碇星

 ぼくが汗みずくになって穴を掘ってからはや二ヶ月。ぼくは、あの山から遠く離れた小さな町で平穏に暮らしていた。シャベルなんてあれ以来握っていないし、手のひらにできた硬いマメもすっかりなくなった。何度も皮が破れては皮膚が再生して、を繰り返したぼくの手のひらは少しだけ固くなっていたけれど、それ以外はなんにもなく、平和そのものだ。

 この平和が、いつまでも続けばいい、そう思っていた。

「ちょっと話、いい?」

 唐突にぼくに話し掛けてきた糸目の男は、自分は探偵だ、と名乗った。探偵がぼくに一体何の用なのだろうか。

「あのねェ、二ヶ月前に起きた行方不明事件について調べてるんだけどさァ」

 何か知らない? と首を傾げられて、ぼくは、「いいえ、知りません」と答えた。例え知っていたとして、誰が馬鹿正直に知っていますと答えるだろうか。

 探偵は、「ア、そう?」と言い、それから何故か握手を求めてきた。

「折角会えたんだし、ネ?」

「は、はぁ……?」

 がっしりぼくより大きな手で握り込まれて、ぱっと手を離すとあとはもうぼくのことなんか忘れてしまったように踵を返してしまった。あんまりにもあっさりしすぎていて、これでいいのか? と思わないでもなかったが、しつこくて良いこともないだろう。ぼくは、アルバイトに遅れるといけない、ということを思い出し、自転車のペダルを踏み直した。


 短い黒髪の、東洋美人といったふうの少年の後ろ姿を見送ってから、ワタシは、ふむ、と顎に指を当てた。赤いリボンがトレードマークの少女──Rとしようか──がいなくなったのは、もう二ヶ月も前のことだ。警察は当てにならないからと、親御さんがワタシに依頼してきたので、その女の子の移動できそうな範囲を地道に回っているのだけれど。

「まァ、そう直ぐ見つからないわナ」

 しかし今の少年、こんな田舎には勿体ないくらいの美人だったな、なんて思いつつ、ワタシは聞き込みを進めるためにまた歩き出したのだった。


 進展があったのは、次の日のこと。少女が最後に目撃されたという、古びた古書店を訪れたワタシは、店主の老人から、その少女がある少年と親しかった、という話を聞いたのだ。

 その少年の特徴を聞いて、にま、とつい唇が持ち上がってしまったのは仕方がないはずだ。


「少年! また遭ったね」

「……なんですか」

「ちょっとばかし聞きたいことがあってねェ」

 赤いリボンを知らないかい? と聞くと、少年──Sとしようか──は、少しだけ真黒い眼を泳がせた。オヤ、嘘を吐くのは苦手なようだ。

「知ってるんだね?」

「し、ってます」

「素直なのはよいことだ」

「でも、それが──それがどうかしたんですか? 警察にも何度も同じ話をしました。今更探偵さんに話すことなんてありませんよ」

 少年は美しく整った眉を寄せ、いかにも不快ですといったふうにワタシを見上げた。少年は少年で背は高い方だと思うのだけど、それよりもワタシの方が背が高いのでどうにも見上げられる形になる。美人の不機嫌顔は役得だ。そんなワタシの心情を知らず、彼はワタシの顔を見つめていた。

「で、ぼくに何を聞きたいんですか」

「なに、簡単なことだよ。赤いリボンの場所を知りたいんだ」

「……ぼくが知っていると?」

「ウン」

「何を根拠に」

「君の手、マメがすごかったね。でも、竹刀とかそういうものを常に握ってる感じじゃなく、一度だけ重労働をしたような手だった。まるで、

「──ぼくが、あの子を殺して埋めたって? 飛躍し過ぎじゃないですか?」

「でもなァ、ワタシの勘はそう言ってるんだよなァ」

「勘って……」

 彼は、呆れ返ったように腕を組んだ。まだ警戒は解いていないが、少しの余裕が出てきたようだった。

「実際やったでしょ?」

「やってません。だって警察もあの子の失踪とぼくは関係ないって言ったんですよ」

「君の靴、随分土で汚れているね。この辺りで、そんなに土がつくことないでしょう」

 唐突に変わった話題に、少年はハッとした顔で自分の靴を見た。この反応を見るぶんにはアタリな気がするんだけどなア。

「あのね少年。ワタシ、あの子の親戚なんだよねェ。たまに連絡を取り合うくらいの仲だったんだけど、失踪の前日に、男の子と会う、って教えてくれたんだよネ」

 そこまで言うと、少年の顔色が僅かに変わった。

「……それが、ぼくだと?」

「少年、ワタシはね、別に自主しろとか言いに来たんじゃないんだよネ。ワタシが依頼されたのは、あの子を見つけること。それ以外に興味はないよ」

 少年は唇を噛んで俯いた。あと少しかな。

「約束しよう、ワタシは君の罪について何も、誰にも言わない。なんなら契約書を交わしてもいい。その代わり、あの子が今何処にいるのかだけ教えてほしい」

「──ほんとうに。本当に、誰にも、なんにも言いませんか?」

「本当だとも」

 少年は、意を決したようにワタシの顔をじっと見つめて、それから、ついてきてください、と小さな声で言った。

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