彼の者は月下に愁う


夕暮れ時、冒険者ギルドの会議室にて──

静寂に包まれたその空間は、どんよりと重たい空気を漂わせていた。扉一枚挟んだ向こう側。ギルドの顔とも言えるその場所は、普段は受付嬢や冒険者たちの喧騒が絶えず流れているが、今は少しだけ静かである。夜目の効かない冒険者たちは普段から夜間の活動を自粛しているため、この時間帯は人が少ないのだ。

そんな静けさの中、会議室の中央にあるテーブルに三人の人物が座っていた。

一人は[龍を追う剣]のリーダーである剣士ヨハン。もう一人は同パーティに所属する【賢者マジック・マスター】のスキルを持つ少女、吸血鬼カルミラ。そしてその二人の対面に座る中年の男性、ギルド副長のエルメニコ・リンスキーだ。

彼はヨハンたちを見つめながら、その重たい口を開く。



「ギルド側の判断として、[龍を追う剣]の等級をAランクに下げることにした」



「ギルドマスターの判断を仰がなくてもいいのでしょうか?」



「問題ない。ギルドマスターが不在の場合、次席であるこの私に最終決定の権がある」



その言葉に、ヨハンは何も言わずに顔を伏せた。諦めたような表情で軽いため息をつく。

その隣、彼の傍らでは相変わらずクルエラが肩を寄せて震えていた。彼女の様子を見て、エルメニコが心配そうに呟く。



「カルミラは大丈夫なのか?さっきから様子がおかしいが……」



「俺にも何が何だかわかりません」



ヨハンも心配そうにカルミラの顔を覗く。何かに怯えているような、そんな雰囲気だった。



──あの時に出会ったドラゴンでさえこんな様子にはならなかったのに、一体何があったんだ?



彼の中に疑問が残る。しかし何も分からなかった。体を震わせる彼女に「大丈夫か?」と声をかけると、カルミラはハッとしたようにヨハンの方を向く。



「行かなきゃ……」



「カルミラ?」



彼女は聞き取れないほどの声量で何かを呟くと、おもむろに立ち上がった。



「ごめんヨハン!すぐ戻るから……!」



「ちょっ……待てよカルミラ!」



しかしヨハンの制止は意味をなさず、彼女は会議室の扉を蹴るようにこじ開けるとそのままギルドを出ていってしまう。

残された二人。不穏な空気に包まれる中、エルメニコが言う。



「リーダーの君がいてくれれば問題ない。後はパーティメンバーに今回の件について再三注意していてくれ。二度目はない、と」



「わかりました」



「私からは以上だ。もう日も暮れている。早く帰るといい」



その言葉に、ヨハンは立ち上がると軽い会釈をする。会議室から出ようとしたところで、彼は思い立ったように振り返った。



「あの…………Aランクだと、ドラゴンの討伐任務は無いですよね?」



「ああ、ドラゴンの討伐任務はSランクのみが受けられるものだ。でも君たちの戦績は知っている。地道に頑張ればいずれSランクへと返り咲くことも出来るだろう」



「ジルベルトはどのくらいで解放されるんでしょうか」



ヨハンの質問に、エルメニコは顎に手を当ててしばらく考える。



「今回の暴力行為も未遂で終わってるからね。厳罰とはいえ、恐らく三日ほどで解放されるだろう」



「わかりました」



予想通りの答えに頷きながら、今度こそヨハンは会議室を後にする。人数ひとかずの少ない受付所を通り過ぎ、飲んだくれの冒険者を避けながら彼はギルドの扉に手をかけた。



「もう、来ることもないかもな……」



意味ありげにそう呟き、ギルドを出ていく。夜の帳がすでに城下町へと降りていた。彼は扉の前にある階段へと腰を下ろし、大通りを照らす月を眺める。物思いにふけるような表情で、何も言わずに虚空を見つめていた。


──遠い過去を思い出す。

彼がまだ小さかった頃、故郷であるメドゥランテ領のアイスーイ村がドラゴンに襲われた。未だにその光景は鮮明な映像となって彼の脳裏に焼き付いている。まるでこの世の終わりともいえる状況だった。逃げ惑う村人たち。泣き叫ぶ赤子。息絶える老人。ドラゴンのブレスによって火の海と化したアイスーイ村は、時とともに屍を築いていくだけだった。

そんな渦中、彼の両親は必死に我が子を守ろうと村の出口を目指していた。よわい十二歳の子供を脇に抱えて全力で逃げる父親は、しかし途中でドラゴンの爪撃により死んでしまう。残された母親も、ブレスによって焼き殺された。悲鳴が、死ぬ間際の悲痛な叫びが、彼の頭から消えない、忘れられない、憎い、悲しい。

──ドラゴンを殺してやる。

そんな目標を果たすため、冒険者となった彼は日々努力を惜しまなかった。教会で【殲滅剣セルスター・ソード】の詳細を伝えられた時、飛び上がるほど嬉しかった。

いずれドラゴンを倒すため、旅の途中で出会ったカルミラとともに任務を達成していく。その甲斐あってか[龍を追う剣]はSランクにまで上り詰めることができた。

──遂にドラゴンと戦える。だけどその頃には慢心していた。俺は強い。あの時よりも更に、ドラゴンなんぞものともしない、と。ちまたで〈殲滅の美剣士デルジオン・アスター〉なんて呼ばれていることも知っていた。色んな女性からちやほやされて舞い上がっていた。でも、現実を思い知らされた。俺はまだまだだ。他人を犠牲にして得られたのは己の無力さに対する自覚だけ。カインをパーティに入れたのが間違いだったのか?いや、例え彼がいなくとも負けていた。そして、その時は別の誰かを犠牲にしていただろう。俺は汚い人間だ。そんなちっぽけな存在だったんだ。


ヨハンは再び空を見上げる。月光に照らされてその姿をぼんやりと表す雲を眺めながら、彼は深いため息をついた。深く、何かを憂うような表情でじっと動かない。


どれくらいの時間、そうしていただろうか。ふと人の気配を感じた彼は、暗闇の先へと視線を向ける。そこに浮かぶ二つの紅眼。月下に煌めく銀色の長髪。



「カルミラ……なのか?」



「ヨハン」



「今まで何をしてたんだ」



「別に…………それよりも聞きたいことがあるわ」



月明かりに照らされて姿を表したカルミラは、どこか異質な雰囲気を纏っていた。底知れない力の波動というものだろうか。もう恐れなどないといわんばかりに自信に満ち溢れた表情をしている。このかんに何かあったのは間違いないだろう。



「お前……何があった?」



「細かいことは後で説明するわ。とりあえず、私は今から王都を抜けるんだけどあなたも一緒に来ない?」



「どういう意味だ?」



「そのままの意味よ。私は故郷であるヴラルド王国に帰ることにしたの。今回の件であなたも王都のギルドには居づらくなったでしょう?だから一緒にここを抜けるの。別に冒険者なんて人間領域ならどこの国でもできるじゃない」



「それはそうだが……ジルベルトはどうするんだ」



「彼はあまりにも短気すぎるわ。このまま放っておきましょう」



「そうか……」



短く呟いたヨハンは、俯きながら少し考える。



「俺の目的は変わらない。ドラゴンを倒すことだ」



「私も大体同じよ。あなたにはその手伝いをしてほしいの」



「お前もドラゴンを倒したいのか?」



「別にドラゴンじゃなくてもいいわ。でも試練の内容的にドラゴンの方が都合がいいの」



ゆっくりとヨハンに近付くカルミラは、手を差し伸べながら優しげに微笑んだ。



「来るの?来ないの?」



「…………いいだろう、俺もついて行く」



彼は差し出された手を無視して立ち上がると、王都の門へと歩みを進めていく。その後ろで、小さな吸血鬼は静かに笑った。


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