第2話『剣道少女に恋に落ちて』

 それから3年。僕は地元の私立中学である、天鷲館学園中等部に進学した。


 二度目の夏休みが過ぎた9月の始め。


 初めて竹刀を握ってから1年半。最近ではそこそこ様になってきたと思う。

 その日の武道の授業の練習試合で、僕、水宮彩乃介は十名河小春と相対していた。


 三人の審判は剣道部に所属する生徒が努め、他に30人ほどの生徒と、妙齢の女教師、榊原先生が見守る中、僕は小春と竹刀を交える。


 白い道着に白い袴、面の後ろから栗色の長い髪を馬のしっぽのように垂らしている。面ごしに見える視線の高さは僕と同じくらい。小春が特別背が高いわけではない。僕の背丈が男子の平均より低いのだ。


 姿勢よく中段に構えて、竹刀の切っ先を喉元に向けてくる構えた姿は堂に入っているが、僕も小春も剣道部に所属している訳ではない。

 この学園では体育とは別に武道の授業が存在する。中等部では剣道、柔道、弓道の3種目の中から1年毎に選択することになる。


 天鷲館学園の生徒が中等部を終える頃には、その半数が何かしら武道の有段者であるとか、部活無所属の生徒であっても、県大会で上位を狙えるだけの力を持っているとか、そういった噂が他校の間ではまことしやかに囁かれていたりする。で、それは間違っていない。


 通称、脳筋学園。


 小春とは入学した頃からのクラスメイトで、武道の授業では同じ剣道を選択しているという以外、特に接点があるわけではない。


 お互い帰宅部でまた2年続けて剣道の授業を選択していたことから、腕前も同くらいのレベルだったということもあり、自然と彼女と練習や試合をすることが多くなった。

 2年生に上がった最初の頃は、女子に負けたくないとライバルとして意識していただけだった。


 でも男勝りでさっぱりとした性格の彼女と、休憩中や練習後に話をするのが楽しくなるまでそう時間はかからなかった。

 小春は年の割にスタイルも良く、顔も可愛いものだからクラスでも人気がある。そんなんで他の男子達からやっかまれたりして、それが楽しかったり、嬉しかったりと肯定的に感じていることを自覚したとき、僕は小春に恋していることに気がついた。


 剣道をしているときでも、しばらくは好きな子とこうして対峙することで、ひどく緊張してしまったりもしたが、最近では面をつけている時には、甘酸っぱい恋心も割り切ることができるようになってきた。


「やあっ!」

「せあっ!」


 鋭く響く気のこもった声を上げてお互いに牽制。張り詰めた空気の中で、場に飲まれないためにもそれは有効だ。

 そして僕は剣先を小さく振りながら、少しずつ剣線を下げていく。

 小春の視線が、僕の眉間に向けらているのを感じて僕は小春が面を打ってくると確信する。


 得意の刺し面をまっすぐに……!!


 運動神経の良い小春は僕よりも遠い間合いから面を狙うことができるが、彼女の馬鹿がつくほどまっすぐな性格は誘いにのせやすい。だけど今の僕の腕前では来ると分かっていたとしても、応じ技を確実に決めることもまた難しい。


 1本目は出鼻を狙って篭手を狙ったが、有効打とならず面を決められてしまった。

 2本目は際どかったが、なんとか篭手を決めることができた。

 そして3本目。

 ここで1本を取ったほうが勝ちとなる。


 ……今っ!!


「面っ!!」

「どぁうっ!!」


 小春が僅かに動いた瞬間、反射的に僕も動く。

 面を狙ってくると確信していた僕の竹刀がイメージどうり迷うことなく弧を描き、小春の胴を捉えた。

 バシッと、こ気味のいい音が道場に響き、3人審判が一斉に赤色の旗を上げる。


 よしっ!


 その喜びを体で表現したいところだが、武道の世界ではそれをやったら怒られる。

 思った通りに技が決まったときの心地よさ、勝利の満足感を心の内に秘めながら、礼をして退場すると、小春と一緒に榊原先生の前まで行って正座する。


 練習試合の後はこうして指導を乞うのが決まりになっているのだ。


 道場では他の生徒の試合が始まっているが、先生はそれを見ながら、僕たちへの指導を行う。

 榊原先生はまず小春に対して口を開いた。


「小春!あんな見え見えの誘いに乗ってるんじゃないよ! 可愛い顔してまったくあんたは、直進ましっぐらのイノシシ武者かい!? この町の生徒に脳筋が多いのは地域柄ってやつなのかね?」


 榊原先生の叱責が飛び、小春が小さく肩をすくめる。

 そして次に僕を見る。


「それからあんたは頭でごちゃごちゃ考えすぎ! 駆け引きとかまだ10年早い! 今はそんなんに頼らず基本をもっとしっかり磨きな! まだ右手に力入りすぎてるから1本目の篭手が決まらなかったんだ」


 あんたら2人は足して2で割ったくらいでちょうどいい。榊原先生は僕と小春をみてよくそう言う。

 榊原先生は厳しいが、生徒のことをしっかり見ていて、とても面倒見のいい先生だ。

 競技者としても全国でも名が知られていて、全国から立場ある人たちが頭を下げて、わざわざ教えを請いに来る。

 本当は僕たちのような初心者には勿体無いくらいの指導者なのだが、そんな先生の指導を受けられるのも武道の名門校として知られる、天鷲館学園ならではと言えるだろう。


  榊原先生に礼を言ってその場を離れ、静かに道場の隅に座って篭手と面を外す。やや長めの僕の髪は、手ぬぐいを取るといつもぐしゃぐしゃになっている。

 女子のショートカットに近いその髪を、男っぽく刈り上げようかと考えているが、昔から慣れ親しんだ髪型だし、周囲からやたら好評なので未だに決心がつかずにいるところだ。

  隣をみると、小春が同じように栗色の前髪を直していた。


「なによ?」


 春が睨んでくる。


「いや、別に」


 女の子が面を取る仕草っていいな、とか思っていてもここで口に出したりはしない。

 体は礼節を守っていても、ニヤケ顔までは隠せていなかった僕の腹を小春が手の甲で殴ってきた。

 胴をつけているため痛かったのは小春の方だろうから、その理不尽な暴力は目を瞑ってやるとする。


「うぅ~。今日は負けかぁ」


 どことなく涙声なのは、胴を殴って痛かったからだろう。しかしそれは自業自得だ。


「フハハーン。これで僕の勝ち越しだな」

「でも取った本数はまだわたしのほうがまだ3本多いんだからね!」

「1本勝ちでも勝ちは勝ちさ」


 彼女とはこれまで21戦して9勝8敗3引き分け。とった本数は僕が13本で彼女が16本。

 メモしている訳ではないが、お互いしっかり覚えている。

 1本勝ちが多い僕に対して、小春はしっかり2本狙ってくるから、取った本数が多い小春より、勝ち数で僕が上回る形になっているわけだ。


「そこの2人! 無駄口を叩き合うならもう1戦やってみな!」


 不意に道場に榊原先生の叱責が響いた。

 どうやら僕と小春に向けられるているようだ。周囲の視線が集まる中慌てて面を付ける。


 小春との試合は僕にとって願ってもないことだ。小春もそう思ってくれているだろうか?


「1本目、始め!」

「やあっ!」


 主審の声を合図に小春が声をあげる。

 さっきの借りを返そうと気合が入っているようだ。


 でも、こういうときほど行動が読みやすいんだ。小春は……


 来る、来る、来る……今っ!


 小春の腕が動いた瞬間に篭手を打つ。

 切っ先に手応え、ほぼ同時に前頭部に鋭い衝撃を受ける、

 主審と副審一人の旗が上がり、やや遅れてもう一人の旗が上がる。


「1本、篭手あり」


 主審が告げる。

 しっかり狙いを定めて打ち込んだわけではない。慣れた小春相手だったから取れた1本だろう。他の生徒だったら決まったとは思わない。


「2本目!」


 主審の合図があるや、即効で小春が動いた。


「めぇぇぇん!」


 まあ、そう来るだろうとは思っていたから、僕は打ち込まれる竹刀をいなすとそれを避けた。

 続けて篭手、面と続けて来る連続技もいなし、躱し、距離を取って回避。

 1本目を先取されて、小春はむきになっているようだ。だから僕はこちらから前には出ずに小春の打ち込みを躱すことに専念する。

 小春には悪いが、無駄に勝負せずここは逃げ切らせてもらおう。このまま試合時間が過ぎるまで逃げ続ければ僕の1本勝ちだ。

 これは、小春相手にはよくあるパターンで、僕に1本勝ちが多い理由である。しかし、今回の小春は一味違った。


「やぁっ!」


 打ち込んできた小春は、鍔迫り合いに持ち込むではなく、勢いよく竹刀を握ったままの両手で僕を思い切り突き飛ばしてきたのだ。

 元から逃げ腰だった僕は、それを受け止める事ができずバランスを崩して倒れた。

 小春の剣が多少強引なのはいつものことだが、今日は凶暴性が3割くらい増してる気がする。

 しかし、主審が僕に場外反則を告げられて、僕は小春の狙いに気づく。

 剣道では2回場外に出すことができれば、それで1本になる。榊原先生も認めるイノシシ武者の小春がそれを狙ってきたとしてもおかしくはない。

 ……逃げ回る僕に腹を立てただけかもしれないが。


「いいぞ小春ーーっ!! 逃げ回るようなやつはぶっ飛ばせーーっ!!」


 小春を煽る榊原先生。

 それに続き、周囲の生徒からも同調するような声が聞こえてくる。

 単純な力比べでたぶん負けはしないと思うが、今のようにいい加減に打ち込みをかわそうとすれば、小春はまたぶっ飛ばしにくるだろう。

 小春の突進力に関しては榊原先生すら認めるところで、下手に受けられないのは今ので証明済みだ。


 榊原先生の後押しがあろうと無かろうと、こいつは絶対やる。

 ならば、僕も覚悟を決めなければならない。


「始め!」


 再び構え直し、主審が試合再開を告げる。


「面っ!!」


 とか言いながら、全力で小春が突っ込んでくる。


 おいおい。猪突猛進にも程があるだろう?


 僕はそれを横っ飛びに躱すと、小春は勢い余って足をもつれさせ、派手な音を立ててすっ転んだ。

 剣道では、転んだ相手にでも1打だけなら許されるのだが、小春があまりに綺麗に前のめりに倒れたため、こちらも手を出すことができなかった。


「止めっ!」


 主審が止めに入り、それから小春が起き上がる。なんとなくその姿が、墓場から蘇るゾンビのように見えた。


 今は試合中だ。相手に手を貸すことも、声をかけることもできない。もちろん土下座して謝ることなどもってのほかだ。


 改めて中央で構え直し、試合が続行される事になる。


 ガルルルル……!!


 唸り声が幻聴として聞こえてくる程の殺気を放ち、構える小春。


「始めっ!」

「轟っ!」


 主審の声を合図に、人の声とは思えない裂帛が轟いた。獲物に襲いかかるかのように小春が飛びかかってきて、それから時間内僕は暴れる小春から全力で逃げ回る。


 試合は、結局僕の1本勝ちだった。


「ぶぁっかもーーーーーーん!!!!! あんたらはさっきの話、何を聞いとったんじゃあーーーーーっ!!!!!」


 試合を終えて、いつものように眼前に正座した僕と小春に榊原先生は等しくげんこつを落とす。面をつけていても、ずしりと響く一撃だ。


 試合中は熱くなっていた小春も、さすがに今はしゅんとしている。


「まず水宮! いつも言ってるだろう?きっちり2本狙っていけ2本! 最初の篭手は良かったよ。どんどん狙っていきな。それが出来るようになるための練習試合なんだ! あんなセコイ手使ってるんじゃないよ!」

「……はい」


 おとなしく頭を下げる。

 そして次に小春の方を向くと、榊原先生は再びは雷を落とした。


「小春、あんたはここに剣道しに来ているんだろう? 竹刀を使え竹刀を! 相撲がしたいなら外でおもいっきりやってこい!」


 さっき煽りまくっていたのは榊原先生ではありませんでしたか?

 もちろんそんなこと思っても口には出さないが、小春が途中から剣道していることを忘れていたのは間違いないと思う。


「水宮も正面からがっちり受けて見せろ! 男だろ? ぶち当たってくことを怖がるな! 相手をぶっ飛ばしてでも勝ちに行くって気概があった方がいいとあたしは思うね」


 そこで榊原先生は少し語気を弱める。


「男子として体格に恵まれなかったあんたが、自分なりの剣道を見つけるのは悪くない。逃げも戦術さ。もし剣道部に入って公式大会に出るなら、是が非でも勝ちに行かなきゃならんときもある。けどこの授業の練習試合での勝利に、あんたの剣がヘタレだ、腰抜けだと蔑まれる程の価値があったのかい?」

「……いいえ」


 先生の言う通りだ。勝ちはしたけど、胸を張って勝ったと言えずすっきりしない。最初に取った1本が泣いている。


 先生は頷くと、小春を見た。


「よし! 小春、また今度こいつが逃げ回ったりしたら、容赦なくぶっ飛ばせ。でももう少し体裁は考えな。普通なら失格になるからね」


 ……本当に良い先生である。


「「ありがとうございました!」」


 小春と声を揃えて深々と頭を下げる。そして立ち上がってその場を去ろうとした僕たちを、思い出したように榊原先生が呼び止めた。


「ああ、そうだ。二人とも今日の昼は何食べた?」

「クロワッサンロールとカフェオレです」

「乙女かお前は! 米食え! 3杯はおかわりしろ」


 そんなこと言われても入らん物は入りません。


「小春は?」

「クロワッサンロールとカフェオレです」


 嘘だ。小春がそれで足りるわけないだろう? だがそんなこと榊原先生はお見通しだ。


「嘘つけ! 食堂でスタミナ定食大盛で食ってたろ! ニンニクの臭いを気にするなら今度から授業の前のメニューは考えるんだね!」


 学園の食堂は中高の隔たりなく開かれていて、教職員も利用している。さすが脳筋学園と陰口叩かれるだけあって、とにかくボリュームがあるのが特長だ。


 なるほど。小春が今日鍔迫り合いをしたがらなかったのはそのせいか。


「匂い気にするなんて、小春も乙女っぽいじゃん」


 そう言ったとたんに小春のタックルをくらって吹っ飛ぶ僕。

 目を白黒させている僕の耳に、榊原先生の大笑いが聞こえてきた。


「こら小春。ぶっ飛ばすのはまた今度だっていっただろう?」


 こんな感じで僕の学園生活は結構充実している。


 ……痛かったけど。

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