星朧
あたしが谷
星祈には母親がいなかった。いつからいないのかは知らない。参観日には必ず父親が来ていたし、家に遊びに行ったときも靴は二人分しかなかった。特に生活に不自由している様子はなかったけれど、家の中はどことなく冷たかったように感じた。気のせいかもしれないが。
あたしたちは、ずっと一緒にいた。
ただ、あたしは自分勝手なことに、いつしか星祈を自分のものだと思いこむようになっていた。夜闇のように美しい星祈が、自分を殺すように、目立たずいることが許せなくて、許せなくて。だから、わざと無視してみたり、叩いたり、そういったことをするようになった。もともと星祈の隣にはあたししかいなかったから、星祈は、ひとりになった。けれどもそれを気にする素振りすら見せず、いつも通りの顔で、星祈は過ごしていた。だからあたしは、余計に苛ついて酷く当たった。名前のひとつも呼んであげなかった。
星祈はいつも、何かから逃げていたように、あたしは思う。それが何なのかは知らないけれども。だから無責任にもこう言った。
「逃げてるだけでしょ」
星祈はそれに、何も言わずに目を逸らすだけだった。それで終わると思っていた。
町から離れた山の中に呼び出されたとき、あたしは、あ、なにかあるな、と思った。思ったけど、両親には何も言わなかった。代わりに、親戚の、変わり者で有名なおじさんにだけ、谷星祈という幼馴染と会う、とメールをした。口が固く、一般的な善悪には全く興味のないおじさんなら、何があっても察して黙っていてくれるだろうと思って。
「なに、こんなところに呼び出して」
星祈はあたしの言葉には答えずに、黙ってあたしの方に近づいてきた。あたしはそれをじっと見ていた。星祈の両手が首に掛かっても、抵抗なんてしなかった。あたしの首に巻き付いた指に力が籠められた瞬間、あたしは、あたしの本当に望んでいたことはこれだったのだとわかった。
星祈の目は、今まで見たことがないほど暗かった。それでいて、唇にも、睫毛にさえ恍惚の表情が宿っていた。それを見て、あたしの背筋にはぞくぞくとなにか得体のしれない、快感のようなものが奔ったように感じた。
この美しい生き物を、今だけはあたしが独り占めしているのだと思うとたまらなかった。星祈の瞳に、あたしだけが映っている。星祈の心に、あたしだけがいる。あたしだけが、星祈のこの顔を知っているのだ。
視界が段々黒く染まっていく。星祈の顔が見えなくなるのだけが残念で、あたしは必死に目玉を動かした。それもすぐに意味のないことになったけれども。
最後に、星祈がなにか言っていた気がするけれど、あたしのポンコツな耳は何も拾わず、そのまま意識が遠くなって、なくなって、
ぼくが手を離すと、凛の身体はそのまま地面に落ちた。茶色の目がぼくを見ている。ぼくは、映画でよく見るみたいに、瞼をそっと下ろして、目を閉じさせた。いつまでも見つめていられるのは落ち着かなかったから。
用意していたブルーシートと紐で凛を包んで、それから凛を埋めるべく、シャベルを手に取ったのだ。
星四つ 午前二時 @ushi_mitsu
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