時に応援を始めていた。俺たちの応援をかき消すかのごとき声量だ。


 俺は翠と陽太先輩に対抗するように応援をすることしかできなかった。




「男子リレーだね、悪原くんたち頑張って!」

「「「「「「うっす!」」」」」」


 翠が何をしたのか知らないが、太陽以外のリレーの一軍選抜選手、全員が翠に従順になっていた。先輩ですらも。


 いろんな意味で、俺じゃできないことだ。


「私たちの勝敗は、悪原くんにかかっているって言っても過言じゃないから!」


 赤組一軍の一人目の走者はなんと、打上だった。


 打上は陽キャらしく、持ち前の俊足によって、白組一軍の第一走者にスタートで大きな差をつけた。


 その後は少しずつ差が縮まっていった。


 ぐんぐんという擬音もつかないくらい少しずつだったが、確実に縮まる距離に俺と翠は必死に声を震わせることとなった。


 結果的に打上が白組一軍の走者に抜かれることはぎりぎりなく、次の走者にバトンがパスされた。


 赤組一軍第二走者が飛び出してから一泊もしないうちに、白組一軍第二走者が飛び出し、すぐに赤組一軍第二走者を追い越した。


「ああ、白組一軍の第二走者は佐藤か」

「頑張れ!!!」


 太陽の運動神経が特に目立つという印象があったが、佐藤だって腐っても陽キャである。赤組一軍第二走者はなすすべもなかった。


「頑張れ!!!」


 次はすぐ近くを走っている二軍の方を見ると、そちらは赤組がリードしていた。だがなかなかの接戦で、どちらからも目を離せない。


 当然口では応援の言葉を発することをやめることはできない。


「頑張れ!!!」


 体育祭も盛り上がってきた終盤ならではの熱気と圧力と興奮に圧されて、俺はまた一段と声を大きくした。


「頑張れ!!!!」


 また一位争いに目を向ければ、赤組一軍第二走者はなすすべもなかったはずなのに、古月に追いすがっていた。


「まだチャンスはある!!!!」


 まだ悪原も残っている、逆転の機会はある。

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