第3話『巫女服少女に思いを寄せて』

 夕方。僕は食材の詰まったエコバックを片手に家路へと歩いていた。

 僕のすぐ前を2人の女の子が楽しそうにおしゃべりをしながら歩いている。


「瑠環ちゃんち今日カレーか、いいなー。食べに行っちゃおうかなー」

「うん。食べに来てよ。お兄ちゃんも来るし、カレーもご飯も一度にたくさん作ったほうが美味しくなるの」

「なんだあやすけも来るのか」

「悪かったな」


 ひょこひょことポニーテールを揺らし、人のことを“あやすけ”などと勝手につけた略称で呼ぶ失礼なのが月ヶ瀬水響つきがせみゅら。学園の後輩で天鷲館学園中等部の1年生だ。

 もう片方。もっさりした髪をおさげにして歩いているのは蛙塚瑠環かえづかるわ。父親友人の娘さんで小学生6年生。

 うちと瑠環の家とは昔から家族ぐるみで仲が良く、瑠環とは兄妹のように育った。


 3年前、僕がこの識采しきさい町に引っ越してきたのも、仕事で海外にいる両親に代わって保護者になってくれる瑠環の家族がいたからで、主に食事面で僕は蛙塚家に大変お世話になっている。


 蛙塚家は喫茶店をやっていて、両親共に料理上手だ。小さいころから手伝いをしていた瑠環も中々のもので、蛙塚家の料理はお金を払ってでも食べる価値があるほど美味い。

 そこでせめて何か手伝いにと瑠環のお使いのお供をするのが習慣になっていた。


 水響みゅらに会ったのはスーパーからの帰り道。僕と瑠環が仲睦まじく歩いている間に割り込むように強襲をかけてきた。


 カレーの匂いに魅かれてきたのだろうか?

 

 瑠環と水響みゅらは昔から仲が良くて、引っ越してきて間もない頃は3人でよく遊んだものだ。今でもたまに遊んでいるのを見かけるし、夕飯を食べに来たりする。


 だが水響みゅらは残念そうな顔をする。


「うーん、でも明日が本番だから遅くなるだろうし、うちの方も忙しいから今日は無理かな」

「そっか。でもしょうがないね」


 十名界神社大祭。そう書かれたのぼりが歩道脇に幾重にもはためいている。このあたりを守護する土地神を祀った神社の祭りが明日から始まるのだ。


 明日の今頃にはこのあたりは夜店が立ち並び、大勢の人で賑わっていることだろう。


 水響みゅらは祭りで伝統的に行われている神楽の舞手に選ばれたとのことで、この2ヶ月の間、練習のために神社に通っているのだそうだ。


 また、水響の家は老舗の和菓子屋で、出店やら奉納する菓子の準備やらで毎年この時期は猫の手も借りたいほど忙しいらしい。


 水響も神楽が終われば、今度は家業の手伝いに追われるのだろう。


 丁度通りかかった神社の石垣の向こうに、雨よけの天幕を張った櫓が見える。明日から行われる奉納相撲大会の会場だ。


 ふたりの会話も相撲大会へと移る。

 小学生の部には水響も瑠環も毎年参加していたが、中学生になった水響は去年で卒業。瑠環も今年が最後になる。


「みゅらちゃんとお相撲の稽古したかったの……」

「ごめんね。今年は舞の練習で忙しかったんだ」


 この町の子供は割とみんなガチで優勝を狙っている。瑠環も例外ではなく地域で開催されている練習会にも毎回参加している。

 だが水響みゅらとの練習は瑠環にとって特別らしい。それは水響みゅらがめっぽう相撲が強いからだ。水響は身体は小さいがで大きな相手をぽいぽい投げる。


 ちなみに運動神経抜群の水響は、入学した頃どこの運動部からも引っ張りだこだった。しかし水響は相撲部どころかどこの部活にも入っていない。なんでも部活にはいると夕方4時から始まる相撲中継が見れないからだそうで、誘いに来た各部の主将を唖然とさせていた。特に相撲部には、大相撲見ないなんてわけわからんとか言って喧嘩を売った。


「いいなー、わたしもまた出たいなー。どうして女子は小学生までなんだろう」

「水響なら小学生に混ざっててもわからないんじゃないか?」

「なんか言ったかあやすけ!」


 僕の言葉に水響が目を釣り上げる。


 水響の背丈は瑠環と似たようなものだし、身体付きなど少し細いくらいだ。小学生の中にいても違和感を持たれることはないだろう。


「みゅらちゃんはこのあたりでは有名人だから絶対バレると思うの」


 悪ガキとしてな。僕は心の中でそう付け加える。

 今でこそ小動物系の美少女な顔をしているが、わんぱくキング水響の武勇伝は数知れない。


「そだよ! これでも毎年優勝候補だったんだからね! 女子の部に混じってても気がつかれなかった誰かさんとは違うんですよーだ」

「それお前が原因だろーがっ!」


 昔、僕に相撲の楽しさを教えてくれたのは水響みゅらだ。


 だが相撲が嫌いになる原因を作ったのも水響だった。


 それは彼女が悪戯で僕を女子の部にエントリーさせた3年前のあの事件。あの犯人がこいつである。


 瑠環を除けばこの街でできた最初の友達で、あの頃僕は水響みゅらの強さに惹かれていたというのに……


「まったく、あのときは恥ずかしくって、死にたくなったんだぞ?」


 僕はあの後1週間家に引きこもった。


 久々に登校したとき、クラスの皆が僕を心配していた様子に裏がないと感じた僕は、何故、女子の部にいることを教えてくれなかったのかと聞いた。そしたら“お前が裸になるのはヤバイと思った”と言われて、訳が分からず瑠環にも聞いてみたが、“お兄ちゃんはもっとよく鏡を見てみるといいと思うの”と、ますます訳のわからんことを言われる始末。


 あと、その場にいた地域の大人達も、誰ひとり僕が女子であると疑わなかったらしい。


 僕は昔からよく“おとこのこっぽい”って言われてるんだけど? 何故だろう?


 釈然とはしなかったが、悪意があったわけではないと分かり、クラスメイトとは和解したが、以後、僕は祭りはおろか、地域の行事にもほとんど顔をだしていない。


 あと、水響とはそれがあってしばらく疎遠が続いた。


 再会したのは今年4月に天鷲館学園に新入生として僕の前に現われたときだ。


 その時の彼女は、かつて男子と見間違えるような風貌は一転。髪も伸びてすっかり女の子らしくなっていて、会ってすぐは気付かなかったくらいだ。


 反省したのかと思いきや、性格の方は相変わらずのようで、しれっといつのまにか友達ポジションに戻っている。


 さて、僕にとっては散々な思い出である相撲大会も、この近所で生まれ育った子供達にとって、大会への出場は毎年恒例の行事で力の見せ所である。


 瑠環は同年代の中でも身体が小さい方だし、マイペースで内向的な性格だから格闘技に向いてるようには見えない。けど意外と運動神経はいいし、体力もあるから結構強い。町の力自慢が集うこの大会でも、これまで結構いい成績を残していると聞いたことがある。


「うん。がんばって勝てたら神様はお願い聞いてくれるかな?」


 この相撲大会で頑張った子供には神様がご褒美として願いを聞いてくれるという言い伝えがあるそうだ。

 本当に脳筋に優しい町である。


「瑠環ちゃんなら大丈夫だよ。大事なのは勝ち負けじゃなくて、どんな勝負にも本気で立ち向かった心に神様は答えてくれるんだって、みんな言ってるよ。……わたしもそう思う」


 ……本気で立ち向かう心。この町の子達が持っているもの、僕が持っていないもの。その言葉がその言葉が僕の心を少しばかり騒めかせた。


 だから、僕はかつての師匠に聞いてみる。


「水響は、願いが叶ったことがあるの?」

「うん。叶ったよ!」


 臆面もなくそう言ってのけた水響の顔が、ちょっとだけ眩しく見えた。


「あ、せんぱーーい!!」


 神社の前までに来たところで水響が元気よく駆け出していく。


 彼女の向かう先、鳥居の下で箒を手に、白と緋色の巫女服姿で掃除に勤しむ少女の姿を目にして、僕も心臓が高鳴った。そこには学園で人のことをぶっ飛ばしてくれたクラスメイト、小春の姿があったからだ。


 神様、ありがとうございます! 思わず八百万の神々に感謝してしまったが、そうでもしなければ罰が当たるというものだろう。


 好きになった女の子が巫女服着て竹箒で掃除してる姿が見れるとか奇跡でしかない。


「せんぱい! お疲れ様です」

「あっ、水響ちゃんいらっしゃい」


 水響にこやかに挨拶をすると、小春は水響にやや遅れて着いた僕を見て、何故か少し驚いたような顔をしていたが、すぐに微笑みを返してくれた。


 今の小春は、どうやら相当機嫌がいいらしい。


「あら? こんにちは」

「あ、ああ。帰ってからも掃除なんて大変だね」


 こんにちは? 小春が僕に、巫女服姿で“こんにちは”だと? 巫女服着ると性格まで清楚になるのだろうか?


 ……素晴らしい。巫女服って最高だ。


「あたし先に帰る!」


 僕は感動でしばらく放心していたらしい。不機嫌そうな瑠環の声にはっと我に返る。

 瑠環はそんな僕の手からエコバックをひったくると、おさげを振り乱しながら走って行ってしまった。


「どうしたんだ瑠環のやつ?」

「あーあ、あやすけわかってないなー」


 水響は訳知り顔でニヤニヤしているが、聞かなかったことにする。


「やきもち焼いちゃったのかな、ほっぺたがこんなになってたよ」


 小春が自分の頬を膨らませてみせる。可愛いい……


「瑠環はもともとそんな顔だぞ」

「あー、ひどいなー。そんなことないよ」

「そうか?最近太ってきたような気がするんだけど?」


 最近、瑠環の身体つきがふっくらと丸みを帯びて来ていたと思っていたから、僕はついそう口走っていた。


「あ、ひどい事言うなー」

「あやすけ最低」


 案の定女子2人から抗議の声が上がる。


 もちろん。僕だってそれが正常な成長によるものだってわかってはいたのだが……


 しかたなく、瑠環の件から話を逸らそうと、この神社について話をふることにした。


「そういえば、ここの神社ってこの土地の神様を祀ってるって聞いたけど、どんな神様なの?」


 土地神の社と聞くと、すっかり寂れて参拝者も誰もいないというイメージだが、この神社は結構立派だし、明日から始まる3日間の祭りにも、毎年近隣から大勢人が集まる。


「あやすけ逃げた!」

「やかましい」


 水響はともかく、小春の方は話に乗ってくれたようだ。


「ここの神様は元々は狐の妖怪だったって言われているの。でも昔、この土地を救ってくれたとか

で、今では土地の守り神として、こうしてお祀りしているんだよ」


「そっれてお稲荷様とかじゃないの?」

「うん。違うんだよ。図書館に行けばそのあたりの伝承の本とかあるから読んでみるといいよ。絵本にもなってるしね」

「そういえば小学校の図書室においてあったな」


 その絵本なら、珍しかったから読んだ覚えがある。確か昔この土地を戦から救った狐の話だ。


 昔、このあたりは小さな村があるだけの荒れた土地だったそうだ。そこでは村人と一緒にとても賢い狐が住んでいた。

 あるとき2つの国がこの土地をめぐって戦を起こそうとしたしたとき、狐は僧侶に化けてそれぞれの殿様のところに行ってこう言ったそうだ。


「ここの土地の村は貧しく、取れる作物も僅かなもの。戦をすればますます土地は荒れ人が死にます。そこで間もなく村では収穫を感謝する祭りが行われます。その祭りの場で両家の代表が相撲をとり、村はその年勝った方の国に年貢を収めるというのはどうでしょう?」


 戦を始めようとしていた2人の殿様は僧侶の言葉は受け入れた。

 その後、この話は近隣でも話題となり、祭りの日には多くの人が集まるようになった。街道も整備され 村は次第に豊かになっていった。土地を取り合っていた2つの国の仲も良くなり、やがて1つの国になったという。

 人々は戦を止めた狐を土地の守り神として崇めるようになり、それから300年余りの時がたったが、この地に根付いた『諍いは相撲で決めろ』という風習はしっかり現代まで続いている。

 つまり、この町の人間が脳筋になったのはその狐のせいというわけだ。


「うん。山の方に長い階段があって、その上に小さなお社があるの知ってる? 実はね、そこがここの神様をお祀りしている、本当のお社なんだ。でも場所が場所だけに、参拝者もなかなか来ないものだから、100年くらい前にここに新しくお社を作ったの。だから、山の上のお社もうちが大事に管理してるんだけど、それを近所の悪ガキが遊び場にしてね」


 小春がその近所の悪ガキ代表、水響みゅらの頭をぐりぐりと頭を撫で回す。

 割と力が込められているように見えるにもかかわらず、水響は撫でられて喜ぶ猫のように嬉しそうに目を細めていた。


「それでも神様だって人が来ないの寂しいだろうし、きっと子どもが遊ぶのは許してくれるからって大目に見ていたの。それで年も近いし、お目付役も兼ねてたまに一緒に遊んでたんだよ。まったく、目を離すと何をするかわからないんだもの。何度一緒に怒られたことか」

「……それは大変だったな」


 僕も覚えがあるからよくわかる。僕もこいつにはさんざん振り回されたからだ。


 社まで続く長い階段を競争して駆け上がったり、相撲、チャンバラ、木登りとか普通の遊びをしているうちはまだ良いが、洒落にならない遊びを初めて、周囲に迷惑をかけまくった事例は、付き合いが短い僕でも事欠かない。


 野生のウサギやリス、タヌキを捕まえて遊んだ日には、全員病院に連れて行かれてめちゃくちゃ怒られた。野生動物にはどんな雑菌が付いてるかわからないらしい。


 猪が出て畑が荒らされたと聞けば討伐隊を組織して山へ繰り出し、警察が出動する騒ぎになって、まためちゃくちゃ怒られた。


 また、水響は名前に水が入ってるくせに泳げない。


 その理由が、昔カッパに襲われたからだとかで、それ以来、水が怖くなって泳げなくなったと言い張っている。


 そのリベンジのためカッパを探すとか言い出して、誘き出すためにカッパの真似をして川で遊んでいたら、自分たちがカッパと間違えられてしまい町中が大騒ぎになって、またまためちゃくちゃ怒られた。


 そうやって怒られてばかりしているくせに、水響は町の大人達からは案外気に入られているようだ。最近は実家の和菓子屋の手伝いなんかもよくやっていて、近所のお年寄りや奥様方から可愛がられているらしい。


 昔からよく言われているあれだろう。馬鹿な子ほど可愛って。きっとそれだ。


 でも、水響が小春と以前から親しかったのは初耳だった。


 僕が水響と遊んでいたのは、僕がこの街に引っ越してきてしばらくの間だけだ。その間に僕が小春と会うことはなかったけれど、もしかしたら中学に入る前から小春と親しくなれたかもしれない。


 小春のことは小学校の頃からたまに見かけることはあったけど、その頃はクラスも違ったし、たまに見かける可愛い子、という認識でしかなかったからだ。


 もっと早くに出会っていれば、もっと色んな思い出が作れただろうか? 今それをとても惜しく感じる。


「えへへ。先輩には昔からお世話になってます」

「先輩なんてなんか寂しいな。この前まではちゃん付けで呼んでくれてたのに……」

「中学生になったら先輩のことは先輩って呼ばなきゃダメなんです。でないと怖い先輩に目をつけられちゃうんですよ?」


 いや、お前運動部片っ端から敵に回してめっちゃ目をつけられているからな? 


 あと僕も一応上級生。彼女の先輩である。


「……なんで僕のことは“あやすけ”なんだよ」

「えー、あやすけはあやすけだよ。あやすけのくせにー」


 こいつ頭カチ割ったろか!?

 しかし残念ながら僕が振り下ろした空手チョップはあっさりかわされて空を切ることになる。


「べーっだ!」


 水響みゅらは舌を出すと、ポニーテールをなびかせて境内へと駆けていく。


「まったく、しょうがないやつだなー」


 腹は立つが小春の前だし大人気なくムキになるのも格好悪い。ここは年長者の余裕というのを見せるべきだろうと、平静を装って黙って見送ることにした。


 生意気な下級生などいなくなって清々するというものだ。ここはお邪魔虫がいなくなることを歓迎するとしよう。


「お姉ちゃんなら社務所にいるよー!」


 小さくなっていくその背中に呼びかける小春に、水響はくるりと向きを変える。


「はーい! またねー、せんぱーい! あやすけー!」


 そして大きく手を振って走っていった。


「前は男の子みたいだったのに、水響ちゃん、可愛くなったよね」

「そうかな?」

「そうだよ」


 確かに今年4月、中等部の制服に身を包んで久々に僕の前に現れた水響は、最初気がつかなかったくらい可愛らしい女の子になっていて驚いたのは確かだ。


 それは外見だけだとすぐに気づかされたのだが……


 とはいえ、今の僕には水響のことなどまるで目に入っていなかった。


 頭の中は、すぐ傍にいる小春のことでいっぱいだったからだ。


 小春に妹がいるとは知っていた。中等部の1年生で、小春によく似た元気な子だ。でも姉がいるとは初耳だった。


 小春のことを1つ知ることができて嬉しかった。


 近くの大樹からツクツクホウシの声が聞こえてきて、秋の風が小春の長い栗色の髪を揺らし、小春はその細い指で長い髪をかき撫でる。


 やわらかい西日に照らされた横顔に釘付けになった。町の喧騒も聞こえなくなるくらい、目の前の少女に夢中だった。


 好きだと言いたい、この子に誰よりも早く、誰にも渡さないために、僕は焦る気持ちに背中を押されるように、その日人生で初めて告白をした。


 ──好きです。付き合ってください。

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