第2話
「おっっっそい」
僕と真壁さんは駅の改札前で待ち合わせをした。
「ごめん。大学で色々あって。流体力学のレポートの提出に―3時間もかかっちゃって…」
「そんなの―知らない」
そっぽを向かれてしまった。これも僕が全面的に悪い。待ち合わせに1時間も遅刻したのだから…。
「センセイは―今まで遅刻したことあります?」
「今日ほど酷いのは―はじめて」
そう言うと、彼女の顔から生気が失われて、空気が湿ってきた。
「センセイはわたしのこと…どうでもいいんだ…。それでわたしの成績はおじゃん、だよ…」
ぐうの音も出ない。試験前の教え子の大切な1時間を奪ってしまったことに―変わりはない
「…あっと…。…真壁さん?」
「なぁに…。
五十嵐は僕の名字だ。結構怒ってるな…。どうしよう…。
「えっと…なにか、奢るよ。お詫びに。それから―勉強もちゃんと教える」
「それだけ?」
「えっと…それだけ。いや―なんか今度、こう…いうこと聞いてあげるよ。」
「なんでも?」
「なん…。いや、常識の範囲内で…」
なんでも、と言ってしまうのは面倒が起る気がした。否、もう起ってるか…。
「まぁ…いいでしょう。まず、そこのスタバで奢って」
僕らは100メートルほど先のスタバに向かった。
彼女にキャラメルマキアートを奢ったため、お金に余裕がなくなってしまい―僕は仕方なくアメリカンコーヒーを注文した。
僕らはテーブル席に向かい合って座った。いつもは並んで座って勉強を教えているので―こういうならびは新鮮だった。
「そうだ―これ」
僕はスマートフォンを彼女の前に差し出した。そこには僕のラインのQRコードを表示させている。
「今日みたいなことがないように、一応ね」
彼女は少しにやついて、
「へッ…へ~…。…ありがとう…ございます…」
と言って、画面を読み取った。
「まぁ…。勉強が分からなくなったり、話聞いて欲しくなったりしたら―連絡して」
「センセイ…。じゃあ―毎日電話するね」
「それは―イヤかな…。第一、僕は電話よりも―メール派だよ。そっちの方が―便利だから。履歴とか残って」
「…メールなんて使いませんよ?いまどき」
「大学生は使うんだよ。大学の教授に連絡したり、課題を提出するのにね」
彼女は少し目を開いて
「そなんですか…。わたしも大学生になったら…そういうことするんですかね…」
「多分ね」
確率が高いだろうと思って―肯定した。
「私も早く大学生になりたいです…」
「早くなっちゃうのは、もったいないよ。高校生の方が―価値があるって」
高校生の方が楽しいとは―言わなかった。夢は壊さないであげたい。
「なぁに―それ?センセイは―高校生のほうが好きなの?」
僕は高校の方が楽しかった…と思う。
「好きっていうか…。うん。そうなんだと思う…。多分ね」
「ふ~ん。そうなんだ…」
彼女は小声で、しかし嬉しそうに、言った。
「あと、それから…」
「はい?」
「僕は―単純に電話が苦手だ」
「え~。なんでですか?」
「耳元で声がするのが苦手で…。イヤホンも苦手―いつもヘッドホン使ってるしね」
「そんなこと気にしたことな~い」
「気にしない人は―気にしないよね…」
すると、彼女は少し慌てて、取り繕ったように言った。
「あっ…ああ…。でも、でも…、わたしも…電話苦手かも…」
意地悪のつもりで聞く。
「本当は?」
「…たまに…友達と電話します…。というか…結構好きです」
「別に、嘘つかなくてもいいのに」
僕はコーヒーを飲んで続ける。
「そろそろ―勉強を始めようか。失った1時間を取り戻すつもりでね」
「え~…。忘れてたのに…。っていうか~、誰のせいですか?」
僕はぐうの音も出なかった。彼女は勉強をやりたくないのかと思ったけれど、ノートと教科書をテーブルの上に出したので―やる気はあるらしい。
「英語はそんなに得意じゃないんだけど…。これで定期試験の問題はどうにかなると思う」
理系の僕は、入試で英語の点数を数学と物理で補って合格点を取った。なので、英語はあまり得意ではない。けれど、
「センセイ―必要以上に謙遜するのは、イヤミですよ」
「いや…。そうじゃないんだけど…」
「ていうか…。なんでそんなに勉強できるんですか?」
この2時間程で、僕は現代文と、日本史と、英語を教えた。いや、現代文と日本史に関しては、覚えろとしか言っていないけれど。それ以外、僕が助力しようがないし。
「いや…。できるようになったが正解かもね」
「なんですかそれ?できるようになったって?」
「君の成績が向上したみたいに―僕もそれなりに色々あったんだよ…」
あまり言いたくないけれど。
「センセイ?そこまで言っておいて―しゃべらないはなしですよ」
「…あ~あ~…」
彼女はテーブルから少し乗り出して―上目づかいで聞いてきた。甘える猫のようにかわいらしい。
―敵わないなぁ。
「僕は―浪人してるからね。大学入試…」
浪人して、国公立の大学を目指したが、結局―私立の理系の大学に入った。なので、文系の勉強も少しはできる。そういう―事情があるのだ。
彼女は少し意地の悪い笑いを顔に浮かべて、椅子に座ってふんぞりかえった。
「…。ばかじゃないですか。ば~か。ば~か」
煽るように言った。
「それは言うなよぉ…。自覚してるんだから…」
「なんだか―はじめて勝った気分。はっは~。ホント。はじめて勝った気がしますね」
「別に―そこまで全部が、全部―真壁さんに自分が勝ってるとは思ってないよ。少なくとも高校のテスト勉強は―僕よりも頑張ってる」
「えっ…」
「偉いよ…。それは本当にそう思うよ…」
思い出したくもない浪人時代と、目の前の女子校生を褒めたい気持ちで―脳内はしっちゃかめっちゃかだ。
「そうだね…。うん…」
いつのまにか僕は下を向いた。なにか…、なにか、形のないものに追い詰められた―気分だ。
「センセイ」
僕は顔を上げた。
彼女は僕の両頬を―ベチッと音がするくらい叩いた。それなりに―痛かった。
「センセイ…。泣き言は聞きたくない」
「うん…そうだね…。…まぁ、でも―なるようになるよ。色々とね」
すると―彼女は少し怒ったように、そして、呆れように言った。
「なるようにならない―こともありますよ…」
こんな感じで―最初の課外授業を行う。
その後も、2回課外授業をした。
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