負けて覚える想いの伝え方

ぽにみゅら

第1話『初土俵。闇に落ちて』

 はっけよい!


 思い切りぶつかれ! あの子に言われた通り僕は無心で相手の胸に飛び込んだ。


 のこった! のこった!


 互いに右の上手で相手のまわしを掴み、上半身をぴったり合わせての力比べ。相手は顔も名前も知らない女の子。僕より少し背が高くて力も強い。


 立ち合いで怖気づいていたら、たぶん一瞬で負けていたと思う。


 のこった! のこった!


 全力で押す。でも、地力の差はいかんともしがたかった。少しずつ押されていって、やがて足に俵がかかる。


 悔しい……もっと、もっと力があれば。もっと、もっと早くあの子と出会っていれば、きっともっといい勝負ができたに違いない。


 のこった! のこった!


 まわしを引きつけられてぎゅっと身体が密着する。重なる胸と胸。頬と頬。


 僅かに膨らんだ柔らかな感触。乱れた髪が鼻先をくすぐる。


 相手の女の子を全身で受け止めて僕は悟った。負けると……


 のこった! のこった!


 つま先立ちで必死に粘る。どう見てももう僕に勝ち目はない。


 女の子に負ける僕を皆はどう見るだろう。


 恥ずかしい。


 辛い。逃げたい。早くこの視線の中から逃げ出したい……


 そんな思いが頭をよぎる。折れかけた心を支えるのは、今もどこかで見ているはずのあの子の顔だ。


 あの子がいたから僕は今土俵の上に立っている。


 どんなに相手が強くても思い切りぶつかれ! 最後の瞬間まで全力で足掻き続けろ! それが出来ないやつは一番かっこ悪いんだ!


 そう教えてくれたあの子がいたから僕はまだ耐えている。


 土俵際、ざらついた俵を踏む感触を足の裏に感じてから何秒耐えただろう?


 のこった! のこった!


 相手の力についに屈して後ろに身体が傾く。背中から落ちる恐怖。でも諦めたくない!


 勇気が恐怖にが勝り、僕は最後まで抗い続ける。だけど流れを変えるには力が及ばない。僕たちはそのまま重なり合うように倒れた。


 勝負あった!


「だいじょうぶ?」


 上になった女の子の声に小さく頷く。悔しくて、涙が出そうだった。

 

 改めて間近で見た相手の子はとても可愛い子だった。どこにあんな力があったのかわからない程すらっとした体躯。艶やかな髪は陽の光を受けて天使の輪を作り出している。負けたことは悔しい。悔しいけれど、この子になら悪くない。そう思えるくらいに……


 差し伸べられた手を握って立ち上がる。


 僕は半泣き状態でお礼も言えなかった。


 次の試合頑張ってね。僕は心の中で彼女に声援を送って土俵を去ろうとする。だけど行司さんに呼び止められた。


 軍配は僕の方に上がっていたのは……僕?


 どうして? 勝ったのは彼女じゃないの?


 きょとんとする僕に行司さんが教えてくれた。後の最後に、相手の子の足が先に出ていたのだと。


「だいじょうぶ? よかった」


 そう僕に声をかけたときには、自分の敗北が分かっていたのだろう。礼儀正しく一礼して下がっていく女の子の背中を僕は不思議な気持ちで、呆然と見送っていた。


 決まり手は“勇み足”。たぶんあの子は倒れる勢いを抑えようとして足を出してしまったのだろう。それは僕の身を案じての事。でも勝負の世界では通じない。彼女は最後の最後で自分の甘さに負けたのだ。


 浮かれる気分にはなれなかった。けれど、それは間違いなく勝ち星だった。最後の最後まで勝負を諦めなかった。ただそれだけが与えてくれた勝ち星だった。


 勝ち名乗りを受けて、土俵を下りた僕を一緒に参加していたクラスメイト達が歓声と拍手が迎えてくれた。そのとき僕は土俵から降りてようやく笑った。


 この町に引っ越してから二ヵ月になる。転校した先のクラスメイトはいい連中ばかりだが、今この瞬間に僕は本当の意味で彼らの輪に入れた気がした。それが嬉しかった。


 体操服の上からまわし姿の女子に肩や背中を叩かれ、まわし一丁の男子達のハイタッチに答える。今回僕はまわしの下に体操服を着させてもらったが、来年は彼らと同じく裸にまわしで出場しよう。そう決意する。 


 そうだ。あの子はどこだろう? この町に来て最初にできた友達で、女の子だけど男の子のような見た目と性格のわんぱくキング。


 僕はその女の子の誘いで今日この大会に参加した。


 学年はひとつ下だけど、すごく強くて、相撲の経験の無かった僕に稽古をつけてくれた師匠でもある。今日も選手登録からまわしの付け方まで、初出場で勝手のわからない僕の面倒をいろいろ見てくれた。


 この勝利は全部あの子のおかげだ。だからお礼を言いたくて僕は会場を見回した。


 たしか、先に行われた中学年の部の決勝で負けて悔しがっていたから会場のどこか隅っこで拗ねているのかもしれない。


 そのとき、ふと係りの人がトーナメント表にある僕の名前の上の線を赤線で上書きしているのが見えた。なんだかそれが嬉しくて眺めていて、僕はそれに気がついた。


 ……気がついてしまったのだ。


 『高学年女子の部』


 僕の名前、水宮彩乃介ではなく、一文字抜けて、水宮彩乃になっていた。


 水宮彩乃……? ……女子?


 さっきまで一緒に喜んでくれていた学校のクラスメイト達。みんなは知っていたはずだ。


 僕の名前も、男だってことも、ちゃんと知ってたはず。


 それに周りの大人の人も何も言わなかったのはなぜ?


 どうして? どうしてこんなことに?


 あの子は何故こんなことを?


 嬉しい気持ちも全てが吹っ飛んでいた。何も信じられなくなって、意識が真っ暗などこかに落ちていくかのようだった。

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