君は君だよ(小泉構文)
「『私』がわからない……?」
「私は何がしたいのか、とか何もわからないの」
「それでいいんじゃないか」
何の問題があるのか、俺は不思議がった。
「まだ学生だ。大人ですら自分のことなんて全然知らないのに、南野が自分のことを全部知っている必要性はない」
「じゃあさ、名前で呼んでよ!」
どういう思考回路をしているのか、俺は不思議がった。
「なんで?」
「自己肯定感、っていうの? 名前で呼んでくれた方が私のこと認めてくれてるって思えるから!」
まあ一応納得できる範囲の論理ではある。
「みどり……」
突然名前で呼べと言われたところでどこか照れてしまってうまく言える自信がなかったので、小声でつぶやく。
こういうところが陰キャたる所以なのかもしれない。
そもそもなんで俺は今、出会ったばかりの同級生女子を名前で呼ばされているのだろうか。甚だ疑問だ。
「もっと大きく!」
当然ぼかすという俺の狙いはバレていた。非常にショックだ。
「翠」
「もう一回!」
好感度が高すぎて、今この瞬間告白しても成功するように思える。
「翠」
「もう一回!」
もういいんじゃないか。
「翠、そろそろやめようか」
「ごめん」
いくらなんでもこの一瞬で自己肯定感が上がりすぎだ。まるでインターネットの怪獣・マウントニート。
「そろそろ休み終わるから、解散かな。俺は次の休み時間は用があるし、そのあとは放課後だけど用があるから、明日の昼来れる?」
「もちろん、日向くんに会うためだからね!」
その一撃に、俺は貫かれてしまった。
結局先に翠に帰ってもらって、一人になったタイミングで自己再生して無心で教室に戻った。
「影山、どこ行ってたんだよ……巻き込まれてくれればよかったのに」
「人間の屑かよ」
「人の不幸は蜜の味だから」
佐藤が解放されて、本日最後の授業が始まった。
体育だ。
その事実を知って俺は絶望感をあらわにした。
そもそも、古来より陽キャは、勉強の出来不出来は関係ないにせよ、少なくとも運動神経は抜群であると相場が決まっている。
実際に、陽キャ界の神である天野の話をしよう。
彼は、パリピの巣窟テニス部を今年の大会でなんかすごい規模のところに導いた、部長だ。
テニスって団体戦とかあるんだなと思ったがこの時間において別にそんなことは何でもいい。
俺は絶望的に運動能力が低い。
そりゃそうだ、ついこの間まで陰キャ歴=年齢みたいな人生を送ってきたのだから、運動は得意でない。
鍛えてないのに運動能力が高い道理はない。それじゃあまるで天才ではないか。
「影山ってマジで運動苦手だよな」
悪意のない言葉が刺さる刺さる。
翠の時とはまた違う刺さり方をする。
「いや得意な競技もあるから!」
「長座体前屈だろ?」
体の柔らかい人が有利なやつだ。
大体の場合は長座体前屈の結果に運動神経は関係ないのだが、体育の授業でやることになっている。
だがしかし、これは競技ではない。断じて競技ではなく、スポーツテストの点数になるだけだ。
「何かきっとあるはずだから!」
「だから長座……」
「うるさいって! ほかになんかあるから!」
「ないじゃん」
俺は昇天した。
そんな俺の頭の中に、翠が湧き出る。
『運動できなくても、君は君だよ! 大好き!』
このような言葉が想起されたことが少し気色悪く感じられるような内容だった気がしないでもない。
結構脚色されている。
しかし、その言葉は俺を開き直らせるのに十分だった(enough to構文)。
「ま、いっか! 運動は佐藤に任せた!」
「佐藤と古月、運動神経めっちゃいいね……」
「いや、影山が悪いだけだぞ?」
「そうだな、俺はともかく佐藤は普通だ」
体育終わりに俺たちはそんな会話をしていた。
第一印象は学年二位の陽キャといった印象の古月だ。彼は一年二組に在籍している。そのため、一組の俺たちとは合同で体育が行われる。
三組も一緒の体育だが特筆するような陽キャは存在しないので省略させていただく。
そんな古月はユーモアもあるらしい。学力も高く、天野とも親友で、運動神経もいい彼に、俺が勝てている部分は何一つない。
「お、太陽は次体育か?」
前方から接近してきていた天野に、古月は誰よりも早く気づいて声をかけた。俺なんて人が来てることすら気づくことが出来なかった。
天野は確か七組だったので、八組と合同体育だ。
だからかわからないが、天野の後方すぐ近くに翠が歩いていた。
「あ、日向くん! 体育だったの?」
「ああ、そうだよ。翠はこれから体育だよね」
陽キャたちといる俺によく話しかけられるものだ。
俺が陽キャになろうと試みる前、完全にどこに出しても恥ずかしい陰キャだったころは、陽キャなど危険物だと思い込んでいた。
「影山、これ誰?」
「佐藤はマジの馬鹿だな。最近入ってきた転校生だよ、紹介されてただろ?」
翠は実は転校生だったらしい。紹介されていたとのことだが……
「どこで紹介されてたの?」
「影山までマジの馬鹿だとは思ってなかったな。学年集会が先週末にあっただろ? その時に紹介されてたんだよ」
学年集会の時は運悪く体力を使い果たしてしまっていたため、ちゃんと眠りこけてしまっていた。
「明日まで会えないと思ってたからラッキーだね。また明日!」
「じゃあまた明日」
これは陽キャたちにからかわれてしまうやつだ……。
そう思ってしまいながらも、あえていじられることによって知名度を上げる一助になるだろう。
……いや、ダメだ。それは翠に迷惑がかかる。俺だけの話ではない、知名度を上げようとするなら翠の許可を取ってきてからだ。
俺はたびたび陽キャたちから、人間性が終わってるなどのありがたいお言葉をいただくことがあるが、この程度のことは配慮する。
「影山はどういう関係? 南野と付き合ってんの?」
「関係、ね……。たまたまその辺で会って意気投合した、って感じ。一言でいうなら友達」
俺と翠が今のところ友達であることは間違いない。
いつかは友達以上の関係になることを期待していないわけではないのだが、今はアニメの話で盛り上がるオタク友達といった感覚だ。
「影山って全然わかんねえよな、古月」
「そうだな。なんというか存在自体が気まぐれっていうのかな」
「俺は俺だよ」
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